冷たい水の中をきみと歩いていく

平坦な戦場で生き延びること

いつか”一緒に”輝いて

最近の日の落ちる速さに驚きながら,何かを諦める顔をしている。例えばそれは日の長さだったり平成最後の夏だったり夏のエモさだったりするのだけど,私たちはいつも何かを諦めて失っていく。仕方ないさ,とつぶやいて諦める。

 

最近『凪のお暇』という漫画を読んでいる。主人公・凪が会社を辞めて彼氏とも別れて家も捨てて,それでも生きていくという漫画だ。この漫画の良いところは,「何もない生活っていい!私たちは物質的には豊かかもしれないけど精神的には貧しくなってしまった!!ここには私たちが忘れてしまった大切なものがある!!!」とかクソしょうもない精神論を説くわけではないというところだ。凪が自由人な隣人に恋をして岡崎京子ばりのセックスまみれの自堕落な生活を送るようになり,節約上手だったはずがコンビニ飯ばかり食べるようになっていく……というシーンが印象的だった。

 

この漫画に出てくる凪の元彼はとにかく意地悪でモラハラ男なのだが,彼は彼で後ろ暗さを抱えている。彼の家族はとても綺麗に見える。可愛らしく天然なお母さん,公務員で優しいお父さん,そしてその自慢の息子がふたり……。素晴らしい家族。

でも実際は,お母さんは整形狂いで,お父さんは不倫をしていて,元彼の兄は消息不明。家に笑いはなく,温かさもない。演じられていた家族ゲーム。表面を取り繕っただけの,失われたものでいっぱいの家族。

 

前置きが長くなったが,これを読んでいたらなんだか自分の家族のことを思い出した,ということだ。

 

うちは3人家族。父は会社を経営していて,母は専業主婦。小さい頃のことを思い出すと,お金に困ることはなかったし,欲しいものは何でも買ってもらったし,よくわからない高級レストランにもいっぱい行った。そのうち受験をして国立の幼稚園に入った。お受験のために色々な勉強をさせられた。子どもらしい遊びはさせてもらえなかった。家には本ばかりがあった。親ばかりが熱心だった。私はおとなに気に入られて面接に受かる子どもを演じた。合格の一報を受けて親は大喜びしたそうだ。周りは親が医者とか弁護士とか社長とかそんなのばっかりだった。そこの小学校で父はPTA会長をやっていた。よくしゃべる父は周りからも人気者で,私は先生から「お父さんによろしく頼むよ」と何度も言われた。別に嬉しくはなかった。おまえらに何が分かる,と内心思いながら笑顔で応じた。

 

私は父のことが大嫌いだ。

 

父は外面は良いものの,内面はどうしようもない男だった。他人を支配したがる男だった。私は「自慢のひとり息子」として習い事をたくさんさせられたし,そこで結果を出さないと厳しく叱責された。

 

小学生の頃,水泳教室で選手コースに入っていた私は,ある大会で大した結果を出せなかった。帰宅すると私の部屋がめちゃくちゃになっていて,「お前みたいな出来損ないは殺してやる」という走り書きが落ちていた。いったん出かけた父がまた帰ってくるのが恐ろしくて,部屋の片隅で震えていた。父は帰宅するやいなや,私を引っ叩き蹴飛ばし,「てめえなんか死んじまえ!」と罵声を浴びせた。その頃には心が無になっていた。

 

中学受験の模試の結果が悪くて,震えながら「でも塾の先生も『今回は難しかった』って言ってたもん……」と言い訳する。するとまた引っ叩かれて「他人がそう言ったからなんなんだよ!じゃあ他人が死ねって言ったらてめえは死ぬのか!」とインターネットでも最近見かけない論理の飛躍をしたりする。怖いので黙り込む。そうすると「なんで黙ってんだよ!なんとか言え!」とまた引っ叩かれた。

 

こういうエピソードは枚挙にいとまがない。

 

一番衝撃的だったのは小学校の卒業写真を撮る前日,目のあたりを父に殴られて目が腫れてしまったこと。私は「転んだって言いなさい」と何度も言い含められ,実際そのとおりにした。あれ,これって虐待でよく見るやつだな……と内心思いながら。その日,私はあまりに酷い態度に嫌気が差して,「ねえ,『子どもの権利条約』っていうのがあるんだよ!子どもは大事にしなくちゃいけないんだよ!」と抗議した。当時内容はよく知らなかったけど習ったばっかりで言いたくなったのだろう。案の定引っ叩かれて終わりだった。その頃,マンションの屋上から飛び降りたら死ねるのかとよく考えていた。

 

当然そういう爛れた内情は誰も知らない。父は会社経営者だしPTA会長で外面が良かったから。外側からはどう見たって他人が羨む「素敵な家族」が演じられていたから。そう,誰も知らない。

 

さすがに私が中学高校大学と成長するにしたがって暴力を振るわれることは少なくなっていったが,いったん植え付けられた「恐怖」というものは簡単には払拭できないし,おそらく墓場まで持っていくことになるのだろう。

 

そんな父が躁うつ病と診断されたのは去年のことだった。いま考えれば昔っからの行動も躁うつの気があったと思う。

診断される数か月前から,いきなり俺は死ぬと言ったり包丁を取り出して殺してやると言ったり,正直キ◯ガイとしか思えない行動を繰り返していた。ある日,また包丁を取り出して怒鳴り散らし,外に出ていき数時間帰ってこなかった。さすがに少し心配になり,近所を探したがどこにもいなかった。父は結局包丁を持ったまま車の中にいたのだが,どうやって死のうか考えていたと言っていた。何かをブツブツ言っていて正直恐ろしかった。

 

いまも治療を続けているが,治ることはないだろう。少し詳しく聞いてみると,父の会社の従業員も嫌気が差して辞めたりしているのだそうだ。最近は母と離婚についての話も持ちかけられているらしい。金があろうが名誉があろうが,結局父はひとりなのだ。誰も愛せず誰にも愛されず,ひとりで死んでいくのだ。

 

そしてそれはその血を最も色濃く継いでいる私も同じだ。

 

時折,自分に流れるこの血が恐ろしくなる。

時折,破滅願望がとめどなく溢れ出してくるのを感じる。

 

いなくなれば楽になる。これは呪いだ。血の呪い。それは私を縊り殺そうとする。

でもできるだけ生きていこう。まだその気力はあるのだから。

 

いつか,その呪いを克服することができたら,きっとその時こそ,輝かしい人生が始まるのだと,そう信じているのだ。

 

 

前職の上司とこの父は,自分の中で決着をつけるべきふたつのものだったので,どちらもブログに書いてみた。

今後この話題に触れることは殆ど無いと思う。こんな不愉快な話,誰も聞きたくないだろうし。

 

タイトルは『少女革命ウテナ』39話「いつか一緒に輝いて」より。

いつか輝きたい。ひとりで死んでいくのではなく,誰かと一緒に。