冷たい水の中をきみと歩いていく

平坦な戦場で生き延びること

櫛の歯が欠けたように

櫛の歯が欠けたようにという言葉がある

あるべきものがところどころ抜けている様子といった意味だ

今日、散歩をしていたら家の近所に空き地ができていた

何の変哲も無い空き地だが、ここはもともと何だったのだろう

お店があったという記憶はないからたぶん家があったのだろう

自分ではない誰かの帰るべき家がそこにはかつてあったのだ

しかしわたしは何もわからない、何も覚えていない

そこにどんな家族が息づいていたのか、どんな暮らしがあったのか、何をして日々楽しんでいたのか、そして、どうして帰るべき家は無くなってしまったのか

何もわからない

何もわからないまま、櫛の歯が欠けるように、穴が開いて行く

スプロール現象というものがある

学校の地理の授業で習ったひとも多いだろうが、無計画なまずい都市開発のもとに都市がどんどん広がってしまい、開発地区と未開発地区が混合した虫食い状態を指す現象だ

これは実は個人にも当てはまるのだ、とわたしは思う

無計画なままに無秩序に人間関係を広げて行くあまり、既存の人間関係がどんどん空虚なものになっていき、穴だらけになって行く

その挙句、そこには何も残らない

スプロール現象が起きた都市計画は失敗だが、それも個人に当てはまることだ

岡崎京子の『ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね』という作品集がある

その中に「もう彼らは人生の時間の中で出会う人の量が飽和したのだ」という一節がある

なるほどな、と感じる

その閾値は人によってバラバラで、容量が大きいひともいれば小さいひともいる

貴方はどうですか?

その閾値を超えた関係は櫛の歯が欠けたように抜け落ちて行くのだと考えれば、何も不自然なことはないのかもしれない

それでは、さようなら