冷たい水の中をきみと歩いていく

平坦な戦場で生き延びること

送電ロス

思考は言語化するにあたりロスが生まれる

「そんな酷い言い方ってないよ」「うわべだけ取り繕えばいいってもんじゃないよ」

 

それは送電ロスのようなもので避けられないのかもしれない

「言ってくれなきゃ分からないよ」「そんなの言わなくても分かってよ」

 

思考をそのまま出力できればひととわかりあえるかもしれない

「貴方の言葉は嘘ばっかりだね」「本当の言葉はいつだってわたしを傷つけるんだよ」

 

誰もいない海で砂を噛みながら

「なんか言ってよ」「ねえ」

 

 

 

 

転職のこと。

こんばんは。こまです。

いまはツイッターでは「ライカ」でやってるからそろそろこっちの名前も変えたほうがいい気がしてきました。気がしてきただけですが……

 

今年初投稿です。

しかもこのブログ,4年以上やっているらしい。遅筆にも程がありますね。畏れ多くもブログ界の富樫。内容はスカスカだけど。

 

前回の投稿を見てみたら,その時期は相当病んでいたようです。確かにあの頃,当時の上司(編集長)から毎日精神的にフルボッコにされていて転職を意識し始めたんだった。いま思い返してもつらくて,限界な日々でした。

 

せっかくなんで転職のこと書きますね。これはいつもの塵芥のような記事と違ってちょっとは人の役に立つかもしれません。実用的。プラグマスティック。転職をお考えの方はご参考程度に。

 

まず,前提条件として転職には二種類あると思います。

 

①前向きな転職

②後向きな転職

 

です。

 

①は「海外で働きたい!」とか「もっと自分のスキルを向上させたい!」というポジティブな転職ですね。ただわたしの周りではこのような事例は見受けられなかったし,わたし自身も②に該当するのでこれは割愛します。ってかわかりません。そういうのはもっと意識高いノウハウ本とか読んで勉強してください。

 

さて,本題は②です。

これは間違いなく言えることなんですが,

 

転職なんてしないに越したことはないです。

(初めて色文字使ってみました。なんかこれ怖いですね)

 

いまの職場環境に(全てとは言わずとも)ある程度満足しているのであればわざわざ転職活動なんてする必要ないと思います。

転職活動って相当なエネルギーを要します。疲弊します。肉体的にも精神的にも。わたしだってできれば転職なんて面倒くさいことしたくなかったけど,このまま会社にいたら終わっちゃう…という危機意識が強く働いた末の苦渋の選択です。

 

転職サイトやらCMで謳っているほど転職って簡単じゃないし,自分で動かざるをえない部分も大きいです。よほど特殊なスキルを持っているとかコネクションがあるとかだったら別ですけどね。

 

さて,前置きが長くなりましたが,「いまの会社には耐えられないからどうしても転職したい!」というひとは,たぶんまず転職エージェントに登録すると思います。わたしもマイ○ビエージェントに登録していました。

 

でも,結局わたしはたいして利用しませんでした。

なぜなら…

 

使えなかったからです。ぜんっぜん。

 

一応エージェントに登録してからの流れをざっくり説明しますね。

 

①担当から希望職種や条件など話し合う「電話面談(平日・30分くらい)」の案内メールが来る。なお電話面談までにweb履歴書やらアンケートやらを作成してメールで送っておくことになる。これがなかなか面倒くさい。なぜなら同時並行でやってる現職で心が折れているから。心が死んじゃってるから。

②電話面談。事前に送ったweb履歴書をもとに,希望職種や勤務先,転勤の有無や賃金形態などの希望を伝えていく。わたしの場合ここが細かった(出版社しかヤダと言った)ため,あまりいい案件を紹介されませんでした。ていうか出版社って言ってんのに編プロ(編集プロダクション)を紹介してくんなよ。

③以降,求人情報(一回のメールでだいたい5件くらい)をメールで教えてくれる。気になった所があれば担当に伝えるとエントリーしてくれるようです。でも求人情報も自分で探したほうが良くね?という結論になりました。いらない求人情報はただのノイズでしかないし。結局わたしは一件も希望に沿う案件がなかったです。

 

ざっとこんな感じです。

なんか「転職エージェントに任せときゃオールオッケー!」みたいな雰囲気ありますが,実際ほとんどはあなたがやることになります。当然ですが筆記試験やら面接やらはあなたが行くことになるので,求人情報を探してくれる(精度も低い)以外エージェントが何をやってくれるのかまったく分からないのが正直なところ。でもそれって自分で出来ますよね……

 

あとは期間。

わたしの場合,エージェントに登録したのが2017年10月。ただ現職で手が離せない仕事が2018年4月まであったので,それ以降の転職になる旨伝えると「では年明けまで何もすることはありません」とのこと。なので実際に活動を開始したのは2018年1月からです。

 

さて,年明け。待てど暮らせど連絡がない。しびれを切らしてメールしても返信なし。一週間くらいしてシレッと「転職活動どうですか」みたいなメールが来る。「どうですか」ってなんだそれは。ていうか社会人として一週間返信しないのはどうなんだそれは。

お察しの通り,それ以降も同じように使えない求人情報を送りつけてくるだけの簡単なお仕事をしてくるだけだったので,「もっと以前に伝えた希望に沿った情報をください」と送るも返信なし。溢れ出す無能感。

 

「これはマズい!」となってくるわけです。こちとら人生かかっとるんじゃい!と思いたち,エージェントに頼らず転職活動を開始しました。幸い転職したい業界は「出版社」と固まっていたので自分でも簡単に情報収集が出来ました。

そっから学力試験と4回の面接を経て,3月にはいまの会社から内定が出ました。

 

運が良かったのは,一社だけしか転職活動をしないで済んだことです。

実は内定が出た会社しか転職活動をしていませんでした。というのも,無理だからです。体力的にも精神的にも。

 

面接は基本的には平日です。しかも9:00とか15:00とか。そうなると当然有給休暇を使うことになります。忙しい時期は休めないでしょうし必然的に無理になります。

しかもだいたい日時は相手が指定してくる(変更はできない)ので,その時間に外せない会議があったりするとやっぱり無理になります。幸いカブることはありませんでしたが,最悪会社に「風邪ひきました!」って連絡して面接に行くことも視野に入れていました。

 

「忙しすぎる!無理!転職する!」と言ってすぐに転職活動を開始しようとしても,面接の度に有給休暇を使うことになるわけですから「あ~面接の日は休めない~」となったり,実際無理というジレンマがあります。

ある程度余裕があるタイミングじゃないと転職すら出来ないわけです。

厳しい。。。

 

 

ダラダラと書きましたが転職ってこんな感じでした。

終わったからある意味あんなこともあったねー的に書けますが,当時(つったって数ヶ月前)は生きるか死ぬかの瀬戸際みたいな感じでした。

 

 

人生,なるべく楽して生きたいですね。ではでは。

生きてます

月に一回は書こうと思っていたブログですが、2ヶ月空いてしまいました。

元気ではないですが、生きてます。

 

なんで元気ではないかというと、何をしても満たされないからです。

さらに言えば、何もしたくないからです。何をしたいかわからないからです。

 

 

最近思ったのですが、わたしはすごくワガママなんだと思います。

たぶんわたしは環境的にはかなり恵まれているんだと思います。

実家は都内23区でアクセスが良くお金には不自由していないし、学歴は(相対的には)かなり良いし、すっごくブザイクということでもないし、身体的にも大きな病気はありません。

世の中にはわたしよりも恵まれていない人がゴマンといることでしょう。

 

じゃあなんでこんなに満たされてないのでしょうか。常にわたしは満たされない。死ぬまで満たされないと思います。

どんなに本を読んでも、どんなに映画を観ても、何も満たされない。何の意味もない。ただ役に立たない「知識」が蓄積されるのみ。

 

きっとわたしには穴が空いているんです。だから、どんなに「幸福」が流れ込んできても、どんどん漏れていってしまう。

穴が空いた欠陥品。それがわたしなんです。

 

欠陥品のわたしは何もできません。

他人の幸せをただ指をくわえて見ているだけ。ただし、その指からは血が出ています。

 

ああ。

 

雑踏若しくは猥雑

雑という言葉がすきだ

雑貨、雑種、雑誌、雑踏、猥雑。

無秩序な感じが堪らない。

だからだろうか。わたしはいわゆる繁華街、花街の写真がすきだ。

この写真は池袋大橋。池袋大橋から池袋北口の風俗街を眺めている。


この写真は鶯谷鶯谷は本当に汚い街でわたしはだいすきだ。


なにやら雑なものに惹かれてしまう。そこに美があるような気がしている。

水槽

水槽

空っぽの水槽

それでもエアレーションだけは作動している

かつてなにかがそこにいた記憶として

かつてなにかがそこにいた記録として

そしていまはなにもいないことの証明としてそれはそこにある

ウチワサボテン

道ばたに手が落ちていた。

道に手が落ちているよと泣く君に何と言おうかあれはサボテン


おそらくはウチワサボテンが枯れて落ちたのだろう。たしかになんだろうかと二度見してしまった。池袋~大塚間、まいばすけっと前にて。

晴れた日には

晴れた日には

一眼カメラを持って出かけましょう

何気ない日常を切り取って

一瞬を永遠に固定して保存しましょう

 

 

そんなある時気がつきました

気分がいい日

目に映る景色は一眼カメラを通したよう

くっきり明るくシャープでピントが合っています

 

落ち込んだ日

目に映る景色はスマホのカメラを通したよう

あまりにあるがままでそのままの景色です

 

 

スマホのカメラで撮った写真はアプリで簡単に明るく加工できるけど

落ち込んだ気持ちまでは明るく加工できないんだって

 

 

晴れた日もくもりの日も雨の日も

一眼カメラを持って出かけましょう

何気ない日常を切り取って

一瞬を永遠に固定して保存しましょう

「まあいいか」

「まあいいか」で済ませてしまったことは、本当によかったのだろうか。

本当に「別にどうでも」よかったのだろうか。

 

「まあいいか」「別にどうでも」とつぶやく度に、ぼくたちは貧しくなる

大地は割れ

海は干上がり

家は荒れ果てる

 

諦めるたびに捨てていく

きらきらしたものを側溝のドブに捨てていく

 

 

 

 

上を向いて歩こう?

下を向いて歩こう。

後ろを向いて歩こう。

みんなが上や前を向いて歩くからこそ、わたしは下や後ろを向いて歩きたい。

上や前ばかりでは、気がつけないことがあると思うから。

たとえば、落し物。下を向いてこそ見つけられる。

たとえば、忘れ物。後ろを向いてこそ見つけられる。

わたしは、そういうものを大事にしたい。

空にごみ箱

小さい頃、空にごみ箱があった。

何を言っているかわからないかもしれないので写真を貼ってみる。

調べて見たらYahoo!知恵袋にも同様のことを考えている人がいるようであった。

いまでは、これは柱上変圧器と呼ばれるものであることを知っているが、小さい頃は本当にごみ箱だと思っていた。

こんな高い位置にあるんじゃごみを入れにくいなーと思って、電信柱をよく見ると、足をかける足場のようなものがある。

これも足場ボルトという名前らしいが、小さい頃のわたしは「フランケンシュタインの頭に付いてるやつ」と呼んでいた。

よくよく考えれば空にごみ箱というのは大変発想として面白い。

いったいなにを捨てるんだろう。誰が回収するんだろう。そもそも誰が捨てられるんだろう。空想は無限大に広がる。