冷たい水の中をきみと歩いていく

平坦な戦場で生き延びること

電子の夢でさようなら

日,電子辞書を取りに実家に帰った。英会話スクールで言葉に詰まったときにとっさに調べられるツールがあったほうがいいなと思ったからだ。

 

いまではWeblio辞書やらGoogle翻訳やらがとても便利になって電子辞書を使うことはとんと少なくなった。会社で英語論文を読む機会もあるが,グーグル翻訳に投げてしまうことも多い。最近では私の周りでは電子辞書の影もすっかり薄くなってしまった。しかし長い間,電子辞書と私は因縁浅からぬ関係だった。せっかくなので,この機会に振り返ってみたいと思う。

 

小学生の頃,教室の後ろに広辞苑が置いてあって,当時の私はそれをパラパラめくってそこに載っている難しい言葉や難読漢字を調べるのにハマっていた。そして同級生と広辞苑で見つけた難読漢字を「蒲公英ってなんて読むかわかる?」「灰神楽ってどういう意味か知ってる?」とクイズを出しあっていた。「回回教」と書いて「ふいふいきょう(イスラム教の意)」と読むことを知った当時の私はすげー!とテンションが上がっていたのをいまでも鮮明に覚えている。

 

親がはじめて電子辞書を買ってくれたのは小学5年生のときだった。周りに電子辞書を持っている子どもはあまりいなかったのでとても嬉しかったし,おかげで私の検索範囲はぐーんと広がった。いまの電子辞書はカラーで100冊とか200冊とかの本を収載しているのが普通だが,当時私が持っていた電子辞書のコンテンツは白黒だし広辞苑・英和辞典・和英辞典・英英辞典くらいだったと思う。その頃は英語に触れる機会はほとんどなかったので,専ら広辞苑の言葉を調べるのに使っていた。そのうち,適当に「あ」とか「い」とか入力して出てくる知らない言葉を覚える遊びをするようになった。また,一つの言葉からリンクして知らない言葉に出会えたりするととても嬉しかった。

 

当時は「ググる」という言葉を知らなかった(検索エンジンは専ら「ヤフーキッズ」だった)こともあり,紙の辞書から電子辞書への進化はとても大きなものだった。

 

中学生になると,英語の授業が始まったこともあり,多くの生徒が電子辞書を使うようになった。私も電子辞書を買い替え,ブリタニカ百科事典や類語辞典など多くのコンテンツを備えたカラーの電子辞書にグレードアップした。小学生の頃と同じように,「ウィドマンシュテッテン模様」「ハインリッヒの法則」「不易流行」などなど,知らなかった言葉をどんどん「お気に入り」に登録してウキウキしていた。そして同級生にそれを見せて「面白い!」なんて言い合っていた。この頃の私は知的好奇心の塊だったし,この頃に調べた言葉の束がいまの私の語彙力の基礎となっている。

 

高校生くらいの頃には,いま考えても必要性がわからないがワンセグ機能のついた電子辞書が出た。私は授業中にワンセグ視聴するのカッコいいじゃん,といかにも高校生らしいしょーもない理由でそれに買い替えた。またSDカードもついていて,私はアレな画像を保存して授業中に見てたらカッコいいじゃん,とこれまたいかにも高校生らしいしょーもない理由でワクワクしていた。結局アレな画像が見られたかどうかは忘れてしまったが,「本能に従順忠実」だったということだ。こうやって書いてみると高校生になってなんだかいきなり知的好奇心レベルが下がったような気もするが,実際は大学受験勉強で最も電子辞書を酷使していた時期だ。勉強の息抜きに「お気に入り」に入れた難しい言葉を見たりしていた。決してアレな言葉ではない。

 

大学生になり,英語の講義に加えて第二外国語の講義が始まった。私はフランス語を選択したので,新調した電子辞書に追加コンテンツとしてフランス語辞書を購入して使用していた。たぶん手書きパッドやタッチパネルが搭載されたのもその頃だったと思う。あとはクラシック曲がなぜかいっぱい収載されていたので,作業用BGMとしてイヤフォンで聴いたりしていた。

 

そして社会人になると電子辞書を使うことはめっきり少なくなった。いま使っているのは大学に入学したときに買ったものなので,かれこれ8年の付き合いになるが,後半の4年くらい,私が社会人になってからはたぶん一回も開いていなかった。ひさしぶりの再会だ。

 

実家から持ってきた電子辞書を開く。明るいライトがつき,ディスプレイが表示される。改めてメニューを見てみると広辞苑や英和辞典などのほかに,「家族みんなのバランスごはん」とか「冠婚葬祭マナー辞典」とか「漢方薬の手引き」とか一回も見たことがないコンテンツが収載されていることに気がつく。なんでも載ってんだね。

 

まだまだ知らないことがいっぱいある。まだまだ知りたいことがいっぱいある。そしてそれは現在進行形で増え続けている。私も幼い頃と比べれば色々なことが変わったり色々なものを失くしたと思うけれども,それでも「知的好奇心」だけは死ぬまでなくさないでいたいと改めて思った。