冷たい水の中をきみと歩いていく

平坦な戦場で生き延びること

朱に交わったって赤くならない色もある

「体育会系」という言葉にずっと違和感があった。よく分からないもやもやがあった。今回改めてそう感じたのは,つい先日記事にした陽キャとの出会い」も関係しているかも知れない。必ずしも体育会系=陽キャではないが,ニアリーイコールではあるように思える。体育会系ってなんなんだろう。この違和感はなんなんだろう。

 

「体育会系」について,例えばその定義が分からない。大学生の頃に「サークル」ではなく「運動系の部活」に所属していれば体育会系なのか。例えばその社会での捉えられ方が分からない。言葉は悪いが,昨今ではスポーツのパワハラ事件や過労死事件が多発しており,体育会系=上の言うことに従属するしかない脳筋バカ,のように捉えられている気がする。本当にそうなのか。そもそも「多発している」という事自体に対しても「本当に発生件数が増えたのか」もしくは「発生件数は変わっていないけど暗数が認知されるようになった(体育会系を糾弾したいという意図をもって)のか」という疑問もある。

 

まず,「体育会系」の辞書的な意味は以下の通りだ。

たいいくかい‐けい〔タイイククワイ‐〕【体育会系】

体育会の運動部などで重視される、目上の者への服従や根性論などを尊ぶ気質。また、そのような気質が濃厚な人や組織。

小学館デジタル大辞泉

 

「体育会系」というのは「気質」というふわふわした概念であり,またその気質が横溢した組織を指すらしい。つまりこの時点ではこの言葉は肯定的でも否定的でもないニュートラルな言葉である。ところで,属性「体育会系」の人が属性「体育会系」の組織に加入することによって,その気質は相乗効果で良くなる感じなのだろうか。そこで「体育会系」の対義語として語られる「文化系」についてもあわせて考えてみると,以下のように個人×組織の属性の組み合わせは2×2=4通りあるということになり,現実に即して考えると興味深い。

①個人「体育会系」×組織「体育会系」

②個人「体育会系」×組織「文化系」

③個人「文化系」×組織「文化系」

④個人「文化系」×組織「体育会系」

 

このうち望ましい環境は,相乗効果で良くなる①と③ということになりそうだ。確かに②では文化系の組織で「私,納得できません!」とアツくなる体育会系主人公が描けるし,④では文化系のモヤシだった主人公が体育会系の組織に入って「根性」を身に着けていくサクセスストーリーが描けるなど,いずれも物語のお題としては抜群だが,さて実際問題現実に置き換えると個人・組織ともにやりづらさは拭えないだろう。②や④の個人は遅からず転職活動に励むことになると思われる。朱に交われば赤くなるとよく言うが,それは白だったらそうなるという話で,補色である緑だったらアイデンティティが崩壊するだけだ。やっぱり異文化コミュニケーション。いやディスコミュニケーション

 

ところでWikipediaでは「体育会系の特徴の一例」というものが掲載されていた。書きぶりに悪意を感じなくもないが,面白い記述なので以下に掲載する。言っちゃあ何だが,これだけ見ると単なるバカとしか思えない。 そこにあるのはものすごくティピカルな「体育会系」像だ。ちなみに私はこのような人間を見たことがないし,本当に存在しているのかどうか怪しい気がしてならない。「体育会系」という言葉自体はニュートラルなものだが,実際の用例としては「体育会系を批判したい!」という悪意を説明するための「都合のいい言葉」になっている気がする。ニュートラルなはずの言葉自体が言葉に対する悪意を包摂しているという論理関係の破綻がある。冒頭に述べた私の違和感はそこにあった。

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「体育会系」についてのwikipedia中の記述。

また,「体育会系」と合わせて語られることも多い「根性論」「精神論」「感情論」というのも,言葉自体はニュートラルでも実際の用例としてネガティブな意味を内包した言葉だ。「論」と言うからには,「存在論」「実在論」「唯物論」「唯名論」などと同様になんらかの体系立った思想であるはずだが,しかしいずれも「体育会系」と同様に本来の意味は捨て去られ,「根性ばっかり言うバカ」「精神ばっかり言うバカ」「感情ばっかり言うバカ」という絞りカスのような批判的意味合いしか残っていないように思われる。少なくとも私はこれらの言葉が肯定的に用いられているのを見たことがない。「あなたのそれは感情論ですよね」と言われて嬉しい人などいないだろう。

  

なんとなく体育会系の定義について分かったところで,社会での捉えられ方についても考えてみたい。前述の通り,ここ最近では「体育会系」という言葉は社会的にも肯定的なニュアンスで用いられていない。ぱっと調べて見るだけで以下のようなニュースが出てくる。

president.jp

www.businessinsider.jp

 

やはり日大アメフト部の悪質タックル問題は「体育会系」のネガティブなイメージのきっかけではあったと思うが,思い返せばあの問題はまだ今年の5月である。間違いなく,それ以前から体育会系に対するイメージは良くなかったはずだ。いつ潮目が変わったのかは分からないが,いつからか体育会系には「パワハラ」という言葉がついて回るようになってしまった。

 

ところでインターネットではパワハラ事件や過労死事件が起きるたびに体育会系に対する否定的なコメントをしている人をたくさん見かける。曰く「体育会系は弱いやつを寄ってたかって叩く」「体育会系は上の言うことが絶対で逆らえない」「体育会系はかつて自分がされてきた嫌なことを『俺もやったんだから』と部下にやらせる」。本当に,必ずしもそうなのか。そして文化系の人は聖人君子でそういうことをしないのか。だいたいそういうコメントをしている人は体育会系の人の何を知っているんだろう。私は文化系の人間なので,体育会系の人について語る言葉を持たない。厳しい練習をこなしてきた体育会系の人たちが,本当にそんな否定的な評価をされるべきなのか。少なくとも私には,体育会系の人はもっとずっと肯定的な評価を受けるべき人たちに思える。

 

ここまで書いておきながら何だが,私は体育会系の人を擁護したいとかいう考えは一切ない。文化系の人を擁護するつもりもない。上に掲載したWikipediaの「体育会系の特徴の一例」みたいな人なんて怖いし,できれば一生関わり合いたくない。ただ,それはあまりにティピカルな体育会系像だし「体育会系」という言葉に内包された否定的な評価が嫌だな,そしてそのせいで社会的に不利益を被る体育会系の人がいるのは不合理だな,と思っただけだ。私は特定属性の集団に肩入れをすることはあまりしたくない。その属性の括りが大きければ大きいほど,その括りから取りこぼされる人が(意図的であれなんであれ)存在するからだ。そして括られた人はマイノリティの大義を得てその取りこぼされた人を攻撃するからだ。

 

特にオチもない。クリスマス・イブなので「Merry Christmas,Mr.Lawrence」とでも言っておく。そういやこのブログの説明んとこに「平坦な戦場で生き延びること」なんて書いてあるし。ぴったり。

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 ていうか冷静に考えて『戦場のメリークリスマス』,デビッド・ボウイ坂本龍一北野武内田裕也内藤剛志大島渚監督って豪華すぎるよな。

終わり。