冷たい水の中をきみと歩いていく

平坦な戦場で生き延びること

自分探しの旅の終わり

分が何者なのかを考えることが増えてきた。中高生の頃からこれについては考え続けてきたが,最近はより切迫性を増している。30歳を目前にして将来のビジョンを考えざるを得なくなってきたからかもしれない。

 

そういえば僕はADHDってやつらしい。ADHDにはさまざまなタイプがあるが,僕は多動性や衝動性が強いのだそうだ。そのせいだろうか,僕には世界が拡散して見えている。何か1つに収束することがなく,広がり続けている。それにしたがって,思考も無限に拡散する。例えばカラスのことを考えていたかと思えば,次の瞬間にはブルドーザーのことを考えていたりする。周りからすると意味がわからないだろうが,僕の中ではなんとなくつながっているのだ。改めて考えてみるとこれまでの人生はまさにADHDっぽさ全開だった。

 

学生の頃から一つのことに集中できず,飽きっぽい性格だった。中高は一貫校だったが,部活もテニス部や生物部,代表委員会(いわゆる生徒会)に入っていた。お察しの通り,それも身が入らずに芳しい成果は残せなかった。部活をサボってBOOKOFFやネカフェに入り浸る,そんな学生だった。

 

大学生になり自由時間が増加するにしたがって,その奔放さはさらに加速度的になる。中高までの部活と違い,大学のサークルはいくらでも入ろうと思えば入れる。バイトだってそうだ。結果的に僕は大学で生徒会,旅行サークル,法律系サークル×2,環境NPO×2と計6つのサークルに入った。バイトは新聞社,塾講師,カフェ,イベント派遣などさまざまなものに手を出した。当然全部に注力することはできず,ほとんどのサークルやバイトでは幽霊的な扱いになった。サークルもバイトも,思い立ったが吉日とばかりにすぐに代表者にコンタクトを取って見学→加入していた。今思い返せば,この時に気がついていればよかったのかもしれない。

 

その傾向は社会人になっても続いた。アニメ好きやカメラ好きの社会人サークルに加入してはめんどくさくなり,会社のバレーボールサークルや陶芸サークルに加入してはめんどくさくなり。全く長続きしないのだ。そして会社もやめてしまった。

 

僕は「流石におかしい」と気づき始めた。みんなが時間をかけて一つのことをやり,それなりに成果を出している中,僕は色んなことに取り組むバイタリティはあるかもしれないが何も成し遂げていない。周りとずれていることの焦りもあった。そして昨年末頃から,「これはADHDってやつなんじゃないか」と疑い,メンタルクリニックに通院するようになった。

 

僕は現在,メンタルクリニックADHDの多動性と衝動性を抑制するストラテラ(朝35mL/夜10mL)と,不安を抑えるアリプラゾール(朝3mL)を処方されている。いずれもADHDに対するごく一般的な処方だという。実は僕は2016年頃にも同様の症状を訴えて別のメンタルクリニックに通院していた。その際にもストラテラが処方されていたと思う。しかしストラテラは即効性の薬剤ではないためすぐに効果が実感できず(これまたADHDらしさ全開であるが)通院がバカバカしくなりやめてしまった経緯がある。しかし今回は絶対に通院し続けるという強い意思がある。ADHDで被る不利益である「飽きっぽさ」を何とかしたいと思っているからだ。このままでは何者にもなれずに手広く浅い知識だけ持って死んでしまうのではないかという恐怖があるからだ。

 

処方されてすぐにはやはりあまり効果が感じられなかった。それは主治医も言っていて,効果の発現には3週間~1ヶ月くらいはかかるだろうとのこと。1ヶ月くらい経つ頃には,世界は拡散し続けるのをやめた(ような気がする)。それに対応して僕の考えが無数に広がることも収まった(ような気がする)。世界は1つに定まって静かになり始めた(ような気がする)。

 

Twitterのように話題がどこまでも拡散していくSNSADHDと相性がいいように感じる。そのためだろうか,薬物療法を開始するまでの僕はTwitterに夢中だった。話題がポンポン変わり,どうでもいいことをツイートしまくっていた。ところが最近はツイートすることがない。以前は出来事がなくても頭に浮かんでくるあれやこれやをツイートしていたのだが,最近はそれもない。何も浮かんでこないからだ。もちろん意識すれば何かを考えてアイデアを出すことはできるが,以前は意識せずとも出来ていたような気がする。きっと得たものと失ったものがあるのだろう。

 

10年以上続いた「自分探しの旅」は,30歳を目前にして終わろうとしているような気がする。それは次のステージに足を踏み出すための第一歩なのだろうか。まだまだ模索することだらけだ。