思い返すことなど(1.5)
前回からかなり時間が空いてしまったが、書いていきたい。
というか、日常編だけで相当の分量になってしまうような気がする。
第2回は「学園祭編」を予定していたが、前回で完全に紙幅が尽きてしまった(「紙幅が尽きてしまった」と言いたいだけ)ので、まだまだ日常編が続く。特に誰も読んでいないブログなので勝手気ままに続ける。
どうでもいいが、このブログを始めてから3年くらい経つのだが、コメントが付いたことはついに一度もない。
だが、アクセス数を見ると、たまにこのブログを訪れているひとがいるらしい。ありがちなタイトルのブログなので、検索で間違ってたどり着いているのだろうか。
日常編
家に何度も遊びに行ったことを思い返した。
Mは漫画が好きで、家には漫画が溢れかえっていた。驚いたのは、成人向け漫画がそこらへんに散らかっていたことだ。
母親や妹も「早く片付けなさいよ」と言っていて、なにやら懐の深い家族だな…などと感じたりした。
Mの名誉のために言っておくが、だいたいいつもこんな感じだ。待ち合わせで1時間以上遅れてきて、平気で「個室ビデオで致してきた」とか言ってくるのだ。あ、名誉のためではなかったか。
Mは運動部にもかかわらずオタク趣味にも妙に通じていた。最近は遠ざかっているようだが、当時は漫画・アニメ・ゲームのことだったらかなり詳しかったのではないだろうか。道満晴明やら駕籠真太郎、松本大洋など「サブカル」感のあるものをよく知っていた。Fate/staynightのエロシーンにいきりたち、画面に中指を立ててる写真を送りつけられた気がする。
コミケにも行っていた。わたしはめんどくさくて行かなかったので、コミケ帰りのMらと秋葉原で合流(だいたいモスバーガー)してその場で同人誌の検分を行うという、コミケ当日ならではの地獄のような光景を繰り広げていた。
旅行にいくときも、いわゆる「聖地」を訪れることが何度もあった。詳しくは「旅行編」にて記述するが、例えば尾道では「かみちゅ!」、西宮では「涼宮ハルヒの憂鬱」、白川郷では「ひぐらしのなく頃に」と言った具合だ。
話が出たついでに。秋葉原はMとの思い出を振り返る上で欠かせない場所である。
初めて行ったのは中2か中3の頃だと思う。この頃は目に見えるすべてのものが新しく、輝いて見えていた。「あきばお~」、「ドネルケバブ」、「とらのあな」、「アニメイト」、「メロンブックス」、「MAD(変な店)」、「三月兎」、「武器屋」、「アソビットシティ」…数限りない。
特に「あきばお~」「三月兎」は、秋葉原に馴染みの深い方ならよく知っているだろうが、パチもんっぽいものをいろいろ売っている。今思えば可愛いものだが、PSPのメモリースティックなんかも大容量の高いものをこういう店で買っていた。16GBなど?いまでは鼻で笑われそうなものである。
中学生の頃のわたしたちはそういう「アングラ」なものに惹かれた。
「九龍城」という、中国製のパチもんゲームショップがあった。「Wiiっぽいなにか」「プレステっぽいなにか」を初めて目にしたわたしはとてもワクワクした。アングラな空気ってステキ、そういうミーハー精神旺盛なお年頃だったのだ。
「マジカル上海」というマジコンショップがあった。結局わたしはマジコンは使わなかった(というかDSをあまりやらなかったので用途がなかった)が、「M3」というものが大量に流通し、その後規制されたようだ。「マジカル上海」もいかにもなアングラな店だった。閉店したあと「マジカル上海ターボ」として一旦復活したが、再度閉店したようである。いまは近くに有名な牛カツのお店があるようでよく人が並んでいる。「九龍城」も「マジカル上海」もいまは存在しない。
ちなみに、加藤智大による秋葉原通り魔事件が2008年6月に起きているが、それ以前と以降の秋葉原は大きく様変わりした。
これはわたしなぞが書くまでもなく、すでに様々なところで書かれたことだと思うが、ストリートパフォーマンスのようなものは大きく規制されることになった。アキバblogさんらへんの当時の記事を見ていただければその様子はよく分かるだろう(参考:http://www.akibablog.net/archives/2008/03/akihabara-080324.html)。
そういえば、どこかでアキバblogにわたしが載ったらしいが、当時関心がなくあまり見なかったのでどこなのかよくわからない。当時、アキバ四天王なるものがおり、わたしが載った記事はアキバ四天王のハルヒと軍服を着たオタクが警察とバトルをしており、わたしとMが歩いていたらなぜかオタクのデモを先導するかたちになってしまって焦ったような記事だった気がするが、9年までのことでもあり記憶が曖昧である。わたしはこのとき、高1だった。
秋葉原通り魔事件の日、わたしは駿台予備校かなにかの模試を受けていた。その後でMの家に遊びに行った。
数人でスマブラをしたりしていたところ、テレビが騒がしい。なんだなんだ、とテレビを見ると秋葉原通り魔事件の報道をやっていた。見慣れた場所。そこにトラックが突っ込み、ナイフで死傷者が出ている。大変驚いた。日が違えばわたしも秋葉原にいた可能性は大いにあったのだ。ちなみにMは、わたしたちを駅まで送ってくれて、その後で深夜の秋葉原の事件現場ちかくまで行ってきたらしい。無論、警察が張っていて近寄れなかったようだが。
この街はいまでは様変わりしてしまったが、当時のわたしたちにとっては大切な街だった。
Mは音楽にも詳しかった。わたしはいろんなことをMに教えてもらった部分もある。
洋楽・邦楽問わず詳しかった。アニメソング・同人ソングも勿論詳しかった。
東方アレンジの石鹸屋やビートまりおのライブも行っていたようである。わたしはライブには関心がないので行ったことがない。
「SoundHorizon(通称サンホラ)」というグループは、いまでは主催者のRevo氏が紅白に出るくらいに有名になったが、これもMから教えてもらった。中2~3、「そういう時期」まっさかりだ。どっぷりとハマった。考察サイトを日々巡り、この歌詞の意味は…などとやっていた。初めて聴いたのは「Ark」で、あまりの衝撃にiPodに入れて池袋東口の交番前でずっと放心状態で聴いていたのをよく覚えている。そもそもMはなぜサンホラを知っていたのだろうか。よくわからないが、無事「布教」されたというわけだ。
どうしても文化系のネタに寄ってしまう。実はわたしは中高硬式テニス部なのだが、限りなく文化系に近い運動部だった。
Mは体育が得意だったので、運動関係のこともいろいろやっていたのだろうが、そこはわたしにはわからない。
これでだいたい書けた気がする。
次回、「学園祭編」。