都市の断絶
今日は池袋周辺を自転車で走ってみた
池袋駅周辺はとにかく騒がしいが、一歩離れれば閑静な住宅街である
木造の家や神社、古びた商店街が林立している
頭上に目をやれば、青空を背景にしたサンシャインが見えるのが印象的だ
得てして栄えている都市部の周縁部は古びていたりする気がする
というよりも、高いビルやタワーがある都市で栄えているのはその周りのみで、少し遠ざかれば古びている
以前に大阪に行ったときは、あべのハルカスという日本一の高層ビルのすぐ近くには日本一のドヤ街である西成区が広がっており、その格差に驚いたものだ
貧困層が集まる西成区のすぐ近くには飛田新地という高級色街もあり、ここにカオスが体現されている、と感じた
スカイツリーのすぐ近くも同様にあまり栄えているというわけではない
やはり近くには吉原という日本で最も知られている色街がある
タイや香港、台湾に旅行した時にも似たような風景はどこにでもあった
良くも悪くも日本はやはりアジアだな、と思った
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都電荒川線沿いを自転車で走ろうと思うと、色んな所が断絶されている
フェンスで道が閉ざされていて通ることが出来ない
入り口には事業用の土地、と書いてあるがなんなのかはよくわからなかった
辺りには雑草がぼうぼう
背の高い雑草というのはなんだか不気味で夜には見たくないものだ
かつて、雑司が谷から鬼子母神にかけての道には水車小屋があった
なんのためにあるのか、いつからあるのか
インターネットで調べてみたけれどもなにもわからなかった
みなが「不思議な水車小屋」と言っているのがおもしろかった
記憶を辿ってその場所に向かったのだが、なぜか行き着くことが出来なかった
ここだった気がする、と思った場所にはつまらない駐車場があるのみだった
ググっても水車小屋については何も書いてなかったが、Twitterで検索をかけてみたら事実がわかった
管理していた人が高齢化でやめてしまったとのこと
特に思い入れがあったわけでもないし訪れたのも一年ぶりくらいだったのだがなんだがさびしくなった
フェンスによる物理的な断絶のみではなくそういった意味的なところにも断絶はある
記憶の断絶だ
都市の記憶の断絶だ
断絶だらけだ
知っている場所がどんどんなくなっていく
記憶がなくなっていく
もちろん知っている店がなくなることはいままでもたくさんあった
しかし「よく知っていたしよく利用してた店」よりも「あまり知らないしあまり利用したことのない店」がなくなったほうがその断絶は大きい気がするのだ
それは店がなくなった断絶に加えて、その店を知ることも利用することもなくその機会が永遠に失われたという断絶があるからかもしれない
都市は断絶で満ちている
今日も都市は断絶されていく
物理的にも意味的にも