冷たい水の中をきみと歩いていく

平坦な戦場で生き延びること

時には昔の話を

し前に大学の先輩たちと飲んだ時に話したことが,いまだに胸の中でリフレインしている。

「大学生には戻りたくないね。」「完全にそれ。」

 

世間的には「学生に戻りたい!」「あの頃はよかったなー!」という話はよく聞く。でも私は戻りたくなんかない。これっぽっちも。なんでだろう。

 

こんなこと言うと「イジメられてたの?」と心配されるかもしれないが,そんなことはなかった。そして,学生の頃がつまらなかったなんてことも全く無い。

確かに学生時代を通じて友人は少なかったが,友人が多い人間というものを根本的に信用していないので,その点では私は私を信用している。自己肯定は大事。

 

交友関係も含めたありとあらゆる関係において,薄っぺらい関係なら最初からいらんわ。というのが基本的なスタンスだった。最初っからそんなこと言わずに相手のことをもっと知れば仲良くなれたかもしれないじゃん!というのは確かに一つの真理だが,今回はご縁がなかったということで,また来世で。じゃーね。なんて考えている。

 

じゃあなんで学生の頃に戻りたくないのか。答えは明白だ。

 

あの頃常に頭にあった,「何かしなきゃ」「何者かにならなきゃ」と焦るばかりで,でも何もできずに腐っていく感じが,とても怖くて気持ち悪かったからだ。

頭に銃口を突きつけられているような恐怖感。いますぐ動き出さなきゃ死んじゃうんじゃないかという焦燥感。何かをしなければ,というマイナス方向の衝動にただ突き動かされていた。

 

その衝動は日に日に膨大していき,自由な時間が多い大学生の頃に極大値となった。そしてそれに突き動かされるままに,「これは私を変えてくれるかもしれない。」と思って色んなものに手を出した。とりあえず旅行して全国47都道府県を回ってみた。テニサーに入ってみた。色んな飲み会に参加してみた。意識高い講義に参加してみた。ボランティアもやってみた。NPOもやってみた。神信じてないから宗教とかはやってないけど,色んなことやってみた。

 

色んなことやってみた結果,どうだ?私は変わったか?否,何も変わってなどいない。何もできなかったし,何者にもなれなかった。結局のところどうしたって,魂の在り方は変えられやしないんだ。いくら経験を積んだからって,いくらインドに行ったからって人間の本質,魂の在り方は変えられない。ジタバタしてみたって仕方ない。私は友達100人出来ないし,仮に出来たとしても嬉しくもなんともないだろう。

 

じゃあ,こんな私に誰がした(昔のドラマではない)

 

それはまぎれもなく私だコブラではない)全責任は私にある。

 

いっそのこと,神様とやらをを信じられればよかったのだ。全責任を神になすりつけられればよかった。池袋のブックオフに宗教勧誘がよく出没することは有名だが,ご多分に漏れず私も勧誘されたことがある。人生に悩んでいるように見えたのだろうか。そしてなんか面白くなってしまい,勧誘のオッサンに連れられて一回喫茶店まで行ってみた。でも結局,終始「でも神いなくないですか?」と繰り返す私に嫌気が差したのか,オッサンは勧誘をあきらめた。コーヒー一杯で2時間くらい「神はいるのか」などと意味不明な問答を繰り返す経験は,後にも先にもないだろう。まあ加藤登紀子はコーヒー一杯で1日過ごしていたようだが……

 

愛なき時代に生まれたわけじゃないが,色々なものを信じることができずに生きるということは,それはそれで辛いものだ。

ただ一つ,確実に言えることは,ミステリーでの私の立ち位置は奇跡を起こす的なオッサンに「ふん!そんなもんはまやかしじゃわい!」と捨て台詞を残して後日遺体で発見されるやつということだ。

 

そう,私は私の責任のもと,何者にもなれなかった。そしてだからこそ,いまとなっては「何者かにならなきゃ」という余計な期待を抱くこともない。焦燥感もない。だからこそ,いまが心地よい。

それでいい。それでいいじゃないか。

 

タイトルは文中に書いた加藤登紀子の名曲・『時には昔の話を』から。

 

終わり。