『秒速5センチメートル』野外上映会に参加しました
【ネタバレ含む】
今日は、午後から上野の東京博物館で開催された「博物館で野外シネマ」というイベントに参加した。
博物館の方の話によれば、このイベントは2年前、普段あまり博物館・美術館に来ない人を呼ぶという目的で始めたのだそう。
参加料は無料。ただし、入館料として大人620円(博物館の入館代も含まれています)。
キノ・イグルーという団体が主催している、移動式映画館というコンセプトで行われているらしい。
ちなみにフライヤーがめちゃくちゃ素敵だった⇒http://kinoiglu.com/event/?p=2683
実はわたし、野外上映会というものに憧れがあり。
昔何かの映画で、車に乗りながら壁面に映された映画を観る、というシーンがあって「いいなあ」と感じたのを覚えている。
そういえば、『ニュー・シネマ・パラダイス』でも野外上映会をやっており、あれはよかった。
風の音を聞きながら、月を眺めながら、映画を観る。素晴らしい体験だ。
しかもタイトルが『秒速5センチメートル』とあっては、これは行くしかない。
念のため、『秒速5センチメートル』について簡単に説明を。
2007年公開。新海誠の劇場3作目(ほしのこえ⇒雲のむこう、約束の場所⇒秒速5センチメートル)。
この作品で新海誠の知名度が上がったのは間違いない。わたしの中では、いまでも新海誠といえばこの作品。
全60分ほどの短い作品ですが、「桜花抄」「コスモナウト」「秒速5センチメートル」の三部構成になっている。
わたしが初めてこの作品を見たのは14歳の頃、学校で勧められてDVDを借りて見た。
そのときは正直、あまり面白くないな…となって寝てしまった。
なんか、暗い。主人公のモノローグがダルい。テンポも悪い。ただ映像はめちゃくちゃ綺麗。山崎まさよしの挿入歌もいい。
ただ、初恋をテーマにした作品であったため、男子校にいた身としては「わかる~!」という共感ポイントが何一つ無かったのだ。
次に見たのは、もう大学に入ってからだった気がする。
その時、ポロポロと泣いてしまい、あれ、初めて見たときは全然面白くなかったのに…、と不思議だった。
それからも機会があるごとに見ていたので、おそらく今回は5回目くらいの鑑賞。
第一部「桜花抄」
「ねえ、秒速5センチなんだって。桜の花の落ちるスピード。秒速5センチメートル。」
舞台は東京。一言でいってしまえば、幼いころの貴樹と明里の恋愛物語。
貴樹は、親の転勤で転校した明里と文通を続け、ふたりで会う約束をする。
実は貴樹も、鹿児島への転校が決まっていた。
明里に会うために、貴樹が栃木県までローカル線を乗り継いで行く。
舞台となる岩舟駅は遠く、雪に閉ざされて電車はなかなかたどり着かない。
「たった一分がものすごく長く感じられ… 時間ははっきりした悪意を持って、僕の上をゆっくりと流れていった。 僕はきつく歯を食いしばり、ただ、とにかく泣かない様に耐えているしかなかった。」
電車に閉じ込められた貴樹のセリフが印象的。
待ち合わせの時間に遅れること数時間、貴樹が着いたときも明里は彼を待ち続けてた。
駅の待合室で彼女が作った弁当を食べる二人。
駅も閉まり、歩きだすふたり。そして、彼女が文通の中で話していた桜の木の下で、ふたりはキスをする。
「その瞬間、永遠とか、心とか、魂とかいうものが何処にあるのか、わかった気がした。」
新海誠の気持ち悪さ=よさというのはこういうところにあると思う。
徹底した自分語り、モノローグ。貴樹自身は爽やかなサッカー少年なのだが、心理描写がいちいち陰鬱で詩的でひとりよがりなのだ。
これこそ新海誠がオタクという、自分語り大好き人種から好かれた最大の理由だと思う。
翌日、朝の電車に乗って貴樹は東京に帰っていく。
その際にも、
「彼女を守れるだけの力がほしいと…強く思った。 それだけを考えながら、僕はいつまでも窓の外の景色を見続けていた。」
と詩的すぎるモノローグ。ブレない。
その中で、
「僕たちの前には
未だ巨大すぎる人生が 茫漠とした時間が どうしようもなく、横たわっていた。」
ふたりのわかれを示唆する言葉。
舞台は鹿児島へ。
第二部「コスモナウト」
舞台は鹿児島、種子島。高校三年生になった貴樹と、彼に恋をする花苗の話。
サーフィンをしている花苗は、うまく波に乗れた日に貴樹に告白しようとする。
しかし、彼女は気がついてしまった。貴樹はとても優しいが、実は自分のことなど見ていない。もっと遠いところを見ている、と。
彼女は動物的な勘で気がついたのではないだろうか。貴樹はまだ、明里のことを忘れられずにいる。
別れてからもう数年が経っているのに。
男性の恋は名前をつけて保存。 女性の恋は上書き保存。
という有名な言葉があるが、まさにここで描かれている貴樹はそれである。
同時に、この話では明里の描写が殆ど無い。鋭い人はここで対比構造に気が付き、エンディングも予想がつくかもしれない。
ちなみに、花苗は貴樹が転校してきたその日に一目惚れをし、猛勉強をして貴樹と同じ高校に入学してきた。
すっごく努力家でいい娘なのである。そんな、数年間ずっと貴樹のことを好きで好きでいた花苗だからこそ、気がついてしまったのかもしれない。それは深い絶望ではあるが…
「遠野君がほかの人と違って見える理由が、少しだけわかった気がした。 そして同時に、遠野君はわたしを見てなんていないんだということも、わたしははっきりと気づいた。 だからその日、わたしは遠野君に何も言えなかった。 遠野君は優しいけれど、とても優しいけれど。
でも、遠野君はいつも、わたしのずっと向こう、もっとずっと遠くの何かを見ている」
舞台が鹿児島県の種子島であることもまた、示唆的だ。
ロケットが打ち上げられる場面があるが、これはメタファーだろう。
それは新海誠が『ほしのこえ』で描いた、絶望的な恋の遠さだ。 その遠さは、貴樹と明里の恋と同時に、貴樹と花苗の恋である。
言ってしまえば、誰も貴樹には近づけないのだ。
貴樹が恋をしているのは、高校生にとっては地球と宇宙のように遠い(物理的にも、精神的にも)明里なのだから。
花苗は、それが叶わぬ恋であると悟る。
「わたしが遠野君に望むことは、きっと叶わない。 それでも、それでも私は、遠野君の事を、きっと明日も明後日もその先も、やっぱりどうしようもなく好きなんだと思う」 「遠野君の事だけを想いながら。泣きながら。…私は眠った」
そうして第二部は幕を閉じ、舞台はふたたび東京へ。
第三部「秒速5センチメートル」
舞台は東京。貴樹はもう働いている。本編。
貴樹のネガティブモノローグ全開。
「この数年間、とにかく前に進みたくて、届かないものに手を触れたくて、 それが具体的に何を指すのかも、ほとんど脅迫的とも言えるようなその思いが、 どこから湧いてくるのかも分からずに僕はただ働き続け、 気づけば、日々弾力を失っていく心がひたすら辛かった。
そしてある朝、かつてあれほどまでに真剣で切実だった想いが、綺麗に失われていることに僕は気づき、もう限界だと知ったとき、会社を 辞めた。」
そして貴樹は会社を辞めた。
貴樹は東京に出てきてから彼女が出来たらしく、3年間くらいは付き合っていたようだ。
その彼女ともうまく行かず、メールで別れを切り出される。
「あなたのことは今でも好きです。 でも私たちはきっと 1000回もメールをやりとりして、 たぶん心は1センチくらいしか近づけませんでした。」
上のセリフと合わせて、この作品の中で1・2位を争う好きなセリフ。
一方で、明里は結婚するらしく、両親と結婚式の話をしている。
ふたりは、同じタイミングで、幼いころの自分たちを夢に見た。
明里が夢を見て、つぶやくセリフ。
「そうやっていつかまた一緒に桜を見ることが出来ると 私も彼もなんの迷いもなくそう 思っていた。」
切ない。そんな日はもう来なかった。
ふたりの距離はすっかり離れてしまった。
しかし、貴樹はまだ明里のことを忘れられない。3年間付き合っていた彼女に言われていたように、やはり彼は明里のことしか見ていなかったのだろう。
ラスト、踏切で貴樹と明里は再開する。しかし、お互いに振り返ることはない。電車がふたりを遮り、再び踏切が開いたときにはもう彼女はいない。そして山崎まさよし「One more time, one more chance」が流れる。
しばしばバッドエンドと言われているが、わたしはそう思わない。このラストは貴樹も前を向いて歩きだす、という肯定的なシーンとしてとらえるべきなのではないか、と思う。
長々と書いてしまって疲れた。