冷たい水の中をきみと歩いていく

平坦な戦場で生き延びること

気分はもう最低

は結局,自分の枠の中で生まれて死んでいくのだな,と思う。

いきなり主語がクソでかくて恐縮至極ではあるが(文字通り一文字目の主語がクソでかい),その「枠」が身体という牢獄であれ,思想という縛りであれ,くだらない人生観であれ,趣味嗜好であれなんであれ,人は自分だけの世界で死んでいく。自分だけの世界で生まれて,自分だけの大切な輝くものを抱えながら,自分だけで死んでいく。誰かと一緒にいたって,そういう意味で,人は死ぬまでひとりだ。

 

自分の隣の芝生が青いことは分かっていても,「みんな良ければ最高だね!」ではなく,「隣の青い芝生より自分の家の赤い芝生の方が面白い!」とか「青い芝生とかつまんないし攻撃してやる!」と考えたりする。これは動物の縄張り意識みたいなものなのだろうか。

 

ヘッセの『デミアン』の有名な台詞で「鳥は卵の中から抜け出ようと戦う。卵は世界だ。生まれようと欲するものは,一つの世界を破壊しなければならない」というものがある。しかし実際のところ,卵の中で腐って死んでいく鳥のなんと多いことか。卵,すなわち自分の枠から出ていくことは本当に難しいことなのだと思う。

 

これは自身にとっての戒めであるのだが,人はどうあがいたって自分の枠の中で死んでいくのに,そこに優劣をつけようとしても仕方ないだろうと思う。「私の方が優れている!」と言って,丸い枠と四角い枠を比べて優劣を競っても,そもそも形が違うものを競う意味がない。

 

さて,ここからめちゃくちゃ気持ち悪いことを言う。

 

私はオタクではあるが,どちらかと言えばサブカル寄りの人間だ。キャラクターの可愛さよりも物語の面白さや演出の良さで作品を選びたい。世の中に見たい作品は無数にあるので,キャラクターの可愛さだけの作品に時間を消費しているほどこちらは暇ではない,という気持ちが奥底にある。時間という有限なリソースをどのように配分するのが最適解なのか,ということばかり考えているのだ。

だから「とにかく可愛い女の子が出てくる漫画が好き!」とか「なにも考えずにボーッと見られるアニメが好き!」という人と話しても微妙に方向性が異なることが多い。そしてそういう時,私は心の中で「わかってねーなこいつ」とか「なんも考えずに作品を受容するなよ」とか思ってしまう。これは最悪だ。醜い心だ。悪しき心だ。

相手は自分の枠の中で純粋に楽しんでいる。別にいいじゃないかそれで。そう思おうとしても,「わかってねーなこいつ」の心が出てきてしまう。じゃあおまえは何を分かっていると言うのか。他人を見下して優越感に浸ろうとするな。

 

今日『イージー★ライダー』という映画を観た。どうでもいいけどこの「★」なんなんだ……。らき☆すた』と「つのだ☆ひろ」以外でこれを使うことがあるのか……。

広大なアメリカで,主人公たちは自由を求めてひたすらにバイクを走らせる。その中で ,以下のような印象的なシーンがあった。

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「自由の国,アメリカ」。誰もが一度は聞いたことのあるフレーズだろう。主人公たちも自由を求めて旅をしているが,その長髪や格好はアメリカの「伝統的な」価値観からの強い反発を受ける。「自由の国」であるアメリカで,どうして彼らが自由を求めちゃいけないのか?

曰く,「人々からは主人公たちが自由の象徴に見えるから」。彼らは何物にも縛られず,自分で生きているから。そして自由の象徴たる彼らを見ることで,そうなれない,しがらみだらけの自分たちを認識せざるを得なくなることが怖いから

 

はっとさせられた。私は,純粋にキャラクターを楽しんでいるオタクのことが怖かったんじゃないか?シナリオがどうとか演出がどうとかわけわかんないこと言って純粋に楽しめていない自分を認識せざるを得なくなることが怖くて,無理に優越感に浸ろうとしていたのではないか?そこには優劣なんか存在しないのに。

 

人は死ぬまでひとりだ。どうせ作り上げた「枠」の中で死んでいく。そして他人に迷惑をかけない限りにおいて,その枠を批判する権利は他人にはない。どっちの枠が優れているとか劣っているという話自体が筋違いだ。あまりにみっともなく,俗物的だ。最低だ。

 

書いてて「最低だ、俺って。」という気持ちになってきたので,このへんでやめておく。

タイトルは矢作俊彦大友克洋気分はもう戦争』から。最低なのでこのようなタイトルになった。

気分はもう戦争 (アクション・コミックス)

気分はもう戦争 (アクション・コミックス)

 

 終わり。