自分探しの旅の終わり
自分が何者なのかを考えることが増えてきた。中高生の頃からこれについては考え続けてきたが,最近はより切迫性を増している。30歳を目前にして将来のビジョンを考えざるを得なくなってきたからかもしれない。
そういえば僕はADHDってやつらしい。ADHDにはさまざまなタイプがあるが,僕は多動性や衝動性が強いのだそうだ。そのせいだろうか,僕には世界が拡散して見えている。何か1つに収束することがなく,広がり続けている。それにしたがって,思考も無限に拡散する。例えばカラスのことを考えていたかと思えば,次の瞬間にはブルドーザーのことを考えていたりする。周りからすると意味がわからないだろうが,僕の中ではなんとなくつながっているのだ。改めて考えてみるとこれまでの人生はまさにADHDっぽさ全開だった。
学生の頃から一つのことに集中できず,飽きっぽい性格だった。中高は一貫校だったが,部活もテニス部や生物部,代表委員会(いわゆる生徒会)に入っていた。お察しの通り,それも身が入らずに芳しい成果は残せなかった。部活をサボってBOOKOFFやネカフェに入り浸る,そんな学生だった。
大学生になり自由時間が増加するにしたがって,その奔放さはさらに加速度的になる。中高までの部活と違い,大学のサークルはいくらでも入ろうと思えば入れる。バイトだってそうだ。結果的に僕は大学で生徒会,旅行サークル,法律系サークル×2,環境NPO×2と計6つのサークルに入った。バイトは新聞社,塾講師,カフェ,イベント派遣などさまざまなものに手を出した。当然全部に注力することはできず,ほとんどのサークルやバイトでは幽霊的な扱いになった。サークルもバイトも,思い立ったが吉日とばかりにすぐに代表者にコンタクトを取って見学→加入していた。今思い返せば,この時に気がついていればよかったのかもしれない。
その傾向は社会人になっても続いた。アニメ好きやカメラ好きの社会人サークルに加入してはめんどくさくなり,会社のバレーボールサークルや陶芸サークルに加入してはめんどくさくなり。全く長続きしないのだ。そして会社もやめてしまった。
僕は「流石におかしい」と気づき始めた。みんなが時間をかけて一つのことをやり,それなりに成果を出している中,僕は色んなことに取り組むバイタリティはあるかもしれないが何も成し遂げていない。周りとずれていることの焦りもあった。そして昨年末頃から,「これはADHDってやつなんじゃないか」と疑い,メンタルクリニックに通院するようになった。
僕は現在,メンタルクリニックでADHDの多動性と衝動性を抑制するストラテラ(朝35mL/夜10mL)と,不安を抑えるアリプラゾール(朝3mL)を処方されている。いずれもADHDに対するごく一般的な処方だという。実は僕は2016年頃にも同様の症状を訴えて別のメンタルクリニックに通院していた。その際にもストラテラが処方されていたと思う。しかしストラテラは即効性の薬剤ではないためすぐに効果が実感できず(これまたADHDらしさ全開であるが)通院がバカバカしくなりやめてしまった経緯がある。しかし今回は絶対に通院し続けるという強い意思がある。ADHDで被る不利益である「飽きっぽさ」を何とかしたいと思っているからだ。このままでは何者にもなれずに手広く浅い知識だけ持って死んでしまうのではないかという恐怖があるからだ。
処方されてすぐにはやはりあまり効果が感じられなかった。それは主治医も言っていて,効果の発現には3週間~1ヶ月くらいはかかるだろうとのこと。1ヶ月くらい経つ頃には,世界は拡散し続けるのをやめた(ような気がする)。それに対応して僕の考えが無数に広がることも収まった(ような気がする)。世界は1つに定まって静かになり始めた(ような気がする)。
Twitterのように話題がどこまでも拡散していくSNSはADHDと相性がいいように感じる。そのためだろうか,薬物療法を開始するまでの僕はTwitterに夢中だった。話題がポンポン変わり,どうでもいいことをツイートしまくっていた。ところが最近はツイートすることがない。以前は出来事がなくても頭に浮かんでくるあれやこれやをツイートしていたのだが,最近はそれもない。何も浮かんでこないからだ。もちろん意識すれば何かを考えてアイデアを出すことはできるが,以前は意識せずとも出来ていたような気がする。きっと得たものと失ったものがあるのだろう。
10年以上続いた「自分探しの旅」は,30歳を目前にして終わろうとしているような気がする。それは次のステージに足を踏み出すための第一歩なのだろうか。まだまだ模索することだらけだ。
鉱物の国
1か月に1回はブログを書こうと思っていたのにもう2月が終わってしまう!何を書こうか迷っていたが,先日行ってきた宝石展について書いていく。
つい先日,上野の科学博物館でやっていた特別展「宝石 地球がうみだすキセキ」に行ってきた。
ネギみたいなトルマリンやクソデカアメジストが話題になっているが,個人的にはロマネスコみたいにカットされた宝石(エメラルドだっけ?ヒスイ?)が面白かった。あとパイライトは,こういうチョコチップクッキーあるよね。
どうでもいいけど,宝石を野菜にカットするのを見ると,台湾の故宮博物院で見た,キリギリスが乗った白菜を思い出す。翠玉白菜というらしい。同じ博物館に収蔵されている角煮みたいな肉形石もいいけどね。
さて,ここからは宝石展を離れて自分語り的な話になる。宝石,もとい鉱石と僕の付き合いはそれなりに長いのだ。どちらかと言うとタガネとハンマーを使った採掘的な方で。
はじめて鉱物採集に行ったのは小学生の頃だったと思う。親と一緒に山梨県塩山というところで水晶を探したのをよく覚えている。そしてその時に見つけた水晶(割と先端=ポイントがしっかりしており,一部にアメジストが入っている)は今もお守り代わりに大事に持っている。
その後も折に触れて色々なところに行った。新潟県糸魚川のヒスイ海岸でヒスイを拾ったり,秋田県荒川鉱山で水晶やメノウを拾ったり。荒川鉱山ではすごく大きな水晶片をタガネで砕いて新聞紙に包んで持って帰った。ひーひー言いながら持ち帰ったあの苦労は,今でも鮮明に覚えている。いざ持ち帰るととたんに関心が薄れてしまうのだけど。
実家の近所には鉱石を売るお店もあった。宝石ではなく,鉱物。親と一緒に時折トルマリンやらアクアマリンやら買っていた。このお店の前にある花壇には店主が捨てた鉱物が置いてあり,自由に持っていって良かったので,小学生の時分には採集に勤しんでいた。いまHPを見てみたら閉店してしまっていた。残念。
なおここのお店にはお得意様認定されていたらしく,定期的に案内をもらって,新宿で開催されているミネラルフェアに参加した。いつだったかジオードのクラッキング体験をやった(中身はアメジストだったと思う)のはなかなか楽しかった。
中高生の頃には鉱物への興味はやや薄れてしまい,実際の鉱山からは足が遠のいて,ミネラルフェアにたまに参加して鉱物を購入するくらいになっていた。
しかし大学生になると,鉱物への興味は復活する。オシャレグッズとして。
特に蛍石は色あざやかで写真に映える。いまは閉店しているが,池袋の三省堂書店の4Fにあったナチュラルヒストリエなど,鉱物を扱うお店が結構あったのだ。これらに足繁く通っては,オシャレアイテムとしての鉱物を見つめる日々が続いた。
就職してからも折に触れて近所にあった鉱物カフェにも行くなどはしていた。何ていうかこう,ゴスロリ系の女性が多くいる感じの店内だった。
しかし全体的に関心は薄れ,しばらくは鉱物が家に置いてあることすら忘れて過ごしていた。すっかり黄鉄鉱にも水晶にもトパーズにもホコリが被ってしまっていた。とはいえ,今回宝石展に参加したことで,ひさびさに鉱物に興味が出てきたぞ。
とりあえず,今年の東京国際ミネラルフェアには参加したいと思う。
終わり。
あれから十年経ったな。久しぶり。お前はどうしてる?
あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。
年末年始は光陰矢の如し,あっという間に三が日が終わろうとしている。さて今年の年越しは色んな意味で1つのマイルストーンっぽい感じだったので,記事にしてみようと思う。
話は4年前に遡る。当時,このような異常記事を書いていた。
何か寒いノリでぐだぐだと書いてあるが,要するに年越しに備えて中高の同級生と高級食材をいっぱい買って行ったにもかかわらず段取りがクソすぎて料理を始めたのが日を跨いでからとなり,判断力が0になってしまったためにイクラもウニもマグロもカニも何もかも鍋にブチ込んだ結果,ヤバいものが錬成されてしまったというだけの話だ。改めて見るとひどいなこれ。あと若気の至りっぽい「狙った」感じの文章がキツイ。
今年はこの悲劇を繰り返さないために,以下のように対策を練った。人は失敗から学ぶのだ。
・12月31日朝7時に集合(日を跨いでから飯を作るとすべて終了する)
・食材を買いすぎない(無限に食えるほど俺たちはもう若くない)
・カズノコは塩抜きしたやつを買う(前回はしょっぱすぎて食えなかった)
・イクラやウニは買わない(豪華っぽいけど意外と使いでがない)
俺も周りも30歳,妻帯者もいる。「男子校出身のノリ」などといつまでも言っているわけにはいかない。これで大丈夫だろう。
朝7時,集合場所には俺しかいなかった。は? 友人の家で集合だったのでチャイムを鳴らすと寝起きの声が。は? 家に上がるやいなや「ちょっとシャワー浴びてくるわ」といなくなる友人。他には誰もいない。は?
他のやつはどうした,と聞くとゴニョゴニョと要領を得ない。どうやらレンタカーを借りてその後荷物を搬入するためにこっちに戻ってくるのだそうだ。え,じゃあ俺7時に来る必要なかったじゃん……。
文句を言っても仕方ないのでレンタカー予約先に向かうと,こんなやつだった。ロケバスかこれ? 車内は広すぎてテレビもあるのでスマブラができる。
この車で都内を走り回ったので,邪魔なことこの上なかっただろう。アメ横で買い出しをするにも,浅草で昼飯を食うにも,どこに駐車するのかが大変だった。
アメ横では
・食材を買いすぎない(無限に食えるほど俺たちはもう若くない)
・カズノコは塩抜きしたやつを買う(前回はしょっぱすぎて食えなかった)
・イクラやウニは買わない(豪華っぽいけど意外と使いでがない)
を守って買い出し。カニやマグロ,カズノコ(塩抜きしたやつ),酒などを適度に買っていく。こういうのは買うときが一番テンションが高くて調理するときはテンションが下がっていることも,無駄に買いすぎてもゴミになることも,俺たちはもう知っている。確実に成長している。
さて,どんな飯ができたかといえば……。
まっとうなやつができました。カニ鍋とモツ鍋。正直めちゃくちゃ美味かったです。めんどくさくて毛蟹をそのまま投げ込んだりしたのも,後から「これは良くない。」と気づきハサミでバラしてカニ味噌を溶かすなど,軌道修正も完璧。モツが足りないのもなぜか買ってきていた牛肉を追加してうまいこと補った。
あとはコッヘルを活かしてカキフライやえび天を作るなど,かなり隙のない構えだったと言えよう。
翌朝,1月1日6時30分すぎに初日の出を拝むこともできた。とにかくクソ寒かったがきれいだったので満足した。朝には年越しそばを食べてあたたまった。
さて記事の冒頭に,「今年の年越しはマイルストーンだった」と書いた。参加者が来年30歳になること,妻帯者や子持ちも増えてきたこと,この中高の同級生との年越しも2011年以来10年間続いてきたことなどから,そろそろ丁度いい潮時なのかな,と思った次第だ。勿論こういう集まりは大切にしたいが,年末年始はゆっくりと新しい家族たちと過ごすのもきっと悪くない。いつまでも「あの頃」に戻って「お前も中学から変わんないな~」などとやっているのではなく,少し前に進まないとね。
終わり。
一瞬の間
近所ではよく,演説をしている人たちがいる。だいたいはおじいさんかおばあさんだ。
「憲法改正反対」
「コロナは嘘」
「自民党の独裁を許すな」
などなど。
足を止める人は誰もいない。何やらビラを配っているが,受け取る人もいない。僕もいつもどおり,通り過ぎるところだった。
ところがその日,僕の目の前で演説が終わったのだ。拡声器でがなり立てていた喧騒から静寂に転じるその一瞬の間。その空気が満足そうなおじいさんもおばあさんを包み込んでいた。何だかわからないが,僕はそれがずっと心に残っている。
モードが切り替わるタイミング,というのが好きなのだと思う。
例えば,電車で友人同士盛り上がっている2人の女子大学生。
「その時先生がさー」
「こないだのサークル会議でさー」
と楽しそうだ。
1人が目的の駅で降りる。もう1人が「じゃあねー」と笑顔で手を振る。プシュー,とドアが閉まる。電車が動き出す。駅が離れていく。
ふと女子大学生の方を見やると,先ほどの笑顔はどこにもない。スマホに目を落とし,何やら難しい顔をしている。
モードが切り替わったんだな,と思った。
その一瞬,空気が変わるとしか表現し得ない「間」。
昔の人が「逢魔が時」「黄昏時」と呼んだ,昼と夜との間の時。
日々いろいろなものを無くしていく中で,こういうものに気が付ける感性は失いたくないなと思う。
ニトロコーヒーとはなんぞや
みなさんは「ニトロコーヒー」を知っているだろうか。どうやら水出しコーヒーにビールサーバーのような機械を通して窒素を送り込み,クリーミーな泡を発生させるシロモノらしい。今流行っているらしいが,僕は知らなかった。
なんで急にニトロコーヒーの話をするかと言えば,近所のコーヒー専門店が昨日から提供し始めたからだ。ここはテイクアウト専門店で,店内は1坪半しかない。しかしコーヒーの品質はすこぶる高い。店主が長らくコーヒー豆の通販事業をやっていたらしく,なかなか手に入らない高品質なコーヒーを安く提供してくれる。
ちなみに高品質なコーヒーのことをしばしば「スペシャルティコーヒー」というが,これは具体的には何を指すのだろうか? 日本スペシャルティコーヒー協会が示している定義を読むと,以下のようになっている。抽象的な一文目につい怪訝な表情になってしまうが,どうやら「風味の素晴らしさ」に加えて「サステナビリティ」と「トレーサビリティ」が重視されているようだ。
消費者(コーヒーを飲む人)の手に持つカップの中のコーヒーの液体の風味が素晴らしい美味しさであり、消費者が美味しいと評価して満足するコーヒーであること。
風味の素晴らしいコーヒーの美味しさとは、際立つ印象的な風味特性があり、爽やかな明るい酸味特性があり、持続するコーヒー感が甘さの感覚で消えていくこと。
カップの中の風味が素晴らしい美味しさであるためには、コーヒーの豆(種子)からカップまでの総ての段階において一貫した体制・工程・品質管理が徹底していることが必須である。(From seed to cup)
具体的には、生産国においての栽培管理、収穫、生産処理、選別そして品質管理が適正になされ、欠点豆の混入が極めて少ない生豆であること。
そして、適切な輸送と保管により、劣化のない状態で焙煎されて、欠点豆の混入が見られない焙煎豆であること。
さらに、適切な抽出がなされ、カップに生産地の特徴的な素晴らしい風味特性が表現されることが求められる。
さて,このコーヒー専門店で飲むコーヒーは,単なるスペシャルティコーヒーというにとどまらない。ジューシーでワインのような風味がある。よくコーヒーの風味で「チョコレート」「ナッツ」「花の香」みたいなのを聞くが,「言うほどか?」と感じることが多い。でもここのコーヒーはマジでワインのよう。特にホットコーヒーが冷めるほどにその風味は強烈になっていく。これは今までにないコーヒー体験! 店主に聞いてみると,ワインの樽で発酵させるアナエロビックファーメンテーション(嫌気性発酵)というのを経ているためこうなるらしい。ほお~。
ニトロコーヒーに話を戻す。これは最近ではスターバックスコーヒーなどでも提供しているものらしい。全然知らなかったー。
店主いわく,クラウドファンディングのリターンでニトロコーヒーを作るサーバーをもらったのだそうだ。本当だったら今年の夏に届く予定だったのに半年以上遅れてしまったらしい。確かに水出しコーヒーを泡立てるのであれば夏のほうがよさそう。
注文するとまだニトロコーヒーを頼んだ先客はおらず,一番乗りだったようだ。なんだか嬉しい。さっそく作ってもらう。ビールサーバーよろしく,クリーミーな泡が出て……こない。出てこないぞ!?
店主いわく「すいません,まだ炭酸がこなれていないみたいです」。そういうもんなのか。慣らし期間がいるのかな。とはいえニトロコーヒーはニトロコーヒー。窒素を添加しているためだろう,コーヒー自体はきめ細かい味がする。ビールのような泡は味わえなかったけど,美味しい。面白い体験ができたしこれはこれでオッケーだ。
次はクリーミーなやつお願いします,と約束して退店。あわあわなコーヒー,どんな感じなのだろうか。次回に期待!
ヒガンバナの咲く頃に
昨日,池袋に行くとフラワーショップで秋の植物がいろいろ売られていた。中に綿が詰まったフウセントウワタやベニアオイ,パンプキン,リンドウ,吾亦紅,パンパスグラスなどなど。フウセントウワタは緑のハリセンボンみたいなビジュアル,パンプキンはカボチャみたいな形をしたナスの実(ソラナム)だ。秋は植物が豊富で嬉しい。
その中にリコリスがあった。リコリスは,ヒガンバナ科ヒガンバナ属の植物。いわゆる曼珠沙華(彼岸花)は,リコリスの代表的な種類らしい。一般的に彼岸花は赤いが,白とか黄色もある。白いのはシロバナマンジュシャゲ,黄色いのはリコリスオーレアとかというらしい。ちょっと咲き方が違うキツネノカミソリも,ヒガンバナ科の植物。「ヒガンバナ咲き」「ラッパ咲き」など,咲き方でも色々分かれているようだ。奥が深くて面白い。
毎年,埼玉県の巾着田で曼珠沙華を見に行くのが好きだった。例年そんなに変わるものではないんだけど,一面の真紅の絨毯を見るのは毎年の楽しみだった。ゴスロリ風のコスプレイヤーがいて,レフ板を持ったカメコが撮影しているのが例年の風景だった。
残念ながら今年も中止になってしまい,すでに曼珠沙華は刈り込まれてしまったようだ。中で食べられるみそポテトとか山菜の天ぷらとかも絶品だったので,コロナが収まったらぜひまた行きたいところだ。
さて,「リコリス」でGoogle検索をすると,まずすぎる! と悪名高いお菓子「シュネッケン」が出てくる。有名なハリボーが出している,線をぐるぐる巻いたタイヤみたいな真っ黒いグミだ。いやこれほぼタイヤじゃねーか! と突っ込もうとすると,パッケージですでにキャラクターが乗る自転車のタイヤとして描かれており,それはメーカーも先刻承知らしくツッコミが封じられているのが腹が立つ。なんでお菓子でタイヤを模そうと思ったんだよ。
シュネッケン,高校の頃にドイツに旅行した部活のメンバーがお土産として買ってきてくれたことがある。みんなで食べてみると,本当に飲み込めないくらいにまずい。とにかく苦く,すこしほろ甘い感じが気持ち悪い。「結局これは食べ物ではない」という結論になり,円を伸ばして一本の線にしたり(なんかコンセントみたいになる),投げ合ったりして遊んだりした。食べ物じゃないからOK。
Wikipediaで調べると,黒だけではなく赤いのもあるらしい。センスやばすぎないか?
聞くところによると,シュネッケンは世界一まずいお菓子と言われるくらい有名らしい。サルミアッキ(アルミサッシみたいだ)もこの手の話題の常連だ。どっちが世界一まずいのか!? という最低な対決がされていた。
さて,なぜリコリスで調べるとシュネッケンが出てくるのか。どうやらリコリスは,シュネッケンの原料になっているらしい。え,ヒガンバナが? ヒガンバナの球根には毒があるので食用にはならないのでは?(よーく水にさらすと無毒化したデンプンが取れるので,救荒作物として用いられた経緯はある)
あらためて調べると,リコリスには2種類あるのだそうだ。シュネッケンの原料であるリコリスは,甘草の一種。ヒガンバナとは全く関係がない別種なのだ! これにはびっくり。しかもさっき書いたサルミアッキも,同様にリコリス(甘草)を原料としているらしい。つまりリコリスがまずいんじゃねーか。
来年は彼岸花見に行きたいなー。
タイトルはいまアニメやってる「ひぐらしのなく頃に」から取ったが,調べてみたら竜騎士07原作で「彼岸花の咲く夜に」という作品があるらしい。ひぐらしとうみねこ以外にも色々あるんだな。
終わり。
1年ぶりの更新です
気がついたら最後の更新から1年以上経ってしまっていた。
正直この1年,コロナ禍で特にどこにも行けていないし,あまり書くようなこともないのが正直なところだ。いまもNetflixで「孤独のグルメ」を流し見しながら,家からやたらと流れの早い雲を眺めているだけだ。オリンピックが終わった直後の日本列島には台風が近づいており,天気がすこぶる不安定。今朝はどざーっと雨が降っていた。
さて試みにこのブログのアクセス数を見てみると,なんやかんやで毎日誰かしらがアクセスしているらしい。ありがたいことだが,いったい誰が見てくれているんだろうか。谷山浩子さんの記事や『朝霧の巫女』の記事がよく見られているらしい。
最近はTwitterやFacebookしか書いていないので,長文を書くのが久しぶり。いや,仕事では5000字くらいの文章は書いているけどそれはそれとして。でもやっぱり分量や内容に制約がない文章書くのって楽しいな。
ミニブログのよさはもちろんあるけど,本家本元のブログのよさもやっぱりあるよなあ,とあらためて思ったのでした。
また銭湯に行ける日を願って
昨日,早稲田にある松の湯という銭湯に行ってきた。早稲田大学から高田馬場まで歩いて行く途中の老舗の銭湯である。7月末に施設の老朽化と経営陣の高齢者のため閉店。70年近い歴史に幕を閉じる。
昨日行った時も以前と何も変わっていなかった。最後に行ったのは恐らく3年位前だったと思う。番台さんの前にソファとテレビと新聞が置いてあり,牛乳が売られている。昔ながらの銭湯だ。ご多分に漏れず,大相撲の中継が流れていた。時間帯や訪れる年齢層の問題なのか,だいたい銭湯に行くと大相撲と笑点が流れている。
さて,たしか松の湯に初めて行ったのは大学4年生くらいの頃だった。ずっと存在は知っていたけれども,それまではあまり銭湯に行く習慣がなかったのだ。
「松の湯行かね?」ある日,大学の同級生のOが誘ってくれた。どうやらタオルは銭湯内で貸し出してくれるらしい。サウナも使えて1000円だそうだ。ちょっと気になるので後輩も合わせて4人で行ってみることにした。
大学から歩いて5分ほど。早稲田通りに面した銭湯は地元の人で賑わっていた。昔ながらの番台さんに1000円払ってタオルとサウナ室専用の鍵をもらう。この鍵はフックみたいな引っ掛けるところがついたプラスチックの板だ。ガラガラガラと入り口の引き戸を開けると,Oはそれまでもよく来ていたらしく,「あっ,あの人今日もいる」なんて言っていた。
バイブラ湯やうたせ湯,小さめの浴場に入った後,Oは「じゃあサウナに行くか!」と言った。それまでサウナに積極的に入ったことはなかった気がする。
サウナはMAX5人くらいしか入れないような小さめなサイズ。テレビが点いているわけでもないシンプルな作りで比較的温度も高い。数分入っていると汗だくになってきた。
手持ち無沙汰になり,Oや後輩に話しかけようとすると窘められる。彼ら曰く,以前サウナでおしゃべりをしていたら,背中に立派な入れ墨を入れたヤクザっぽい人に怒られた経験があるのだそうだ。たしかに目の前には立派な入れ墨を入れたおじさんがいる。僕たちはしんと静かに座って汗をかいていた。
暑さの限界に達したのでサウナから出る。すぐ横には水風呂がある。Oらは「水風呂がむしろ本番!」みたいなことを言い出してバシャバシャと水を浴びだす。僕はほとんど水風呂に入ったことがなかったので不安になる。
Oらは先に水風呂に入っており「早く~!」などと言っている。僕は恐る恐る足を水風呂に浸してみる。つめたっ。つめたすぎる。あんまり入る気がしない。一気に入っちゃえば大丈夫!なんて言われたけれども,どうにもそんな気は一向にしてこない。
結局その時は肩まで全身入ることはできずに,下半身だけ入ってまた温かいオフロに入ったりしていた。今考えると一気に入っちゃえば思いの外問題はなく,本当に彼らが言ったとおりなのだが,その時の僕にはそれは理解できなかった。
しかし回数を重ねていくうちに,水風呂の良さが次第に分かるようになってきた。折しも,世間的に「サウナー」という言葉が出てきたり,サウナブームが起きていた時期でもあった。次第に僕はオフロにハマり,いろんなオフロを訪れた。メインはサウナ,さらに言えば水風呂。
巣鴨には意外とオフロがたくさんあった。スーパー銭湯の「ニュー椿」,天然温泉の「SAKURA」,カプセルホテルの「グランパーク」。特にグランパークは安かったし近かったこともあり,ジムに行った帰りなどに通い詰めた。サウナはそこそこ広いし,水風呂も清潔で広い。
そのうち,サウナを評価する際の観点がわかるようになってきた。①テレビがあるかないか。僕的にはどっちでもいい。というか昔はサウナで手持ち無沙汰だったのでテレビはあった方がいいなと思っていたが,最近は目を閉じて瞑想していることが多いのでむしろ邪魔に思えてきた。②椅子に敷いてあるタオルがきちんと取り替えられているかどうか。これは大事だ。僕の理想は持ち込むタオルを肩にかけて壁面にもたれかかるようにして目を閉じることだが,敷いてあるタオルが他人の汗で濡れているとそこに敷いて座るようになってしまうのだ。特にスーパー銭湯では,サウナの入り口にビート板のような物が置いてあってそれに座ることもできて嬉しい。また,タオルが2枚もらえるところも良い。③水風呂がしっかり循環していること。貯めているだけの水風呂など不潔で論外である。
また,最も大事なことはサウナに入って水風呂に入って,その後に休めるような椅子があることだ。これがサウナのQOLを左右すると言っても過言ではないだろう。プールサイドにあるような簡素な椅子で構わないのだ。それがあるだけでそこで座って瞑想することができる。こうやって書いていると行きたくなってくる。
本郷に引っ越してからは近くにサウナがなかったこともあり回数が減ってしまった。それからは友人と誘い合わせて池袋や新宿やさまざまなオフロに行くという感じで,普段遣いできるような銭湯が近所になかった。東大のお膝元でありながら銭湯がないのは一体どういうことなんだ。そもそも文京区には銭湯がずいぶん少ない。そういえば実家のすぐ横にも立派な破風造りの銭湯があったのだが,かれこれ10年以上前に閉店してしまった。さらに最近は新型コロナウイルス感染症の影響でサウナには行きづらくなってしまった。サウナなどは密の最たるものではあるので,仕方ないだろう。
松の湯がなくなると早稲田生が気軽に行ける銭湯がなくなってしまうのが悔やまれる。またふらっと銭湯に行ける日が来ることを思い,新型コロナウイルス感染症の早い収束を願っている。
終わり。
悲しくてやりきれない
大阪のづぼらやが閉店した。行ったことはなかったが,大阪新世界と道頓堀にあがっているふぐの看板が有名だった。くいだおれ太郎がいなくなり,づぼらやのふぐがいなくなり,かに道楽のかにだけになってしまった。
コロナ禍で多くの店が閉店に追い込まれている。神保町では「スヰートポーヅ」が閉店し,同じ並びの「キッチン南海」も閉店が決まった。実はキッチン南海は行ったことがない(早稲田にもあったけどこちらも行ったことがない)のだけど,スヰートポーヅは何度行ったかわからない。小宮山書店や東京堂書店で本を買い,スヰートポーヅでギョウザを食べ,さぼうるやラドリオやミロンガでコーヒーを飲んでいた。それもあり,閉店はショックが大きい。
ある日,全く知らない店の閉店情報が,手書きのメッセージとともに流れてきた。行ったことのない店なので,もちろんオーナーの顔もスタッフの顔も知らない。しかし,なぜだかものすごく悲しくなってしまった。黒板のようなものに「閉店することになりました」というメッセージと野菜のイラストが添えられていた。野菜は悲しそうに泣いていた。なぜ知らない店の閉店が悲しいのか。たぶんメッセージだけだったらスルーしていただろう。その野菜の涙に感情移入したのだろうか。わからないが,とにかく心に残ったのは確かだ。
昨日,会社の近くにあるタピオカミルクティの専門店がずっと休業しているのに気付いた。
1回しか行ったことがないし,特別印象に残っているお店でもない。ただ,店頭に掲示してあったくまのイラストが泣いている「休業のお知らせ」がやはり心に残った。
この状況で特にどこにも行けないので,書くこともない。
100日後にも特にどうもならない日常
ステイホーム週間。新型コロナウイルス蔓延で緊急事態宣言が発出されている中,「家にいなさい」ということで特に書くべきネタもない。そしてそうこうしているうちに前回の記事からちょうど100日経っていたことに気がついた。
100日という言葉で思い出したのは「100日後に死ぬワニ」だった。これはTwitterで毎日更新されていた漫画で,当初予言されていたとおりに100日後にワニが死んで感動的に完結したところまでは良かった。しかし,100日目に近づくにつれてワイドショーでも取り上げられたりし始めて,「そんなに騒ぐほどのことかいな」という感じもしていた。しかもワニが死んだとたんに「映画化決定!」「単行本化決定!」「グッズ展開決定!」みたいな話が矢継ぎ早に出てきたのも心象的に良くなかった。商売なんだから話題が風化しないうちにバズらせなきゃ!という広告会社の気持ちもわかるが,あまりに明け透けだと消費者マインドを冷え込ませてしまうのだ。
さて,100日前には美味しいうどん屋さんの紹介だの,2006年がうどん元年だのしょうもない記事を書いていた。この頃はまだダイヤモンド・プリンセス号がどうのこうのと,新型コロナウイルスについても割と対岸の火事的に見ていた人も多かったと思う。ところがわずか3か月で,いまや状況が全く変わってしまった。近隣のお店もたいがいは閉まっていたり,時短営業になっている。スーパーやコンビニには飛沫感染防止のための透明なビニールがかけられている。また並ぶ際には足元には赤い線が引かれ,前の人とは1メートルの感覚を空けるよう,ソーシャルディスタンスを守るよう呼びかけられている。自治体や厚生労働省がアマビエとかいう疫病を防ぐ妖怪にすがりだしたので,いよいよだなという感を強くしつつある。
色んな意味で2020年は人類にとってパラダイムシフトの1年になるだろう。人と人との近接した関係が避けるべしとされ,ソーシャルディスタンスが求められる。素顔を晒すことは避けるべしとされ,マスク着用がマナーとして求められる。仮に今回のコロナウイルス騒動が落ち着いたところで,人々の間にいったん根付いてしまった意識は容易には変えられないだろう。それが良いものであれ,悪いものであれだ。
もちろん経済も深刻な影響を受けている。東京オリンピックは2021年に延期されることになり,ゴールデンウィークも前述の通り「ステイホーム週間」と位置づけられて消費活動はほぼ消滅した。資金繰りが苦しくなる企業も現れている。東京オリンピックを目当てに設備投資をしていた企業なんかは泣きっ面に蜂といったところだろう。
私事ではあるしこんな時期に自粛もせずに,と怒られそうだが,5月に引っ越す。引っ越し作業が無事済んでくれることを祈るばかりである。済んでくれないと僕は住むところがなくなってしまう。最後に書店が健全に営業している神保町を見られないのは残念(5/1現在,三省堂書店は休業,東京堂書店も平日のみの営業となっている)だが,致し方あるまい。
専門家会議によれば,少なくとも1年はこのような状況が続くと見られる。映画館もジムも閉鎖され,英会話教室や料理教室も休会だ。カフェも書店も図書館も閉まっている。散歩に行くと昨日まで空いてた場所がもう閉鎖されたりしている。大変な世の中になってしまった。ちょっと前まで東京オリンピックの会場を北海道にするだのなんだのすったもんだやっていたのとか,関西電力の賄賂だとか池袋暴走事故だとか,ピエール瀧とか沢尻エリカとか全部吹っ飛んでしまった。
一刻も早くこの状態が収まってほしいと思う一方,完全に以前の日常に戻ることはもうないのではないだろうかとも思う。前述の通り,人々の価値観は大きく変わりつつある。まだ緊急事態宣言がなされてから2週間でこの状態なのだから,それが解除されても人々との親密な関係というのは形を変えていくだろう。withコロナ時代にどう生きていくのか,それがこれからの課題だ。つまんない結論しか出なかったけど,許して。