冷たい水の中をきみと歩いていく

平坦な戦場で生き延びること

冷たい水の中を言葉と歩いていく

「孤独をつぶやくな。沈黙を誇れ。」

 

数々の名言を生み出してきた,かの有名な成人向けコミック雑誌『LO』2011年11月号のキャッチコピーである。

『LO』は成人向けとは思えないたかみち氏による美麗な表紙と秀逸なキャッチコピーと,一方で普通の成人向け雑誌も真っ青なロリ一直線のとても自分に正直な雑誌だ。表紙だけ見ると普通の雑誌に見えるせいか,近所の書店ではヤングチャンピオンのすぐ横に陳列されている……いやさすがにそれは気付けよ。でもそこの書店は老夫婦がやっている漫画もほとんど置いていないような店なので,そもそもなぜ『LO』を陳列しているのかはかなり謎だ。そういえば確かAmazonでは『LO』の取扱は中止されたのではなかったっけか。

 

Twitterでは『LO』の表紙とキャッチコピーをツイートしているBotもあるので気になった方は見てみると良い(https://twitter.com/LO_CoverCopyBot)。きっとその独特の世界観に引き込まれることだろう。

 

まあ『LO』の話はそのへんにして,この「孤独をつぶやくな。沈黙を誇れ。」という秀逸なキャッチコピーである。

 

孤独をつぶやく,というのは日々まさにTwitterで行われていることだ。この瞬間も,様々なひとびとの「孤独」が電子の海を漂っている。たまに他者からのリプライやふぁぼという”釣り針”に引っかかることはあっても,基本的にそれは漂泊し続けるのみだ。それは誰に向けたものでもない愚痴だったり推しへの愛だったりするわけだけど,別にそれが良いとか悪いとか言うつもりはない。それを定量的に評価できるほど私は客観的な眼差しを持っていないし,強い人間でもない。

 

沈黙を誇れ,というのはどうだろうか。正直な話,沈黙怖くないか?

私は沈黙が怖くて,ひとりで話し続けてしまうことが多い。それは話好きだからでもなんでもなく,ただただ自分が黙った後の沈黙が怖いからだ。沈黙に刺し貫かれる痛みが怖いからだ。「シーン」という無音はどんな騒音よりも喧しく耳をつんざく。沈黙を会話と会話のはざまと捉えるならば,そもそも会話がなければ沈黙も発生しえない。だから沈黙の恐怖を味わうくらいなら会話自体を抹消してしまえばよい,原因がなければ結果は発生し得ないのだから……とも考えられる。

 

そう考えると,「孤独をつぶやくな。沈黙を誇れ。」というのは(少なくとも私にとっては)とても難しいようだ。言葉は身を守る盾であると同時に,相手を傷つける槍でもある。とても便利な存在なのだ。誰からも傷つけられず誰をも傷つけないように,冷たい水の中みたいな静謐な空間で過ごしていたいと願おうとも,言葉は常に隣りにいる。この世に生を受けた瞬間から死が与えられる瞬間まで,言葉は常に傍らにいる。人生の歩みは常に言葉とともにある。沈黙の恐怖に耐えられないひとに「甘言」を囁き堕落させていく,言葉とはそういった根源的な呪いなのではないか……。

 

……だんだん何を言っているのか分からなくなってきてしまった。このテーマについては自分の考えをうまくまとめることが出来ないのでとりあえずここまでにしてみるが,いずれ改めて挑戦してみたい。

 

タイトルは谷山浩子さんのアルバム『冷たい水の中をきみと歩いていく』から。

表題曲『冷たい水の中をきみと歩いていく』は本当に良曲なのでぜひ聴いてみてほしい。いずれ谷山浩子さんの曲についてもブログで書いてみる(こう言って逃げ道をなくす作戦)。