冷たい水の中をきみと歩いていく

平坦な戦場で生き延びること

リズと青い鳥文庫

場版『若おかみは小学生!』を観てきた。

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10/19(金)からTOHOシネマズでの上映が増えて(上野・新宿・日本橋・日比谷あたりでも追加された)より観に行きやすくなったので,まだの人は絶対観に行ったほうがいい。さすがに文部科学省選定作品(少年・家庭)だけのことはある名作だった。

 

感想は色んな人がすでに書いているしネタバレになってもアレなので詳述しないが,とにかく演出や描写が最高だった。よく言われていることであるが実写・アニメを問わず名作に出てくる食事というのは本当に美味しそうで,卵焼きの描写など珠玉であった。私は普通に劇場で「おっこ……おっこぉ……」と主人公に感情移入しすぎてマジ泣きする26歳成人男性になってしまったので,近いうちにまた観ることになると思う。歳を増すごとに死にまつわる作品や死そのものに触れる機会が増えていくからなのだろうか,最近は人が死ぬシーンを見るだけでもう涙腺崩壊してしまう。このままのペースだと10年後くらいには涙腺ガバガバすぎて一日中泣いているかもしれない。文字通り主に泣いてますになってしまいかねない。

 

さて,本題はタイトル通り青い鳥文庫についてである。というのも『若おかみは小学生!』の原作は青い鳥文庫であるからであるのだが,ちなみにタイトルの『リズと青い鳥』についても少し書くと,最近やっていた立川シネマシティの極上音響上映を観に行った。紙をめくる音でさえ聞こえる静寂な環境でのふたりの少女のあまりにも繊細な心理描写や触れると壊れてしまいそうなその関係性に胸を締め付けられ,完全にこれ(以下画像参照。美味しんぼ四万十川の鮎を食べて感動している京極さん)になってしまったので,すぐさま台本付きBlue-rayを予約したのは言うまでもない。

 

◯完全にこれになってしまったやつ

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余談だが,私は会社で「映画研究部」という部に所属している。活動内容は月に一回メンバーで会社の補助金を使って映画を観に行き,焼き肉を喰っているというわかりやすいものだ。その活動で5月には『リズと青い鳥』を観に行ったらしい。会社のメンバーで。30代・40代のオッサンたちが。ふたりの少女の壊れてしまいそうな関係性を。観に行ったのだそうだ。私は今の会社に6月に入社したので,後から「5月に『リズと青い鳥』って映画を観に行ったんだけど,女の子同士の淡い恋愛がよくわからなくてみんな困惑してしまった」という感想を聞いて爆笑してしまった。

 

さて話が無限に横道にそれてしまうが,そろそろ本題に戻る。青い鳥文庫,みなさんは読んだことあるだろうか。私と同世代(1992年生まれ)くらいの人は結構読んでいたのではないだろうか。

 

小学生の頃,私の周りでは『パスワード派(パソコン通信探偵団事件ノートが好き)』なる一派と夢水清志郎派(名探偵夢水清志郎事件ノートが好き)』なる一派が存在し,「こっちのが面白い!」「こっちのが楽しい!」と常に互いを牽制しあっていた。実際どっちも面白いんだけどね。子どもってどうでもいいことで優劣つけたがるからまあそういうことになる。

私はといえば『名探偵夢水清志郎事件ノートシリーズ』が好きだった。基本はゆるいミステリーなのだが,たまにシリアスな話もある。最後に読んだのは15年以上前だが,『機巧館のかぞえ唄』の最後の方,亜衣が欄干で倒れてからの幻想的なシーンは強烈で,かなり印象に残っている。あと『あやかし修学旅行』のドタバタ感は最高だった。これを読んだ小学生の時分,「修学旅行って楽しそう!絶対に行きたい!!」と思ったものだが,豈図らんや,小学校にも私が進学した中学校にも高校にも修学旅行というものは存在しなかった。中学校と高校は「修学旅行なんぞわざわざ学校が決めることでもないので各自勝手に行きたいところに行け」という感じだった。そういう校風なので中1の頃の遠足ですら現地集合・現地解散だった。いやいいんだけども。私は修学旅行を一生経験することなく,したがってみなさんが修めてきたような学を修める機会もないというわけなのだ。 

パスワードは、ひ・み・つ―パソコン通信探偵団事件ノート〈1〉 (講談社 青い鳥文庫)

パスワードは、ひ・み・つ―パソコン通信探偵団事件ノート〈1〉 (講談社 青い鳥文庫)

 
そして五人がいなくなる 名探偵夢水清志郎事件ノ-ト (講談社青い鳥文庫)

そして五人がいなくなる 名探偵夢水清志郎事件ノ-ト (講談社青い鳥文庫)

 

 

話をまた戻すと,作者のはやみねかおる氏自体も好きだったので,中学生くらいの頃に同作者の『虹北恭助の冒険』を読んでいた。響子ちゃん可愛い。

少年名探偵 虹北恭助の冒険 (講談社ノベルス)

少年名探偵 虹北恭助の冒険 (講談社ノベルス)

 

しかし普段互いに牽制しあっている『パスワード派』『夢水清志郎派』の両派がその手を携え,互いへの理解を深めるときがやってくる(書きながらテコンダーなんちゃらの一コマを思い出した)。それが『いつも心に好奇心!名探偵夢水清志郎VSパソコン通信探偵団』である。これは青い鳥文庫20周年を記念して行われた『パスワード』と『夢水清志郎』の競作であり,言うなれば永年に渡るきのこたけのこ戦争の終結である。あとセ・リーグパ・リーグ交流戦みたいなもんである。まあ野球知らないからよくわからんけど多分そんな感じじゃないか。

いつも心に好奇心! 名探偵夢水清志郎VSパソコン通信探偵団 (青い鳥文庫)

いつも心に好奇心! 名探偵夢水清志郎VSパソコン通信探偵団 (青い鳥文庫)

 

 

あと『青い鳥文庫』で印象的なのはFシリーズ森博嗣じゃないよ。よりSF色落強い作品が出ている。枠が青くなくてオレンジ色。ちょっと平凡社ライブラリーっぽいな。これも面白かった。小松左京とか筒井康隆の作品が結構出ているのも特徴だろう。

時間砲計画 (講談社青い鳥文庫)

時間砲計画 (講談社青い鳥文庫)

 
空中都市008 アオゾラ市のものがたり (講談社青い鳥文庫)

空中都市008 アオゾラ市のものがたり (講談社青い鳥文庫)

 
三丁目が戦争です (講談社青い鳥文庫)

三丁目が戦争です (講談社青い鳥文庫)

 

懐かしさにまかせていっぱい書いてしまった。

終わり。

くだらないの中に

まさらなのだが,最近Netflixで『水曜どうでしょう』をよく見ている。実はいままでちゃんと見たことはなく,たまにTOKYOMXを見ていると異様に画質の悪い番組の再放送がやってんな……くらいにしか思っていなかったのだ。なんか大泉洋が出てんだっけ?確かダーツ投げて旅するやつだっけ?バスに乗って旅するやつだっけ?違うっけ,みたいなぼんやりした印象しかなかった。

 

水曜どうでしょう』は基本的に大泉洋さん,鈴井貴之さん(ミスター),藤村忠寿さん(ヒゲ),嬉野雅道さん(うれしー)のおっさん4人がわちゃわちゃしたり喧嘩しているだけの番組だ。企画はとにかく適当で,西表島で虫を捕るつもりがウナギを釣ることになったり,車に乗って各地の甘い物の早食い対決をしたり,カブに乗って羽田から高知まで向かったり。西表島では「魚が逃げるから」という理由でライトを全て消した真っ暗な画面でタレントが寝っ転がりながら夜釣り(寝釣り,というかマジ寝)をしている(テロップしか見えない)という放送事故スレスレなことをやっていて,ううむこれはすげえなと唸らされた。

 

ところで私は会社のすぐ近くに住んでいるので昼休みにはよく帰宅している(その際の俊足さったらかなりのものだ)のだが,『水曜どうでしょう』は一話だいたい23分くらいなので,ご飯を食べながら見ていると時間的にちょうどよいのだ。昼休みは大泉洋さんとミスター,ディレクター陣との掛け合いに笑わされ,EDテーマ「1/6の夢旅人」に送り出されながら会社に戻る生活を送っている。道中「ぷっ……」と思い出し笑いしながら下を向いて歩いているのは言うに及ばずといったところだろう。

 

つい先日なんかは昼休みに『水曜どうでしょう』でひとしきり笑って会社に戻ったら,となりの部署にいるガタイのいいおっさんが水曜どうでしょうTシャツを着ていて,普通にお茶を吹きそうになってしまったし,なにやらひとりで感動してしまった。

 

で,『水曜どうでしょう』を見ていて,これまたいまさらながら気付いたことがある。

私はとにかくおしゃべりが好きだ。とりわけくっだらね~マジで何の意味もね~おしゃべりが死ぬほど好きだ。

 

水曜どうでしょうの掛け合いが好きだ。サンドウィッチマンのコントが好きだ。アンジャッシュのコントが好きだ。オードリーや星野源さんのオールナイトニッポンが好きだ。匿名ラジオ*1トークが好きだ。月ノ美兎*2トークが好きだ。

 

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学生の頃を思い返しても,一番楽しかったのは誰かとくだらないことを話している時だった。内容は何だっていい。くだらなければくだらないほどいい。どうでもよければどうでもよいほどいい。丁々発止の掛け合いができると,とにかく楽しかったものだ。

 

色々なことを思い返す。中学高校はテニス部や生徒会に入っていたが,それ以上にグダグダと教室でくだらない話をしていたことばかり思い出す。ただ,内容はほとんど思い返せない。どうせアニメとかゲームとか漫画とかの益体もない話に花を咲かせていただけなのだ。でも気がつくとすっかり時間が経っていて,帰ろうか,となる。テニス部は週何回来てもいいみたいな緩さがあったので入部したみたいなところもあるし,それよりもゲームセンターのクイズマジックアカデミーが忙しかったので,不真面目な部員だった。生徒会では会計を務めていたが,とにかく生徒会室に漫画をめちゃくちゃ持ち込んで読んでいた。……そういえばあれは処分されてしまったのだろうか。いまでは知るすべもない。

テスト期間は授業が午前で終わるから,サイゼリヤやガストに行って勉強会という名のおしゃべりを延々としていたり,テスト後の打ち上げは中華料理店でずっとおしゃべりしていたりと,いつもよりも多くおしゃべりしていた。いつもよりも多く笑った。その時間は全く何の意味もないが,とにかく楽しかったし,とても大事な時間だった。

 

大学に入ってもほとんどそんな感じだった。趣味の合うひとたちとのくっだらね~おしゃべり。部室に居座り,笑いすぎて過呼吸になるほどにいっぱい笑った。部活やボランティア活動に熱心に打ち込んだりしてるひとを尻目に,私は狭い部室でくだらない話をし続けて笑っていた。

確かに私は何かに熱心に打ち込んだりはできなかったけど,別にそれを後悔なんかしていないし,やりたくないことはやらなくていいと思う。色々活動を広げようと思った時期もあったが,結局自分には向いていないことも分かってしまった。別に打ち込めるものがなくたって,日常のくだらなさに面白さを見いだせれば,それって最高なんじゃない?

 

くだらね~ことが大好きという価値観は,いまも基本的に変わっていないんだろうなと思う。社会人になった私は,会社で隣の席の人(同い年・男)にめちゃくちゃちょっかいを出している。なんていうか,私がいる職場は基本的に一人の作業が多くて静かなので,そのうち飽きておしゃべりがしたくなってくるのだ。彼には好きな漫画を押し付け貸したり,わかりにくいうえにどうでもいい皮肉を言ったり,ハマっているゲームのキャラの魅力を延々と語ったりしている。彼は内心ウゼェな……と思っているのかもしれないが,いちいち彼が反応してくれるので話しかけてしまうのだ。ていうか自分で言うのもアレだが最後のは普通にウザいな。ちなみに最近は『素晴らしき日々』の橘希実香さんのよさを延々と話していた。

 

◯橘希実香さん

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今日はなぜだか忘れてしまったが拷問や処刑の話で盛り上がってしまった。冷静に考えて,隣の部署から「ファラリスの雄牛」とか「アイアンメイデン」とか聞こえてきたら普通に嫌だろうな。隣の部署の人たちすみません。

 

……あー,特にオチはない。タイトルは星野源さんの『くだらないの中に』から。まさにこのブログ記事のタイトルにピッタリだ。くだらないの中に大切なことがある。ところで意外と思われるだろうが,私はかなり星野源さんが好きだったりする。

まあ『水曜どうでしょう』もオチはないし,いいでしょ。 人生適当に生きましょう。

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人よ,幸福に生きよ! 

 

終わり。

 

 

*1:ARuFa氏とダ・ヴィンチ・恐山氏によるネットラジオ番組。全く無い話を「あるある~」と盛り上がる完全に虚無な空間が広がっている。

*2:バーチャルyoutuber。清楚な見た目と裏腹なオタクトークがウリ。企画力がすごい。可愛い

時には昔の話を

し前に大学の先輩たちと飲んだ時に話したことが,いまだに胸の中でリフレインしている。

「大学生には戻りたくないね。」「完全にそれ。」

 

世間的には「学生に戻りたい!」「あの頃はよかったなー!」という話はよく聞く。でも私は戻りたくなんかない。これっぽっちも。なんでだろう。

 

こんなこと言うと「イジメられてたの?」と心配されるかもしれないが,そんなことはなかった。そして,学生の頃がつまらなかったなんてことも全く無い。

確かに学生時代を通じて友人は少なかったが,友人が多い人間というものを根本的に信用していないので,その点では私は私を信用している。自己肯定は大事。

 

交友関係も含めたありとあらゆる関係において,薄っぺらい関係なら最初からいらんわ。というのが基本的なスタンスだった。最初っからそんなこと言わずに相手のことをもっと知れば仲良くなれたかもしれないじゃん!というのは確かに一つの真理だが,今回はご縁がなかったということで,また来世で。じゃーね。なんて考えている。

 

じゃあなんで学生の頃に戻りたくないのか。答えは明白だ。

 

あの頃常に頭にあった,「何かしなきゃ」「何者かにならなきゃ」と焦るばかりで,でも何もできずに腐っていく感じが,とても怖くて気持ち悪かったからだ。

頭に銃口を突きつけられているような恐怖感。いますぐ動き出さなきゃ死んじゃうんじゃないかという焦燥感。何かをしなければ,というマイナス方向の衝動にただ突き動かされていた。

 

その衝動は日に日に膨大していき,自由な時間が多い大学生の頃に極大値となった。そしてそれに突き動かされるままに,「これは私を変えてくれるかもしれない。」と思って色んなものに手を出した。とりあえず旅行して全国47都道府県を回ってみた。テニサーに入ってみた。色んな飲み会に参加してみた。意識高い講義に参加してみた。ボランティアもやってみた。NPOもやってみた。神信じてないから宗教とかはやってないけど,色んなことやってみた。

 

色んなことやってみた結果,どうだ?私は変わったか?否,何も変わってなどいない。何もできなかったし,何者にもなれなかった。結局のところどうしたって,魂の在り方は変えられやしないんだ。いくら経験を積んだからって,いくらインドに行ったからって人間の本質,魂の在り方は変えられない。ジタバタしてみたって仕方ない。私は友達100人出来ないし,仮に出来たとしても嬉しくもなんともないだろう。

 

じゃあ,こんな私に誰がした(昔のドラマではない)

 

それはまぎれもなく私だコブラではない)全責任は私にある。

 

いっそのこと,神様とやらをを信じられればよかったのだ。全責任を神になすりつけられればよかった。池袋のブックオフに宗教勧誘がよく出没することは有名だが,ご多分に漏れず私も勧誘されたことがある。人生に悩んでいるように見えたのだろうか。そしてなんか面白くなってしまい,勧誘のオッサンに連れられて一回喫茶店まで行ってみた。でも結局,終始「でも神いなくないですか?」と繰り返す私に嫌気が差したのか,オッサンは勧誘をあきらめた。コーヒー一杯で2時間くらい「神はいるのか」などと意味不明な問答を繰り返す経験は,後にも先にもないだろう。まあ加藤登紀子はコーヒー一杯で1日過ごしていたようだが……

 

愛なき時代に生まれたわけじゃないが,色々なものを信じることができずに生きるということは,それはそれで辛いものだ。

ただ一つ,確実に言えることは,ミステリーでの私の立ち位置は奇跡を起こす的なオッサンに「ふん!そんなもんはまやかしじゃわい!」と捨て台詞を残して後日遺体で発見されるやつということだ。

 

そう,私は私の責任のもと,何者にもなれなかった。そしてだからこそ,いまとなっては「何者かにならなきゃ」という余計な期待を抱くこともない。焦燥感もない。だからこそ,いまが心地よい。

それでいい。それでいいじゃないか。

 

タイトルは文中に書いた加藤登紀子の名曲・『時には昔の話を』から。

 

終わり。

夭逝はあきらめた

うせい【夭逝】

(名)スル

年若くして死ぬこと。若死に。夭折。「将来を期待されながらも-した」

 

大辞林第三版,三省堂,2006)

 

このブログでも折に触れて述べているように,私は今年で26歳になった。いわゆるアラサーである。そんな私も中学生くらいの頃には漠然と「25歳くらいまで生きられればそれでいいな」と考えていたし,「夭逝はカッコいい。長生きはダサい」とか「Don't trust over 30」とかなんとか言っていた。その理屈で言えば私はそろそろ死ななければならないわけだが,いまのところ死ぬ予定は全くない。少なくとも自死をする予定は。

 

「長生きはダサい」という感情を,中二病と言って切捨ててしまうのは簡単だ。口癖のように「死にて~」と言う若者だっていっぱいいるだろう。別にそれはそれで良いのだと思う。実際のところ本当に死ぬのはごくごく一部だし,大多数の死ななかったひとを「言ったからにはちゃんと死ねよ!」などと責めるべきではない。論理の一貫性と現実の正しさは必ずしも一致しないし,正論の刀は正論であるがゆえに常にひとを傷つける。

 

26歳になったもはや私は,夭逝をカッコいいとも思わないし,長生きをダサいとも思わない。それを私が年老いたからだと評価すべきなのかどうかはわからないが,結果として私は夭逝をあきらめ,「いま」を生きることを選んだ。過去でも未来でもなく,地に足の着いた「いま」を。

 

「いま」の地点から26年間を振り返ってみれば,とにかく私は逆張りに生きてきたようだ。本当は素直に生きたかったのだが,そのように生きてきてしまった。

 

小さい頃から子どもらしくない子どもだった。多数決でみんなが「A!」と元気よく手を挙げれば,特に理由もなく「B」と答えるような子どもだった。そしてBと答えてからそれを選んだ理由を考えるような子どもだったのだ。「みんなAって言うからB!」と答えるのではなく,理論武装をするあたりが嫌らしい。

 

逆張りもさることながら,すべての行為に理由を求めたがる子どもだった(これは今でもあまり変わっていない)。だからいまでもひとに「これをやって」と言われても「なんで」の部分がわからないと出来ない人間だ。同義語としては「めんどくさいやつ」というものが挙げられる。

 

小学生の頃,制服があった。「なんで制服を着なくちゃいけないの?」という疑問に大人は「ライカくんが入った学校に制服があるからだよ」としか答えてくれず,その不満はすぐさま「制服のない中学校に行きたい!」に繋がり,制服どころか校則すらない中高一貫男子校に入学した。私服を取る代わりに色んなものを失ってしまった気がするが,楽しかったし,それはそれで良いのだと思う。

大学に入っても「なんで興味のない講義に出なくちゃいけないの?」とか「なんでサークルのひとと一緒にごはん食べなきゃいけないの?」とか色々なことを考えていたら,キャンパスライフにおけるマジョリティーの輪からはじき出されるのはあっという間だった。そして「おまえらマジョリティーがそうするんだったら俺はよ……」という逆張り意識があったのは言うまでもない。だからどう過ごしたら楽しいかを自分で考えて,同じくマジョリティーから少し外れたひとたちと楽しく過ごした。それが悪いことだとは全く思っていないし,やっぱり楽しかった。

会社に入ると「なんで」が通用しない領域が増えてくる。学生の頃は意識しなかった,年長者の圧力に対して「なんで」を押し通そうとする勇気がいる。そしてそれと同時に,逆張りの意識がムクムクと頭をもたげてくるのだ。

前職で管理系の部門にいた時,社会人のシャツインしたワイシャツ+真っ黒いズボンの葬式みたいな組み合わせが大嫌いだった私は,せめてもの対抗意識として常にカーディガンを身に纏っていた。クールビズだろうが外気が35℃だろうがなんだろうが,カーディガンを羽織っていたのだ。先輩からは正気の沙汰ではないと言われたが,私は頑としてそれを着続けた。逆張りもそこまで来ると立派な気狂い(きぐるい)だ。

 

そうやって振り返ってみると,逆張り&理由付けが私の人生の指針なのだ,と思う。

元々私はすぐにひとからの言葉に病んでしまうような弱くてネガティブな人間だ。そもそも逆張りというのは多数派に与しない,ネガティブな行為を指すわけだし。生まれつきネガティブな人間だ。

そしてインターネットにはネガティブな意見が溢れている。「どうせ私なんか」「気持ち悪い」「不安だ」「意味ない」「死にたい」「つまらない」「帰りたい」「虚無だ」「バカだ」「鬱だ」とか。それらはポジティブな意見よりも圧倒的に多い。多数決を取ったらネガティブの方が多くの手が挙がるのだろう。

 

だからこそ,いまでは私は「ネガティブはダサい」と考えている。「みんなネガティブなんだったら,逆張りしてポジティブになるのがカッコいい」と。そういう逆張りのポジティブだってアリじゃないか。「いま」をポジティブに生きる。それ,とってもいいことなんじゃないの。

 

夭逝はあきらめた。逆張りでも何でもいいから,「いま」をポジティブに生ききってやろうと思った。

ところでそもそも「夭逝」というのはしばしば天才に対して使われる言葉であるところからして,あきらめるも何も凡才のアンタは……というのが実際のところなのだが,それはそれとして。

 

タイトルは南海キャンディーズ山ちゃん(山里亮太さん)の『天才はあきらめた』より。 

天才はあきらめた (朝日文庫)

天才はあきらめた (朝日文庫)

 

終わり~。 

気分はもう最低

は結局,自分の枠の中で生まれて死んでいくのだな,と思う。

いきなり主語がクソでかくて恐縮至極ではあるが(文字通り一文字目の主語がクソでかい),その「枠」が身体という牢獄であれ,思想という縛りであれ,くだらない人生観であれ,趣味嗜好であれなんであれ,人は自分だけの世界で死んでいく。自分だけの世界で生まれて,自分だけの大切な輝くものを抱えながら,自分だけで死んでいく。誰かと一緒にいたって,そういう意味で,人は死ぬまでひとりだ。

 

自分の隣の芝生が青いことは分かっていても,「みんな良ければ最高だね!」ではなく,「隣の青い芝生より自分の家の赤い芝生の方が面白い!」とか「青い芝生とかつまんないし攻撃してやる!」と考えたりする。これは動物の縄張り意識みたいなものなのだろうか。

 

ヘッセの『デミアン』の有名な台詞で「鳥は卵の中から抜け出ようと戦う。卵は世界だ。生まれようと欲するものは,一つの世界を破壊しなければならない」というものがある。しかし実際のところ,卵の中で腐って死んでいく鳥のなんと多いことか。卵,すなわち自分の枠から出ていくことは本当に難しいことなのだと思う。

 

これは自身にとっての戒めであるのだが,人はどうあがいたって自分の枠の中で死んでいくのに,そこに優劣をつけようとしても仕方ないだろうと思う。「私の方が優れている!」と言って,丸い枠と四角い枠を比べて優劣を競っても,そもそも形が違うものを競う意味がない。

 

さて,ここからめちゃくちゃ気持ち悪いことを言う。

 

私はオタクではあるが,どちらかと言えばサブカル寄りの人間だ。キャラクターの可愛さよりも物語の面白さや演出の良さで作品を選びたい。世の中に見たい作品は無数にあるので,キャラクターの可愛さだけの作品に時間を消費しているほどこちらは暇ではない,という気持ちが奥底にある。時間という有限なリソースをどのように配分するのが最適解なのか,ということばかり考えているのだ。

だから「とにかく可愛い女の子が出てくる漫画が好き!」とか「なにも考えずにボーッと見られるアニメが好き!」という人と話しても微妙に方向性が異なることが多い。そしてそういう時,私は心の中で「わかってねーなこいつ」とか「なんも考えずに作品を受容するなよ」とか思ってしまう。これは最悪だ。醜い心だ。悪しき心だ。

相手は自分の枠の中で純粋に楽しんでいる。別にいいじゃないかそれで。そう思おうとしても,「わかってねーなこいつ」の心が出てきてしまう。じゃあおまえは何を分かっていると言うのか。他人を見下して優越感に浸ろうとするな。

 

今日『イージー★ライダー』という映画を観た。どうでもいいけどこの「★」なんなんだ……。らき☆すた』と「つのだ☆ひろ」以外でこれを使うことがあるのか……。

広大なアメリカで,主人公たちは自由を求めてひたすらにバイクを走らせる。その中で ,以下のような印象的なシーンがあった。

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「自由の国,アメリカ」。誰もが一度は聞いたことのあるフレーズだろう。主人公たちも自由を求めて旅をしているが,その長髪や格好はアメリカの「伝統的な」価値観からの強い反発を受ける。「自由の国」であるアメリカで,どうして彼らが自由を求めちゃいけないのか?

曰く,「人々からは主人公たちが自由の象徴に見えるから」。彼らは何物にも縛られず,自分で生きているから。そして自由の象徴たる彼らを見ることで,そうなれない,しがらみだらけの自分たちを認識せざるを得なくなることが怖いから

 

はっとさせられた。私は,純粋にキャラクターを楽しんでいるオタクのことが怖かったんじゃないか?シナリオがどうとか演出がどうとかわけわかんないこと言って純粋に楽しめていない自分を認識せざるを得なくなることが怖くて,無理に優越感に浸ろうとしていたのではないか?そこには優劣なんか存在しないのに。

 

人は死ぬまでひとりだ。どうせ作り上げた「枠」の中で死んでいく。そして他人に迷惑をかけない限りにおいて,その枠を批判する権利は他人にはない。どっちの枠が優れているとか劣っているという話自体が筋違いだ。あまりにみっともなく,俗物的だ。最低だ。

 

書いてて「最低だ、俺って。」という気持ちになってきたので,このへんでやめておく。

タイトルは矢作俊彦大友克洋気分はもう戦争』から。最低なのでこのようなタイトルになった。

気分はもう戦争 (アクション・コミックス)

気分はもう戦争 (アクション・コミックス)

 

 終わり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

谷山浩子を聴け

きなりだが,みなさんは谷山浩子(敬称略)を聴く必要がある(食い気味)。

少し前にTwitterでは,「全オタクはこのミュージシャンを履修しろ!」的なやつをよく見かけた。ツイート製作者のとても熱い想いが,メモ帳スクショ4枚で怒涛のように伝わってくる。そこに挙げられていたミュージシャンは,ポルノグラフィティ天野月子奥華子などなど。ふむふむ。確かに私もすべて履修してきた。オタクが好む音楽性がだいたい同じなのはなかなか面白い。

 

ところで,声を大にして言いたい,全オタクは谷山浩子を聴けと。全オタクは谷山浩子を聴け!!!

 

つい先日,谷山浩子のコンサート「猫森集会2018」に参加してきた。谷山浩子は今年で62歳になる大ベテランで,昨年はデビュー45年記念のアルバムも出ている。必然的にファンの年齢層も高く,猫森集会でも40~50代の人が多かったように思う。

 

彼女の代表曲はNHKみんなのうたでも放送された「恋するニワトリ」「おはようクレヨン」「しっぽのきもち」などだろう。彼女の可愛らしい歌声がメルヘンな世界観をうまく作り上げている。このあたりの曲は谷山浩子の白い曲などと呼ばれたりしている。あとゲド戦記で印象的に使用された「テルーの唄」の作曲,変わりどころではヤマハ発動機社歌も歌っている。

 

◯恋するニワトリ

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鉄製の風見鶏に恋をしてしまったニワトリの歌。叶わぬ恋のはずが「ひとりでタマゴを産んだ」ニワトリにいろんな解釈を見出すタイプのオタクが散見される。

 

しっぽのきもち

大変可愛らしい歌。「しっぽしっぽしっぽよ~あなたのしっぽよ~」とリズムがよく,勝手に身体が踊りだしてしまうような陽気な歌だ。

 

 ヤマハ発動機社歌

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社歌が谷山浩子だったらテンション上がる。

 

て,さきほど谷山浩子の白い曲という話をした。白い曲があるということは当然,黒い曲もあるということだ。ということで,以下では谷山浩子嫉妬と情念と不条理と怨嗟と電波が渦巻いた黒い曲を紹介していく。

◯王国(『歪んだ王国』収録)

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谷山浩子の黒い曲の代表曲。

重々しいイントロからの歪んだ王国にぼくたちは住んでる」。他に誰もいない閉じたふたりだけの王国は,緩やかに終わっていく。他人を拒み,「翼ある鳥は翼をもぎ取れ 世界へと続く通路を閉ざせ全て」と言い放つふたり。永遠を目指して,外へと出ること/変化していくこと/大人になっていくことを拒むふたり。その先には一体何があるのだろうか。永遠なんてもの,あるわけないのに(ウテナじゃん)。

 

曲の終わり,「きみを永遠にぼくは愛し続ける きみだけをぼくは愛し続ける」のリフレインには狂気すら感じられる。きっとその王国は救われない。ふたりは幸せにはなれない。永遠なんてどこにもない。でもそんなことは関係ない。外野が何を言おうが関係ない。その声はふたりの耳には届かない。

 

私たちは誰も,ふたりだけの「王国」への通行許可証を持っていないのだから。

 

◯鳥籠姫(『しまうま』収録)

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しばしば女性版「王国」とも称される「鳥籠姫」。確かに「王国」はふたりを閉じ込めた王国を作った男の子の歌に,そして「鳥籠姫」は閉じ込められた女の子の歌に思える。ショックで自らを鳥籠のなかに閉じ込めてしまった,女の子の歌に。

 

「長い長い孤独の時 帰らぬ人を待ち続けて」

「海の見える丘の家に ほこりだけが静かに積もる」

「わたしはわたしをここに閉じ込めた」

 

大切な人を喪って,自らを鳥籠のなかに閉じ込めてしまった女の子。時は残酷に刻まれ続ける。でもふたりの時間は,もう止まったまま決して動くことはない。鳥籠姫は,鳥籠のなかに永遠にいる。幸せだった時間に思いを馳せつつ。

 

「わたしを作ったあなたの腕に 帰るその日をひとり待ちながら」

 

◯夜のブランコ(『夜のブランコ』収録)

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急にリアルな世界観になるのもまた谷山浩子の魅力だ。これは溢れ出る真っ黒く燃え上がる情念の歌。「やさしい人たちを裏切り嘘をついて 逃げ出して走ってきたの」「指輪は外してきて まぶしくて胸が痛い」,これはどう聴いたって不倫の歌。不倫は文化,と言っていた芸能人がいたが,後ろ暗さを抱えつつも情欲に突き進むしか無いという,ひとの情念に暗い火を着ける最良の着火剤であるのは間違いないだろう。

「愛なんて言葉忘れて 逢いに来て夜のブランコで待ってる」と危険な匂いの漂う言葉遊びも魅力的だ。もう帰れなくたっていい。あなたに壊されてもいい。こなごなにされてもいい。死んだっていい。理屈なんか要らない。これはそういう歌だ。

 

ただあなたのことが好きだから。

 

冷たい水の中をきみと歩いていく(『冷たい水の中をきみと歩いていく』収録)

このブログのタイトルにもなっている曲。あまりに美しく,儚く,滅びを歌い上げる。イントロの美しく透き通った旋律からの,透明感のある歌声。五感すべてが研ぎ澄まされるかのような感覚。

「ぼく」は何も望まない。水の中から見上げる光に,何を見出すのか。

「実らずに終わった恋」が「あんまりきれいなので ぼくの命も奪っていく」。「あんまり静かに輝くので ぼくの身体は壊れていく」。

 

美しすぎる「終わった恋」を胸にいだいたまま,「ぼく」は冷たい水の中に沈んで消えていく。

 

◯洗濯かご(『翼』収録)

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タイトルがあまりに生活感がありすぎてどんな曲かわからないと思うが,不倫の曲だ。しかもおそらくは,不倫をされる妻の歌

重々しいイントロ。呪詛のように,怨嗟のように綴られる言葉。タイトルからは想像もつかないおどろおどろしさ。洗濯かごって,つまらないものだ。そこには,つまらない日常が詰まっているとも言える。このタイトルを付けた谷山浩子は本当に天才だと思う。

 

「夜ごとベッドを抜け出して 息を殺して森の奥 あなたは誰を見つけたの?」。あなたはベッドを抜け出して,誰に会いに行っていたの?

「逃げるふたり靴を投げる 投げた靴がイバラになる」という歌詞は,まさに妻の心理的な視点だろう。不倫をしているふたりの逃避行。それは必要なはずの靴を投げるほど必死で,そしてそれはイバラとなってわたしを傷つける。なぜあなたはわたしを捨てたの?己を責め苛む。

曲の最後,「安いアパートのベランダで 洗濯かごを避けながら あなたは誰を抱きしめた」,はおそろしくて震えてしまう。もうベッドを抜け出すのではなく,相手を「わたしたちの愛の巣」である家に招いていて,わたしはそれに気付いている。どこまでもおどろおどろしく,歪んだ情念を感じずにはいられない。

 

わたしがいる(はずの)場所で,あなたは,わたし以外の誰を抱きしめたの?

 

カイの迷宮(『カイの迷宮』収録)

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雪の女王』をモチーフにしたアルバム。雪のように真っ白い情景が思い浮かぶイントロ。雪の中に閉じ込められてしまったような,カイという少年の永遠。

「ぼく」はただ見つめている。でも,一体何を?

「そしてぼくはひとりになって 忘れたことさえ忘れてしまった」

「ぼくのすみかは氷の下 誰かぼくを ぼくを見つけてくれ」

 

アルバム中に「カイの迷宮(文字のない図書館)」という短い曲がある。同じメロディだが,こちらの曲ではさらに繊細な印象を受ける。「自分のことを書いてみた 分厚い本すべてのページに 確かに書いたはずなのに ただ一枚白い紙だけが」

喪われてしまった記憶。自分が自分であることを確かめるために,「ぼく」は書く。そして書いたそばからすべては消えて行く。とても恐ろしいし気持ち悪い。

しかし。

 

「忘れたことさえ忘れてしま」えば,もう何も恐れることはない。

 

◯不眠の力(『ボクハ・キミガ・スキ』収録)

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ひとを好きになってしまい,夜眠れなくなってしまい,世界を滅ぼしてしまう女の子の歌。眠れないって恐ろしいね(棒読み)。

彼に対する思いが強すぎる女の子。その思いゆえに,世界を砂漠に変えて,海を枯らして,生き物を殺し尽くしてしまった女の子。彼との「一度だけの口づけの夢を叶える」ために,すべてを滅ぼしてしまった女の子。

そして破滅の願いは叶い,彼女は彼に口づけをすることができた。でも,もう思いは決して届かない。なぜなら,彼も彼女も死んでしまっているから。ただ,彼の「瞳の黒いガラスは静かにひび割れる」だけ。すべてが滅び,廃墟になった世界は,どんな思いをも届けてはくれない。

 

たとえ宇宙を滅ぼす力を手にしても,あなたには決して届かない。

 

◯ガラスの巨人(『水玉時間』収録)

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ガラスの巨人ってなんだろう。

巨人というのは脅威だ。進撃のアレではないが,その大きさは存在するだけで人類への脅威となる。一方で,その巨人はガラスで出来ている。繊細で脆く,割れてしまいやすいガラスで。それは自己矛盾とも言える存在で,存在そのものが破綻しているのだ。

 

曲の最後,

「悲しみが攻めてくるよ もっと大きくならなくちゃ」

悲しみが攻めてくるよ もっとひろがれぼくのからだ」のリフレインはグッとくる。

 なぜなら,「ガラスの巨人」は大きくなるほどにどんどん割れやすくなっていくのだから。でも大きくならなくちゃ,ひろがらなければその悲しみを防ぐことができない。とてつもなく大きく,でもとてつもなく脆いガラスの巨人。

 

はじめから矛盾した存在。ガラスの巨人。

 

◯まもるくん(『フィンランドはどこですか?』収録)

谷山浩子最強の電波曲。

ラムネの瓶にビー玉を落としたようなイントロ(通称:まもる音)で知られる。

まもるくんとは一体だれなのか。そもそもひとなのか。完全に投げっぱなしである。

「新宿の地下道の壁から出て」きたり,「警官の制服の肩から出て」きたり,「建売住宅の屋根から出て」くるまもるくん。「道行く人は誰も彼も見ないふり」をするまもるくん。……ナニモノ?

あえてコメントするのも野暮な感じがするが,まもるくんとは「監視カメラ(=監視社会の比喩)である」とか「社会を息苦しくするマナーである」みたいな解釈をよく見かける。

 

完全に謎である。

 

 

てさて,記事を書くのに思った以上に時間がかかってしまった。

結論は最初に言ったとおり。

 

全オタクは谷山浩子を聴け!

 

終わり。

 

月曜日の実験室

日,オードリー若林のエッセー『ナナメの夕暮れ』を読んだ。 特別何かが尖っていて心に刺さる!というわけではないが,私のようなタイプの人間は共感してしまうことが多い。

 

エッセーの内容としては,冷笑混じりで呼ばれる「自分探し」を40歳近くまで続け(ざるを得なかっ)た著者の,苦悩の解消について。そしてタイトルにもなっている「ナナメからモノを見てしまう」(=斜に構えてしまう)ネガティブな自分をただ変えたいと願うのではなく,他人をまずは肯定して,自分を肯定してみる……という「姿勢」についてだ。

 

言ってしまえばそんなのは,よく啓発本には書いてある内容だ。そしてデキる人からすれば言われるまでもない当たり前の話だ。だから啓発本はいつの時代もなくならない。それは一種の新興宗教だからだ。人の弱さにつけこんで,「こうすればいいんですよ」と解決策を提示しているように見えて,その実それを達成することがどれだけ難しいことか。その達成は到底困難なのに,「自分を変えたい」と救いを求めて教祖様が執筆した経典に群がる信者たち。これを宗教と言わず何と言おう。

ただ従来の宗教と違うのは,教祖様はとっかえひっかえされ日々消費されるし,経典は日々ダイヤモンド社やら日経BP社やらから発行されているということだ。極めて資本主義的・現代的・システマティックな宗教だ。「幸せになりたい/ポジティブになりたい」という教義のみは不変のようだが。

 

しかし,そんなありふれた話であったとしても,そんなことがデキない人というのが世の中にはいくらでも存在する。考えれば考えるほど思考の闇に落ち込んでいってしまい身体を縛り付けてしまうというタイプは,少なくとも私の周りにはいっぱいいる。オードリー若林もまさにそうだったようだ。教祖様の「啓発してやるよ!」という目線でなく,実体験として,そして切実な思いとして伝わってくる誠実さが好ましい。

ナナメの夕暮れ

ナナメの夕暮れ

 

 ついこの間,同様にオードリー若林の『社会人大学人見知り学部卒業見込』も読んでいた。

最近radikoでオードリーのオールナイトニッポンをよく聴いている。休日にごはんを作りながら流している。下ネタやら馬鹿な話やらくっだらねえ話ばっかりだが私はこういうのが大好きなのだ。 若林が意味わからない海の家で7万ぼったくられた話など,包丁持ったまま腹抱えて笑ってしまった。春日がめちゃくちゃエロくて若林がそれをイジるのも見ててホッコリする。

radiko.jp

 ていうか,そう。

最近のライカさん,オードリー(特に若林)にハマっている。

いやまあそれだけなんだけど。

 

前職の後輩でオードリーが好きというやつがいた。その時にオードリーがオールナイトニッポンをやっているという話を聞き,「なんだよ,おまえサブカルオシャレクソ野郎じゃねぇかよ」と嫌悪感をあらわにしてしまった。オードリーのことをよく知らなかったのだが,オールナイトニッポンサブカルだと思いこんでいたため(偏見),そしてその後輩がイケメンだったため(最悪),なんとなく嫌悪の対象となってしまっていた。心のせまさヤバくないか……?

ところでライカさんはサブカル野郎をいつも否定しているのだが,そろそろ自分もただのサブカル野郎であることを「肯定」しなくちゃいけない。

 

ところで,ライカさんはバーチャルYouTuber月ノ美兎(委員長)に割と前からハマっていてよく見ている。彼女は見た目もさることながら,トークが軽妙でとても面白いのだ。そんな彼女がやっているラジオ形式の生放送月ノ美兎の放課後ラジオ:みとらじ」に誰かが「オードリーのオールナイトニッポンっぽい」とコメントしていたのだ。

twitter.com

そこで,いままでなんとなく「うわーサブカル野郎!!サブイボが出るから近寄らないで~!!!」とか言って遠ざけていた「オードリーのオールナイトニッポン」を聴いてみたのだ。

 

面白かった。素直に面白かった。んでハマった。

 

……そうなのだ。昔っからこうなのだ。ディズニーランドが楽しい!と素直にはしゃげない人間だった。行く前にサークルの友人らにさんざん「ディズニーの”シマ”とったるわ!(当時ヤクザ映画にハマっていた)」「わしら鉄砲玉ですけんのお!」とバカ丸出しでイキリまくったは良いものの,結局エレクトリカルパレードに一番目を輝かせていたのはライカさんだったと後から笑われた。タワー・オブ・テラーの冒頭のシリキ・ウトゥンドゥでめちゃくちゃはしゃいでいたのはライカさんだった。そういう人間なのだ。

 

なんでも偏見を持っちゃダメという気づき。口に出して言うのは簡単だが,本当にそれは大切で,偏見は目のフィルターを曇らせて人生の可能性をせばめてしまう。文字通り色眼鏡で世の中を見ると,どうしたって斜に構えて,ナナメに見てしまう。

 

でもそんなのってツマンナイ。一度きりの人生なんだから,ツマンナイ偏見なんて捨てて楽しく生きたほうがお得じゃん。若林は40歳近くでそれに気付いたと言っている。ライカさんは若林よりも10年早くそれに気付けたんだ。そう胸を張って,まずは動き出そう。

 

前半と後半でテーマがだいぶ変わっちゃったけど,まあいいや。

タイトルは今日サイン会&トークイベントに参加してきた西島大介先生の『土曜日の実験室』から。めちゃくちゃ面白いからサブカル好きは読むべき。ライカさんも勿論サブカル好きなので読んだ。自分を肯定していくスタイル。

土曜日の実験室―詩と批評とあと何か (Infas books)

土曜日の実験室―詩と批評とあと何か (Infas books)

 

 おわり~

男のケモノ飯

獣だ獣。今日はけものフレンズ,ではなく獣のことを書いていく。 

最近平日の昼休みは,行きつけの近所の鮮魚店で魚弁当を買って家で食べることが多い。私は会社から徒歩5分のところに住んでいるため,地の利を得ているのだ。ところで,鮮魚店がやってる魚弁当というのはなんであんなに美味いんだろう。さばの味噌煮,サケの塩麹穴子の煮付け,マグロの漬け……レパートリーも大変に豊富だ。

その店の難点としては,どんなに早く行っても店主のおじさんに「あーごめんね!今日はもうさばの味噌煮しかないんだ!!」とか言われることだ。だいたい二,三種類しか残っていない。12時05分でその有様って,どんだけ早く買い占めていくんだよクソ。いつか真相を確かめてやるぞと会社から脱兎のごとく向かいつつ,今日もまた「あーごめんね!」を聞くことになる。くそう。

 

余談だが,「魚屋」というのは差別用語になってしまうようだ。魚屋に限らず,八百屋や床屋も同じで,それぞれ青果店とか理髪店とか言いかえられている。「~屋」というのは一般的に差別用語とされているのだが,「政治屋」とか「ブン屋」とかはちょっとそんな気もするけど,魚屋とか八百屋は別にどうとも思わない。誰が決めているのかよくわからない差別用語というのはいっぱいあるわけだ。

 

さて,魚弁当を片手にぶら下げて帰宅すると,まず真っ先にパソコンの電源を着けてニコニコ動画を開く。そして料理動画を見ながらおもむろに魚弁当を食べはじめる。

 

これはいつも見てる動画のシリーズ「結月ゆかりのお腹が空いたので」

季節の素材を買ってきて料理する様子をVOICEROIDの結月ゆかりが読み上げる動画なのだが,とにかく製作者の料理の腕が半端なく,とにかく出てくる食事が美味しそうなの素晴らしい動画なのだ。そしてその料理したごはんを食べながらの食レポも聞き応えがあり,楽しい。美味しいごはんを一瞬で平らげるゆかりさんも可愛い。540円で買ってきたサケの塩麹弁当も,心なしか普段の2割増しで美味しくなる。正統派にごはんが美味しくなる動画なのだ。

 

また,これもいつも見てる動画のシリーズ「アル中カラカラ」

「アル中カラカラってなんぞや?」と思う方もいるだろうが,要するにおっさんがハイボールを排水口のようなズッ!という汚い音を立てて飲みまくり,グラスに残った氷をカラカラさせるという地獄みたいな動画なのだ。この動画はどう見てもただの生焼けのクソ汚い肉を「ローストビーフ」と言い張って食べながら,ハイボールズッ!と飲むだけという虚無な内容だ(お腹を壊したというオチが付いていて素晴らしい)。しかしなぜだか,540円で買ってきたサケの塩麹弁当はやっぱり心なしか普段の2割増しで美味しくなってしまう。悔しい。あとBGMが常にアイマスのテッテッテーテッテッテテーなのがまた製作者の年齢を感じさせて泣けてくる。色々な意味でお涙頂戴の感動動画なのだ。

 

さて,動画の話はそのへんにしておく。つい最近,中高の友人と桜鍋のお店に行ってきた。吉原のすぐそばにあるお店なので,往時は遊郭に立ち寄った客が来ていたのではないだろうか。馬肉はスッキリとしているが癖はなく旨味が強く,卵に絡めるといくらでも米が進むという具合だ。ビールもグイグイ進む。

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私は獣肉が割と好きで,定期的に食べたくなる。しかし性格が悪いオタクなので,「ジビエ」と言われると「うるせぇ,横文字でしゃらくせぇこと言ってんじゃねぇぞ!獣だろうが!!」となってしまう複雑な側面もある。

 

大学の近くには獣肉で有名な「米とサーカス」という店もあった。ここで提供しているラクダや虫は食べたこと無いのだが,月ノ美兎委員長もクリオネ食ってるし,もっとアグレッシブに行くべきかもしれない。いつか行こう。いつか……(あまり乗り気じゃない時の顔をしている)

tabelog.com

 

両国にある「山くじら ももんじ屋」。前職で上司に連れて行ってもらった店だ。ここではイノシシやクマを腹いっぱい食べた。イノシシ鍋は身が締まっていて美味しかったが,クマ汁は若干クセがあった。なんていうか獣。って言う感じ。ちなみに「山くじら」というのはイノシシのことだって。山でクジラがザバーンってしてるみたいで,なんだか可愛い。

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個人的には獣の戦闘力(獣感)ってウサギ<ワニ<馬<鹿<イノシシ<<(越えられない壁)<<クマだと思ってる。ウサギとかワニとか,言われなきゃ鶏肉だと思って食っちゃうし。大切なことなので二回言うと,クマは割と獣。

 

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「ももんじ屋」は店先にイノシシの剥製がぶら下がっているのでギョッとする。

 

あとめちゃくちゃしょぼいことを言ってしまえば,獣肉を出している店の雰囲気が好きというのもある。だいたいこういう店ってのは,重々しい店構え,畳には掘りごたつ,額縁に入った由緒有りげな書,そして謎のオブジェクトが飾られていると相場が決まっているのだ。特に最後が最も大切だ。右の写真の謎オブジェクト・クソデカ和太鼓はマジで謎なので,特に気に入っている。

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なんか最後のとこだけ見ると雰囲気がいいお店が好き!とか言ってるだけのバカみたいな記事になってしまったような気がしないでもないが,自分で書いててお腹が空いてきてしまったのでこのへんでやめておく。なんというセルフ飯テロ。

 

タイトルは岡崎京子の『女のケモノ道』から。

女のケモノ道

女のケモノ道

 

 おわりー。

終わりしメシの標べに

花のズボラ飯』『甘々と稲妻』『ラーメン大好き小泉さん』『めしにしましょう』『侠飯』『めしぬま。』『くーねるまるた』……ここ数年メシの漫画が流行り続けている。ブームの火付け役がなんなのかはわからないが,やはり『孤独のグルメ』の影響は大きいんだろうなーなんて思う。

 

ちなみにライカさんは個人的には『高杉さん家のおべんとう』が好きだ。この漫画は女の子を引き取った主人公たちがおべんとうを通じて成長していく物語だが,主人公が地理学のオーバードクターなのでしばしば地理学の話題が出てきて楽しい。日本地理学賞を受賞しているというのも変わってて面白い。

 なんで急にメシの話をしたかというと,最近ライカさんが家でよくごはんを作っているからというだけだ。6月から一人暮らしを始めたが,それまではほとんど料理をしたことがなかった。

 

 ただ小さい頃からメシ漫画は好きだったので,メシについてのムダな知識はやたらとあった。そのムダな知識のソースは『美味しんぼ』である。

 

 美味しんぼは後半はすっかり意味不明になってしまったが,初期の美味しんぼ手をつないでテレポートするとか結構ぶっ飛んでた。あと山岡はアウトローっぽくてかっこよかったし,栗田さんは可愛かった。

とにかく『美味しんぼ』を読むことで,魯山人風すき焼き以外はクソ」とか「バラの上に乗った水は美味しい」とか「(四万十川産でない)山岡さんの鮎はカス」とか,およそ一生活きることのないムダ知識のみはたくさん身につけていた。

 

それまでに作ったものといえば,サークルでシャケから作ったかまぼこ(ゲロを吐きそうになるくらいに不味かった。臭くて食えたもんじゃない。産業廃棄物)とか,

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サークルで行った奄美大島で釣ったよくわかんない魚をさばいた(衛生観念がまるでないバカ集団なのでわさびで殺菌とか言ってた)とかそんなもんしかない。

 

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そんななか,今日作ったごはんがこちら。刮目せよ!!(ユースケ・サンタマリアのアレ)

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「鳥のもも肉とネギ,エリンギ,ピーマンの味噌バター炒め」「南瓜のいとこ煮」「レタスとわかめのサラダ」である。意外に悪くないでしょう?

お世辞にも綺麗な見た目とは言えないが,味は美味しかった。自分で言うのも何だが正直めちゃくちゃ美味しかったのだ。

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これはちょっと前に焼いた秋刀魚だが,自分がこんなまともな料理が作れるとは思っていなかったのでなんだか感動してしまった。良い焼き色でしょう。

 

つらつらと書き始めたので特にオチはない。

イカさんが大好きな漫画家の久米田康治先生も,最後のコマで「オチろ」みたいなこと言って無理やりオチをつけていた。若しくは唐突な下ネタだったり。これはそのリスペクトである。タイトルは安部公房氏の『終わりし道の標べに』より。

かってに改蔵(1) (少年サンデーコミックス)

かってに改蔵(1) (少年サンデーコミックス)

 
終りし道の標べに (講談社文芸文庫)

終りし道の標べに (講談社文芸文庫)

 

終わり。

 

 

 

これからの漫画の話をしよう

タイトルのまんまだが漫画の話をしていく。

 

ジムから帰ってきて風呂入って最高のビールを飲みながらこれを書いている。私はビールは基本的にエビスしか飲みたくないタイプ(しゃらくせぇタイプ)。それはさておき今日はいきなり本題に入る。自分で言うのも何だがしゃらくせぇタイトルをつけてしまったものだ。言うまでもないがマイケル・サンデルのアレからタイトルつけてる。あれ汎用性高いから。ちなみにこれは書評というか読んだ本の感想なので,特にこれからの漫画の話はしない。タイトル詐欺だがあしからずご了承いただきたい。

 

最初は好きな漫画でのランキングを考えていたが,正直ランク付けとかできなくって苦しんだので,思い切って好きな漫画3選を紹介することにした。3選って少なくね?とか言わない。最初は5選で書いていたんだけどマジで終わらなくなってきたので急遽減らしたのだ。長すぎたのでだいぶ削った。それでもちょっと長いけど暇な時にでも読んでくれ。

 

題して

「好きな漫画3選!!」(クソタイトル)

 

 ①蟹に誘われて(panpanya 

蟹に誘われて

蟹に誘われて

 

 panpanya先生はすごい。正直いま単行本として書店に出ている『足摺水族館』『蟹に誘われて』『枕魚』『動物たち』『二匹目の金魚』どれも大好きなので正直選べない。誰だ好きな漫画3選なんて言ったのは。好きな漫画家3選とかにすりゃあよかったのに(正直好きな漫画家3選は一人ひとりについてすごい量になってしまい書ききれる気がしないのでやめた)。

 

この漫画のなにがすごいかって,やっぱり「世界観」だ。ちょっとぼんやりとしたタッチで描かれた主人公の女の子と緻密に描き込まれた風景。その対比でキャラクタが浮き上がって前景化しているのが面白い。あくまで風景と人物は異なるレイヤーに存在していて,どこか現実感のない夢のような曖昧な世界であるということを示唆しているようだ。

 

表題作『蟹に誘われて』は住宅街にいきなり蟹がいて,なぜだか足の早い蟹を追いかけていくうちに知らない道に出てしまう……という話。そして相変わらず蟹は凄まじくリアルに描かれているのだが,最後主人公が蟹に追いついて捕まえる時だけ主人公と同じテイストになるのもまた面白い。そしてオチもまた秀逸である。

 

初めて読んだ時,安部公房の『鞄』(短編集『笑う月』に収録)を思い出した。こちらは重たい鞄があるために歩けない道がたくさん現れて頭の中の地図がずたずたに寸断されてしまう……という話だ。いずれの作品でも慣れ親しんだ(はずの)ものによって,一瞬にして日常が非日常に転落する面白さ・おかしさを夢のような作風で描いている。『蟹に誘われて』の蟹も『鞄』の鞄も,『不思議の国のアリス』の白うさぎのような水先案内人の役割を担っている。

笑う月 (新潮文庫)

笑う月 (新潮文庫)

 

あと初めてpanpanya先生の作品を読んだ時に「初期の模造クリスタルっぽいな……」と思ったのだが,それは独特の台詞回しも影響しているだろう。

 

『蟹に誘われて』で蟹を追いかける主人公の台詞で以下のようなものがある。

 

「どこに通じているのやら 知ったことか!」

 

自分の言葉を「知ったことか!」ですべてをぶん投げる感じは模造クリスタルっぽさが溢れている。模造クリスタルは『ミッションちゃんの大冒険』『金魚王国の崩壊』などのweb漫画で知られているサークルだ。『金魚王国の崩壊』はいまだに更新がされ続けているのでいつか単行本化されてほしい。絶対に買うので。商業でも『スペクトラルウィザード』を始めとした単行本が出ている。

www.mozocry.com

スペクトラルウィザード

スペクトラルウィザード

 

 さて, panpanya先生はもともとリトルプレス作品を発表していたようで,装丁にもかなりこだわりが感じられる。カバー裏などちょっと感動すら覚える。これは紙で単行本を買うメリットだ。『日本のZINEについて知ってることすべて』という本でもpanpanya先生が紹介されていた。

 ところで『蟹に誘われて』は漫画なのに索引がついている。おばあちゃんが意味不明なものをくれる『わからなかった思い出』という話に出てくる「ソムベーソバイ」やら「オロコッパーヘンデルモルゲン」も載っていて意味不明である。「いやいやそれ要らなくね?」というツッコミも含めて一つの作品として完成している。こういう「遊び」が随所に感じられるのも魅力だ。

 

夢のような摩訶不思議な世界というのは完全な異世界・非日常とは限らず,いまいる日常の紙一重で存在している……という感覚を味わえる作品だ。

 

 ②ちーちゃんはちょっと足りない阿部共実

 阿部共実先生の作品はとにかく心に刺さる。劇薬だ。心が弱っている時には読まないようにしている。灰色の日常/私たちは何も持ってない(から)/ここではないどこかへ行きたいけど/でもどこにも行けないということを徹底して描いている。

 

阿部共実先生の作品の魅力は大きくニつに分けられると思っている。一つは前述の灰色の日常の表現力,もう一つは言葉を手繰ったポエティックな表現力で,その二つが絶妙なバランスで共存している。『月曜日の友達』はとても名作だが,後者よりの作品だと思う。『空が灰色だから』は一話完結で,回によってそのバランスは大きく異なる。最終回『歩み』は前者にステータスを全振りしたような回で,歴史に名を残すレベルのトラウマものだ。

うん。わかってた。

グサッ!!!(心が死んじゃった音)

月曜日の友達 1 (ビッグコミックス)

月曜日の友達 1 (ビッグコミックス)

 

 その中でも前者の「どうしようもなさ」を煮詰めたような作品が『ちーちゃんはちょっと足りない』。ポップな表紙だが,内容はズシッとくる。何か大きな出来事が起こるわけでも世界が終わるわけでもない。誰かが死ぬわけでもない。じゃあ何があるのか?それは,日常だ。どこまでも日常。

 

団地住まいの主人公・ナツはぼんやりと毎日を過ごしていて,やりたいこともない。「なにかがちょっと足りない」と感じているが,努力をするのも面倒くさいという内向的なイマドキの若者だ。ナツは「ちょっと(頭が)足りない」友達のちーちゃんとしっかり者の旭と三人でつるんで「なにかがちょっと足りない」日常をダラダラと過ごしていた。そんなある日ちーちゃんが事件が起こす。それは日常の延長線で起こりそうな事件だが,それをきっかけに,ナツの「なにかがちょっと足りない」日常はおかしくなっていく。

 

この作品ではナツのモノローグがとにかく多い。内向的なナツは行動には出ないものの色々なことを考える。前に進んでいく友人たちと進めない自分を比べて,どんどん思考の闇に沈んでいくシーンは圧巻だ。

ちょっとくらい

ちょっとくらい

恵まれたって

いいでしょ私たち

私は何もしない

ただの静かなクズだ

みんな変わっていくよ

私は変われないよ

置いていかないでよ

ずっと一緒にいようよ

ずっとずっとずっと

 タイトルになっている「ちーちゃん」とナツは昔からの仲良し。ちーちゃんは身長も体重も知力も小学生のような子どもで家も貧しい。ナツとちーちゃんが一緒にいるのはなぜなのか。なんにもない日常の中で描かれていた「友情」の正体がだんだんと明らかになっていく。

 

周りはみんな前に進んでいく。ナツは前に進めるのか。それとも相変わらず同じところに留まっているだけなのか。その解釈は読み手に委ねられているが,ぱっと見感動的にも見えるラストのシーンは大変示唆的だ。

 

ちーちゃんはちょっと足りない』は一見キャッチャーなように見えて,ひとの心の闇を容赦なく暴き出している大変な名作だ。

 

 ③レッド(山本直樹

最近完結した『レッド』。この漫画は有名なあさま山荘事件を起こした連合赤軍を追ったドキュメンタリータッチの漫画だ。東大の安田講堂陥落以降,日本の学生運動が下火になっていったあたりからこの物語は始まる。そしてあさま山荘事件でこの物語は終わる。これほど有名な事件だし,結末はみんな分かっていてもそれでもやはりグイと惹きつけられるのは山本直樹先生の筆致と透徹した表現力の妙だろうか。

 

これは色んなことに対して言えるが,何かが下火になって多くの人の心が離れていってしまうと残った人は人心を集めようと躍起になってやばい行動に出がちだ。主人公たちも「いまの生ぬるいやり方じゃ人を惹きつけられない!」という思考ばかりがどんどんエスカレートしていった結果,仲間内でリンチ殺人を起こしたりあさま山荘事件を起こしたりしていった。

 

「上滑りする思考」が閉鎖空間で醸造されて行った結果,普通だったら考えられない狂気に満ちた行動に出てしまう。「総括」という名のリンチで容易に仲間を殺していく。国を良くしたいという純粋な思いから出発して,結果的には歴史に名を残す大きな罪を犯してしまった登場人物たちを,山本直樹先生は同情するでも感心するでも非難するでもなく,それを評価しない透徹した眼差しで描いている。

 

長くなるのでほどほどにするが,この「透徹した眼差し」とは「自己の徹底的な他者化」だと思っている(これに似たことがロバート・キャパの自伝『ちょっとピンぼけ』と西島大介の『ディエンビエンフー』にも書いてあったので興味ある人は読んでみて)。つまり作者の感情移入が見えないし作者の存在も感じられず,淡々と客観的出来事だけが描かれているように見えるということだ。そして,それ故にこの作品は狂気を描き切ることが出来ているのだと思う。

 

*補足:ロバート・キャパは恐らく世界で一番有名な戦場カメラマンで,戦場で亡くなった。2年前にそのことをブログで書いたことがあるので,良ければそちらもぜひ読んでみて。

trush-key.hatenablog.com

ちょっとピンぼけ (文春文庫)

ちょっとピンぼけ (文春文庫)

 
ディエンビエンフー 1 (IKKI COMICS)

ディエンビエンフー 1 (IKKI COMICS)

 

まとめると,淡々と描かれた人間の狂気・怖さがこの作品の一番の魅力だ。

 

 あとこの作品ですごいのはよく見ると登場人物の近くに丸数字が振られていること。これは何かと言うと,死ぬ順番を表している。すごい。そんなのゴーリーの『ギャシュリークラムのちびっ子たち』でしか見たことねぇよ。あれはアルファベットだけど。

ギャシュリークラムのちびっ子たち―または遠出のあとで

ギャシュリークラムのちびっ子たち―または遠出のあとで

 

 

あー疲れた。ひとまずは3選書いてみたが,それだけでかなり大変だった。すぐ話が逸れて余計な話をしてしまうからなんだけど,まあそれは仕方ないので。

 ビールもなくなったので終わり。