冷たい水の中をきみと歩いていく

平坦な戦場で生き延びること

いつか”一緒に”輝いて

最近の日の落ちる速さに驚きながら,何かを諦める顔をしている。例えばそれは日の長さだったり平成最後の夏だったり夏のエモさだったりするのだけど,私たちはいつも何かを諦めて失っていく。仕方ないさ,とつぶやいて諦める。

 

最近『凪のお暇』という漫画を読んでいる。主人公・凪が会社を辞めて彼氏とも別れて家も捨てて,それでも生きていくという漫画だ。この漫画の良いところは,「何もない生活っていい!私たちは物質的には豊かかもしれないけど精神的には貧しくなってしまった!!ここには私たちが忘れてしまった大切なものがある!!!」とかクソしょうもない精神論を説くわけではないというところだ。凪が自由人な隣人に恋をして岡崎京子ばりのセックスまみれの自堕落な生活を送るようになり,節約上手だったはずがコンビニ飯ばかり食べるようになっていく……というシーンが印象的だった。

 

この漫画に出てくる凪の元彼はとにかく意地悪でモラハラ男なのだが,彼は彼で後ろ暗さを抱えている。彼の家族はとても綺麗に見える。可愛らしく天然なお母さん,公務員で優しいお父さん,そしてその自慢の息子がふたり……。素晴らしい家族。

でも実際は,お母さんは整形狂いで,お父さんは不倫をしていて,元彼の兄は消息不明。家に笑いはなく,温かさもない。演じられていた家族ゲーム。表面を取り繕っただけの,失われたものでいっぱいの家族。

 

前置きが長くなったが,これを読んでいたらなんだか自分の家族のことを思い出した,ということだ。

 

うちは3人家族。父は会社を経営していて,母は専業主婦。小さい頃のことを思い出すと,お金に困ることはなかったし,欲しいものは何でも買ってもらったし,よくわからない高級レストランにもいっぱい行った。そのうち受験をして国立の幼稚園に入った。お受験のために色々な勉強をさせられた。子どもらしい遊びはさせてもらえなかった。家には本ばかりがあった。親ばかりが熱心だった。私はおとなに気に入られて面接に受かる子どもを演じた。合格の一報を受けて親は大喜びしたそうだ。周りは親が医者とか弁護士とか社長とかそんなのばっかりだった。そこの小学校で父はPTA会長をやっていた。よくしゃべる父は周りからも人気者で,私は先生から「お父さんによろしく頼むよ」と何度も言われた。別に嬉しくはなかった。おまえらに何が分かる,と内心思いながら笑顔で応じた。

 

私は父のことが大嫌いだ。

 

父は外面は良いものの,内面はどうしようもない男だった。他人を支配したがる男だった。私は「自慢のひとり息子」として習い事をたくさんさせられたし,そこで結果を出さないと厳しく叱責された。

 

小学生の頃,水泳教室で選手コースに入っていた私は,ある大会で大した結果を出せなかった。帰宅すると私の部屋がめちゃくちゃになっていて,「お前みたいな出来損ないは殺してやる」という走り書きが落ちていた。いったん出かけた父がまた帰ってくるのが恐ろしくて,部屋の片隅で震えていた。父は帰宅するやいなや,私を引っ叩き蹴飛ばし,「てめえなんか死んじまえ!」と罵声を浴びせた。その頃には心が無になっていた。

 

中学受験の模試の結果が悪くて,震えながら「でも塾の先生も『今回は難しかった』って言ってたもん……」と言い訳する。するとまた引っ叩かれて「他人がそう言ったからなんなんだよ!じゃあ他人が死ねって言ったらてめえは死ぬのか!」とインターネットでも最近見かけない論理の飛躍をしたりする。怖いので黙り込む。そうすると「なんで黙ってんだよ!なんとか言え!」とまた引っ叩かれた。

 

こういうエピソードは枚挙にいとまがない。

 

一番衝撃的だったのは小学校の卒業写真を撮る前日,目のあたりを父に殴られて目が腫れてしまったこと。私は「転んだって言いなさい」と何度も言い含められ,実際そのとおりにした。あれ,これって虐待でよく見るやつだな……と内心思いながら。その日,私はあまりに酷い態度に嫌気が差して,「ねえ,『子どもの権利条約』っていうのがあるんだよ!子どもは大事にしなくちゃいけないんだよ!」と抗議した。当時内容はよく知らなかったけど習ったばっかりで言いたくなったのだろう。案の定引っ叩かれて終わりだった。その頃,マンションの屋上から飛び降りたら死ねるのかとよく考えていた。

 

当然そういう爛れた内情は誰も知らない。父は会社経営者だしPTA会長で外面が良かったから。外側からはどう見たって他人が羨む「素敵な家族」が演じられていたから。そう,誰も知らない。

 

さすがに私が中学高校大学と成長するにしたがって暴力を振るわれることは少なくなっていったが,いったん植え付けられた「恐怖」というものは簡単には払拭できないし,おそらく墓場まで持っていくことになるのだろう。

 

そんな父が躁うつ病と診断されたのは去年のことだった。いま考えれば昔っからの行動も躁うつの気があったと思う。

診断される数か月前から,いきなり俺は死ぬと言ったり包丁を取り出して殺してやると言ったり,正直キ◯ガイとしか思えない行動を繰り返していた。ある日,また包丁を取り出して怒鳴り散らし,外に出ていき数時間帰ってこなかった。さすがに少し心配になり,近所を探したがどこにもいなかった。父は結局包丁を持ったまま車の中にいたのだが,どうやって死のうか考えていたと言っていた。何かをブツブツ言っていて正直恐ろしかった。

 

いまも治療を続けているが,治ることはないだろう。少し詳しく聞いてみると,父の会社の従業員も嫌気が差して辞めたりしているのだそうだ。最近は母と離婚についての話も持ちかけられているらしい。金があろうが名誉があろうが,結局父はひとりなのだ。誰も愛せず誰にも愛されず,ひとりで死んでいくのだ。

 

そしてそれはその血を最も色濃く継いでいる私も同じだ。

 

時折,自分に流れるこの血が恐ろしくなる。

時折,破滅願望がとめどなく溢れ出してくるのを感じる。

 

いなくなれば楽になる。これは呪いだ。血の呪い。それは私を縊り殺そうとする。

でもできるだけ生きていこう。まだその気力はあるのだから。

 

いつか,その呪いを克服することができたら,きっとその時こそ,輝かしい人生が始まるのだと,そう信じているのだ。

 

 

前職の上司とこの父は,自分の中で決着をつけるべきふたつのものだったので,どちらもブログに書いてみた。

今後この話題に触れることは殆ど無いと思う。こんな不愉快な話,誰も聞きたくないだろうし。

 

タイトルは『少女革命ウテナ』39話「いつか一緒に輝いて」より。

いつか輝きたい。ひとりで死んでいくのではなく,誰かと一緒に。

夢の見た夢(意味なしアリス)

ここんとこ毎日ブログを書いているので日記っぽくなってきた。ブログの良いところは思い立ったらすぐに書けるところだ。Twitterだとすぐに流れていってしまう思考(フロー)が,ここだとまとまった思考(ストック)に出来る。と言っても明日は飲み会だし土日は京都に行くのでたぶん日記は書けないんだけども。まあいいや。

 

今朝,夢を見た。

 

素敵な夢を見てツイートしていたフォロワーさんがいたので,真似して朝に夢をスマホのメモ帳に書き記してみた。夢の内容は全く思い出せないので,メモ帳を見て初めて思い返す。虚構が現実を作るシミュラークルっぽい感じがあってなんだか面白い。朝はとにかく弱いので,正直書き記したという事実すら曖昧だったが,メモ帳を開くときちんと文字列が記録されていたので安心した。

 

以下はその内容。原文ママで記す。

 

8/23 4:37

当たり前のように前職の夢を見た 半分外みたいな路上っぽいとこでパーティーやってて俺は様子を伺っている 高校や大学の同級生もいる でも俺はずっと外から見ている あるきだした

 

4:37て。どうやら高齢者みたいな時間に目が醒めたらしい。ちなみに当然のようにその後二度寝しているので4:37に起きた記憶は一切ない。その後寝続けて8:15に起きたのは流石に少し焦った(9:00始業)。

 

「当たり前のように前職の夢を見た」というのは,昨日書いたブログの記事(https://t.co/hQktdwztPb)を受けてのことだろう。昨日は転職に至るまでの辛かったことや死にたかったことなどをいろいろ思い返していたから,夢にそれを見てしまうのは予想通りではあった。

 

「半分外みたいな路上っぽいとこでパーティーやってて俺は様子を伺っている」というのはよくわからない。私が去った後でも変わらない毎日が営まれている……ということだろうか。そして案の定そこに入っていくことは出来ない。様子を伺っている,というのが何とも私らしい。たぶん電柱にでも隠れてチラチラ見ていたのだろう。ところで,「路上っぽいとこという時点で半分どころか全部外だが……」というのはナシで。これは夢なので。前職では休日に組合主催のBBQパーティーがあった(2回行ったことがある)ので,それが念頭に置かれているのかもしれない。

 

「高校や大学の同級生もいる」なんでいるんだお前らは。しかもなんかこれは少し憶えているのだが,特に付き合いのなかった連中が出てきた気がする。こういう連中に限って同窓会で会ったりすると「ようライカ!元気してたか?いや~みんな大人になったよな!ていうかウチ(母校)のこういうとこ最高だったよな!!」とか言ってきたりする。誰だよてめーは。いきなり現れて好き勝手言ってんじゃねーぞ。ていうかライカさんは人の顔を覚えられないので,割とマジで忘れてたりする。名前を忘れることはほぼ無いが,顔は本当に憶えられない。まあそういうよく知らん連中がうようよと出てきたらしい。

 

「でも俺はずっと外から見ている あるきだした」なんかこれ怖い。絶対真顔でずっと外から見てたし,真顔でスッとあるきだしただろう。いったいどんな心境だったんだろう,夢の中の私は。昨日までとの決別なんだろうか。そうだったらいいな。

 

タイトルは谷山浩子さんの曲「猫の見た夢」「意味なしアリス」から。

今日はシンプルな感じで。終わり。

 

S氏の隣人

昨日とテンションが180°違いますのでお気をつけください。さながらジェットコースターです。

 

昨日でこのブログは5周年だったらしい。これを書いてるライカさんは誕生日が8/20なので,大学3年生の誕生日の翌日に始めたようだ。多分当時,何かと思うところがあって始めたんだろう。最初の頃の記事を見返すと何やら感慨深い。

 

ここ数日更新頻度が高いのは,書きたいなーと思うことがぽんぽん出てくるからで,それは精神状態が良いからだと思う。ほぼ1年くらい何も更新していなかった時もあったし。今回はその暗黒の時代について書く。これは早く書かなきゃいけなかったんだけど,書く度に頭がごっちゃになってしまって,下書きに残しては消して,また書いては消して……と繰り返して,ずっと目をそらして背を向け続けてきた。

 

暗黒から抜け出した時期(転職活動について)は以前に書いたことがある(http://komaryuzouji.jugem.jp/?eid=485)。一人暮らしを始めて,転職先で働き始めて,ようやっと気持ちが落ち着いてきた頃に書いた記事だ。この記事を書いたことがきっかけで,スラスラと書きたいことが出てくるようになった気がするし,書いてよかった。

 

しかし,肝心の暗黒の時代にはあまり触れていない気がする。まあその頃のこともちょこちょこツイートしてるから,ちょっとは知ってるひともいるかもしれないけど。なので今日は過去を総決算していく。

 

タイトルは吉田ひろゆき氏の漫画『Y氏の隣人』から。この漫画は『笑ゥせぇるすまん』をさらに不条理にした感じの漫画で,自分の人生観に大きな影響を与えている。オススメなので読んでみて。

 

さて。S氏の隣人というタイトルだが,S氏というのは前職の上司の名前だ。そして,私が転職を決めたきっかけになった人のことだ。ただ誤解しないでもらいたいのは,私はS氏のことが嫌いではない。思い返すのも嫌な人だったら,わざわざブログになんか書かない。出会い方さえ違っていれば,もっと良い関係を築くことが出来たという確信がある。仮にS氏と同い年だったら間違いなく仲良くなれただろう。それくらい私とS氏は性格がよく似ていた。…主に悪い点で。

 

まず私の性格は,人に話しかけたり出来ないというものだ。それは人から「……(だからなに?)」と思われるのが怖いから。逆に言えば,私も人からどうでもいいことで話しかけられると「……(だからなに?)」と思ってしまいイライラする。当然ずっと友達は少なかった。大学ではだいたい一人で講義に出ていた。「よっ友」という関係が嫌いで,よく知りもしないやつから「よっ」なんて言われるのが堪らなく嫌だったし,誰だよてめーはと思いながら下を向いて歩いていた。

 

でもさすがに社会人になってホウレンソウ(報告・連絡・相談)も出来ないのはまずいなと考えていたので,割と頑張ってみた。どうでもいいことで声を出して笑ったりした。部活の合宿にも参加してみたりカラオケイベントに参加してみたりした。昔から飲み会は結構好きだったから,積極的にいろいろな場所に顔を出して顔を売った。そしたら意外と楽しかったし,かわいがってくれる人もいた。最初に配属された部署は総務部で,社内の人に顔を覚えてもらうと円滑に仕事が進むような部署だったから,なおのこと頑張っていたというのもある。最初の上司も,そんな私を「ライカくん」と呼んで割とかわいがってくれた。「誰だよてめーは」と周りに噛み付く悪しき心を封じて,まっとうな社会人みたいな顔をして過ごしていたし,それはそれで楽しかった。

 

しかし,ひとつ満たされれば次をと求めるのが人間の性。私は”次”を求めた。

まずは学生から社会人になるファーストステップは上々。次は,「やりたいことをやりたい」。

 

総務部というのは私のやりたいことではなかった。そういえば書いてなかったが,私は現職も前職も出版社だ。出版社に入ってくるだいたいの人間は編集者になりたいと思って入ってくる。でも実際は営業だったり経理だったり,それこそ総務部に回されることだってある。やりたいことが出来る会社だからって,やりたいことが出来るわけではないのだ。さらに言えば,あなたがやりたいこと=会社があなたにやってもらいたいこととは限らない。会社は利益を最大化するように人員を配置する。あなたが編集者になりたくても,法学部出身だったら法務の知識を活用させようとするし,経済学部だったら経理の知識を活用させようとする。これはあくまで一例だが,得てしてそういうものだ。

 

人事部長にその旨を伝えると,「ライカくんがやりたいことは分かった。検討してみよう」と言ってくれた。ちなみに私は人事部長のことを尊敬していたし,総務部と同じフロアにいた人事部のメンバーも全員好きだった。人の環境という点では,その部署は申し分なかったのだ。

 

そして運命の人事異動。私は編集部に異動になった。ちなみに総務部から編集部への異動というのは極めて珍しかったので,周りからは「あいつはなにかやったのか」みたいになった。別に悪いことは何もやってない。やりたいことをやりたいと言っただけ。胸を張って編集部のフロアにデスクを動かした。

 

ーそして,S氏に出会った。出会ってしまった。

 

S氏の容貌は,ちょっと犬に似ている。上等のではなく,野良犬。口数少なく,そんなに歳でもないのに髪は真っ白で目付きが鋭く無愛想で,とにかく声が渋い。大学でラグビーをやっていたらしく,ガタイが良い。

 

異動初日,S氏はふたりで飲みに連れて行ってくれた。小汚い街の居酒屋だ。前の上司は酒もタバコもやらなかったが,S氏は酒はガンガン飲むしタバコもスパスパ吸った。前の上司の上品さが少し物足りなかった私は,見た目はちょっと怖くて無愛想だけど私を「ライカくん」ではなく「ライカさん」と呼び自分のことも「Sさん」と呼ばせて,お互いに一編集者として対等の立場で編集者の流儀を語るこの人のことを,好きになってしまった。

 

じゃあ良かったじゃないか,とはならない。なぜなら,これは最初からバッドエンドが約束された話だからだ。

 

翌日以降,S氏と交わす言葉は一気に少なくなる。なぜなら何をホウレンソウ(報告・連絡・相談)しても「なんで?」と返されてしまうから。「なんで?」「もしこうだったらどうするの?」「なんで?」「ちゃんと考えてよ」「なんで?」「なんで?」「なんで?」……とどこまでもどこまでも無限に続く「なんで?」。

 

わかっている。きっとそれは,「なんで?」を繰り返すことでより考えをブラッシュアップさせようとするS氏なりの優しさだったのだろう。S氏は常に正しかった。いつだって正論だった。編集職場は社内でも最も忙しい部署で,そこで20年以上勤めて編集長をやっているS氏は,いわば修羅場を何度もくぐり抜けてきた歴戦の古強者だ。しかし渋い声でこちらを睨みつけながら解決策も提示せずに「なんで?」と無限に言われるというのは,とても好意的には受け取れない。S氏は「こう考えてみたらどう?」という提示は最後の最後,スケジュールがやばくなった時まで絶対にしてくれない。優しさを汲み取るとか以前に,まず恐怖の念にかられてしまう。苦痛でしかない。早く終わってほしい。次第に足が震えてくる。冷や汗が出てくる。めまいがしてくる。自分の前にいる「なんで?」を繰り返すだけの”これ”がなんなのかわからなくなる。

 

これもおそらくはS氏なりに部下に「自分で考える力をつけさせる」方法論だったのだろうが,ほとんど何も教えてくれずに「貴方の仕事なんだから貴方なりに進めて」という感じで仕事をやらせようとする。わからないことだらけなので当然行き詰まる。編集部に来たはいいものの,引き継ぎもほとんどなく何も聞いていないのだ。そして恐る恐る聞きに行くと「なんで?」「なんで?」「なんで?」……うんざりしてだんだん聞きに行かなくなる。すると「なんで聞かないの」「なんで報告しないの」と怒られる。しまいには「私から聞きに行かなきゃ貴方は何も話してくれないでしょう」と言われる。言葉遣いが嫌に丁寧なのが逆に空恐ろしさを助長した。ひたすら怖いという感情が日に日に強まっていった。S氏の目を見ることが恐ろしくなり,私の目線はどんどん下がっていった。それは心を反映しているかのようだった。

 

こういう状態になってしまうともうどうしようもない。どんどん目線は下がっていく。やっぱり人とは分かりあえない。笑顔で人と話しても意味ない。私は地面を見ている。バカバカしい。なんだこいつら。どっかいけよ。いなくなれよ。私は地面だ。いなくなってくれ。……いや,自分がいなくなればいいのか……というように心がだんだんと壊れていき,入社以来封印していた「誰だよてめーは」の悪しき心が出てきてしまった。営業部長から「ミスタースマイル」と呼ばれた笑顔が消え,飲み会であれだけ饒舌だった口数は減り,私はずっと下を向き続けた。S氏と目が合えば怒られる。怖い。私は虫けらだった。野良犬に睨まれて何も出来ない虫けら。踏み潰されてはじめからいなかったことになる虫けら。

 

「相手はいまこれをしてもらいたがっているのに貴方は何もしていない」と怒られる。私は相手の目を見ていない。「貴方が準備していないからこんなことになっている」と怒られる。私は相手の目を見ていない。「黙ってるんじゃわからないから。なんとか言ってくださいよ」と怒られる。私は相手の目を見ていない。永遠に交わることのない視線。「貴方が」「貴方が」「貴方が」。S氏はいつだって私のことを「貴方」と呼ぶ。初めて会った日は「ライカさん」と呼んでくれたのに。いつも距離を感じさせる言い方で私を突き放そうとする。私の心をめった刺しにしようとする。痛い。

 

毎日足がフラフラしていた。昼休みはひとりで社食で食べて,すぐに図書室で寝ていた。誰とも話したくなかった。S氏も昼休みは社内のソファーで寝ていて,昼休みが終わるチャイムとともにデスクに戻ってくる。昼休みは1分たりとも働かない!という鋼の意志は両者に共通していた。

 

会議のある日。私は性格的に,ありったけの書類を持って会議室に早めに行くことにしているので,始まる15分前には着いている。ほぼ時を同じくしてS氏も大量の書類を抱えて入ってくる。同じ性格をしているからだ。だが目線は合わない。無言。しばらく誰も来ない。5分前くらいにみんなが入ってきて,定刻になると会議が始まる。会議で私が話せば必ずS氏による「なんで?」というツッコミが入る。今言わなくてもいいのに……という「なんで?」が深く鋭く突き刺さる。手が震える。急速に口が乾いていく。その一方で冷や汗は止まらない。頭が真っ白になる。「会議で黙られても困るんだけど」と言われる。何もわからなくなり目の前がゆらゆらする。ゆらゆら。俺は空洞。でかい空洞……

 

会議が終わった後に「ああいうの困るんですけど。何度も言ってますけど,黙らないでくださいよ」と言われる。それは憎々しげに,私を横目で睨みつけるように。私は小さい声で「……すみません」とだけ応え,席に着く。生きててすみません。

 

私が強い意志を持っていれば良かった。このくそ上司ぶっ殺してやる!!と猛烈に仕事に取り組めるような人間だったら良かった。そしたらS氏はきっと私を認めてくれただろう。でも,そうはならなかった。なぜなら私は弱かったから。弱すぎたから。すぐに泣いてしまうような虫けらだったから。人から傷つけられることが怖くていつもひとりでいた,ただの弱いものだったから。はじめから解決法なんてものはひとつしかなかったのだ。

 

それは,私がいなくなること。

 

だから私はいなくなることにした。転職活動を進め,無事内定を勝ち取った。当然S氏に報告することになる。頭の中で何度もシミュレーションを重ねて冷や汗をかきながら「話がある」と告げた時,S氏はこれまでにない虚をつかれたような表情を浮かべた。私から業務内容以外で話しかけることなんて皆無だったから,驚いたのだろう。

 

ふたりで別室に移動した。どこまでも弱く情けない私は,嘘をついた。最後にS氏に小さな罪悪感を植え付けてやろうと思った。そこで「毎日辛くてクスリに頼っている。最近特にクスリの量が増えてきた。もはや社会生活がまっとうに送れなくなってきたので,会社を辞めたい」と言った。S氏は必要以上に私のことを心配してくれた。いままでの無愛想が嘘のように饒舌に話しだした。「周りに相談できる人はいるの?」「まずはいったん休職というのはどうかな?」「ライカさんのご両親はご心配されているんじゃないか?」……ああ。そうだ。この感覚。私はこの人に気にかけてもらいたかった。ここにいることを見てほしかった。「貴方」ではなく「ライカさん」として見てもらいたかった。

 

終わりを告げた日にその「夢」が叶うなんて。

 

もともとS氏は周りに気を遣える人だった。この気配りはとにかくすごくて,資料を忘れている人がいれば予備を5部くらい持ってきて渡し,会場までの道筋が分からない人がいれば事前に印刷しておいた地図を渡すような用意周到さがあった。仕事だってそうだ。S氏に任せれば完璧だった。私がやった仕事を土日ですべてチェックし,間違っているところには「違う!」などと書かれた付箋がビッシリと貼り付いて返却されてくる。「見ました」とだけボソッとつぶやいて,私のデスクに無造作に置く。そんな人だった。「ありがとうございます!」と言うと嫌そうに「仕事なんで」と言う。そんな人だった。

 

私は会社で初めて泣いた。社会人になって,ましてや社内で泣くなんて。恥ずかしい。本当に恥ずかしい。見られたくない。でもそんな思いとは裏腹に,涙は止まらなかった。憎んでいるんじゃない。嫌いなんじゃない。この感情はなんなんだろう。

 

私が泣いている間,S氏は何も言わなかった。これが普段の打ち合わせだったら「もういいですか」とか言ってすぐに切り上げようとするS氏だったが,その日ばかりは何も言わなかった。何も言わずに私を見ていた。慰めるでもないのがS氏らしいが,逆の立場でも私は何も言わなかっただろう。

 

そしてその日から2週間後,私は退職した。最終日,社内のみんなに餞別のお菓子を配って回った。いい人が多い会社で,その会社のことはいまでも好きだから,離れる選択肢しか選べなかったのは本当に残念だった。S氏には特別に,とらやの羊羹を買っていった。袋を渡し「短かったですがお世話になりました」と告げる。エレベーターまで見送ってくれたS氏は自嘲気味に「人を見送るのに慣れちまったよ」とつぶやく。実は私の前の部下も辞めていて,他に派遣社員が3人入ったが全員数ヶ月で辞めてしまっていた。閉じるエレベーター。私は頭を下げ,S氏も頭を下げる。やっぱり目線は合わない。そしてエレベーターは閉じ,全ては幕を閉じた。

 

過去を総決算する,とまではいかないにしても,いくらかは胸の心情を吐露できたような気持ちがある。

 

同時に,いまの平穏な日々が,この戦場のようだった日々の上に成り立っていることを実感する。いまの奇跡のような日々は,この地獄のようだった日々の上に成り立っていることを実感する。

 

……でもなんだろう,この胸にぽっかりと空いた穴は。それはなんだか分からない。分からないけど。傷ついて毎日を生きていくよりは楽しく生きていったほうがいいんだ,きっと。

 

それでは最後に。

人よ,幸福に生きよ!

 

ありがとうございました。

 

味の迷宮

友達と新宿・ションベン横丁のうす汚い中華料理屋で化学調味料の味がする炒飯を食べながら「最近マズいものってねぇな」という話をした。現在進行系で食ってるこれは確かに味の素の味しかしないけど別にマズくないし。何なら週一とかなら全然食えるし。毎日は嫌だけど。あ,でも皿はちゃんと洗ってくれ……あ,お小皿は水浸しのまま提供しないでくれ……そんなとこまで本場感出してこなくていいから……

 

今の御時世だいたい何を食べても美味い。金のかかった料理は勿論美味いが,丸亀製麺だって日高屋だって吉野家だってマックだってサイゼだってカップ麺だって美味い。そもそも味がある時点で御の字だ。美味いに決まってる。大学の近くに変わった肉が出てくる店があって,ワニとかコウモリとかクマとか食べたことあるけど,まあちょっと癖あっても全然食べられる味だった。

 

よく考えたらこの現代日本で本当にマズいものを食おうとするのってめちゃくちゃ難しくない?強いて言うならシュネ●ケンくらい。あのタイヤみてぇなやつ。あれは衝撃的だった。中学生の頃にドイツに旅行行った友達がこれ買ってきて食べたんだけど,マジで甘苦い?ゴム??は???みたいな味しかしなくて最悪すぎて,最終的には大富豪で負けたやつの罰ゲームになって教卓あたりに散らばっていた。ちなみにこのウズマキを引き伸ばすとコンセントみたいになって面白いのでオススメ。あと男子校なので散らばったゴムは誰も掃除しない。

 

戦犯↓(ドイツだからとかそういう政治的なことではないです)

 

まあ確かにパッケージで「これはタイヤの味だよ~」みたいなの示唆されてるけど,これはそういうことだとは思わないだろ普通。なんらかの比喩だと思うだろ。でもタイヤの味。クソみてぇなゴムの味。

 

ところでゴールデンベアーとかコーラのハリボーグミ自体は学校の売店で売っていた。しかもちょっと高いから買ってきたやつは数分間クラスのヒーローになれた。まあクレクレ乞食だらけなのでみんなから毟り取られていくだけなんだけども……そういうわけでうちの学生はみんなハリボーベアという資本主義のクマに絶大な信頼を寄せていたのに,シュネッケ●の登場でそれが一気に裏切られた。これのせいでドイツのことしばらく嫌いになった。なんかこれとサルミアッキ(いつもアルミサッシと言い間違える)とで世界一まずいお菓子決定戦みたいなの見た気がする。アルミサッシの方はよく知らんけどこれと比べられてる時点でドッコイドッコイだろどうせ。

 

シ●ネッケンへの恨みが深すぎて脱線してしまった。話をションベン横丁の小汚い中華料理屋に戻す。そいつと俺はマズいものってあんのか?という話をしていた。そしてそいつは言った。

 

いや,待て。あるぞマズいもの……

(ごくり……)

ーーーファミレスの牛タン定食。

(確かに……)

 

以前,大戸●で牛タン定食を食べたが旨味が一切なくなんかうっすいゴムを食ってる気持ちになった。0.02mmぐらいの。しかもなまじ大戸屋って1000円くらいするから,せめてねぎしくらいの牛タンが出てくるだろとちょっと期待してしまっていた。しかしゴムだった。●ュネッケンといい●戸屋の牛タン定食といい,マズいものはゴムの味がするって法則でもあんのか?

 

ファミレスの牛タン定食は食べたことないけど,他の定食があれだけ美味い大●屋であの始末なんだから比べるまでもないだろうな。しかもそこそこの値段するからそれまた腹立つな。1000円払ってゴム食った!みたいな。

 

なんでこんな話しているかというと,今度行く店が「マズい店」を店名に冠しているから。

しかし調べてみると普通に美味しいらしく,「いやいや板前さんwマズい店とか言って実は美味しいんじゃないですかw謙遜しちゃってこのこのw(ヘラヘラ」「実はそうなんですよw味のわかるお客さんにだけ来てもらいたくてw(ヘラヘラ」みたいなウザい感じがありありなのだが,それも含めて楽しんでこようと思う。間違ってもヘラヘラしないようにしたい。

 

何も考えずに10分位で,アンツィオばりのノリと勢いだけで書いてしまった。

タイトルはいま聴いている谷山浩子さんの曲『カイの迷宮』から。

冷たい水の中を言葉と歩いていく

「孤独をつぶやくな。沈黙を誇れ。」

 

数々の名言を生み出してきた,かの有名な成人向けコミック雑誌『LO』2011年11月号のキャッチコピーである。

『LO』は成人向けとは思えないたかみち氏による美麗な表紙と秀逸なキャッチコピーと,一方で普通の成人向け雑誌も真っ青なロリ一直線のとても自分に正直な雑誌だ。表紙だけ見ると普通の雑誌に見えるせいか,近所の書店ではヤングチャンピオンのすぐ横に陳列されている……いやさすがにそれは気付けよ。でもそこの書店は老夫婦がやっている漫画もほとんど置いていないような店なので,そもそもなぜ『LO』を陳列しているのかはかなり謎だ。そういえば確かAmazonでは『LO』の取扱は中止されたのではなかったっけか。

 

Twitterでは『LO』の表紙とキャッチコピーをツイートしているBotもあるので気になった方は見てみると良い(https://twitter.com/LO_CoverCopyBot)。きっとその独特の世界観に引き込まれることだろう。

 

まあ『LO』の話はそのへんにして,この「孤独をつぶやくな。沈黙を誇れ。」という秀逸なキャッチコピーである。

 

孤独をつぶやく,というのは日々まさにTwitterで行われていることだ。この瞬間も,様々なひとびとの「孤独」が電子の海を漂っている。たまに他者からのリプライやふぁぼという”釣り針”に引っかかることはあっても,基本的にそれは漂泊し続けるのみだ。それは誰に向けたものでもない愚痴だったり推しへの愛だったりするわけだけど,別にそれが良いとか悪いとか言うつもりはない。それを定量的に評価できるほど私は客観的な眼差しを持っていないし,強い人間でもない。

 

沈黙を誇れ,というのはどうだろうか。正直な話,沈黙怖くないか?

私は沈黙が怖くて,ひとりで話し続けてしまうことが多い。それは話好きだからでもなんでもなく,ただただ自分が黙った後の沈黙が怖いからだ。沈黙に刺し貫かれる痛みが怖いからだ。「シーン」という無音はどんな騒音よりも喧しく耳をつんざく。沈黙を会話と会話のはざまと捉えるならば,そもそも会話がなければ沈黙も発生しえない。だから沈黙の恐怖を味わうくらいなら会話自体を抹消してしまえばよい,原因がなければ結果は発生し得ないのだから……とも考えられる。

 

そう考えると,「孤独をつぶやくな。沈黙を誇れ。」というのは(少なくとも私にとっては)とても難しいようだ。言葉は身を守る盾であると同時に,相手を傷つける槍でもある。とても便利な存在なのだ。誰からも傷つけられず誰をも傷つけないように,冷たい水の中みたいな静謐な空間で過ごしていたいと願おうとも,言葉は常に隣りにいる。この世に生を受けた瞬間から死が与えられる瞬間まで,言葉は常に傍らにいる。人生の歩みは常に言葉とともにある。沈黙の恐怖に耐えられないひとに「甘言」を囁き堕落させていく,言葉とはそういった根源的な呪いなのではないか……。

 

……だんだん何を言っているのか分からなくなってきてしまった。このテーマについては自分の考えをうまくまとめることが出来ないのでとりあえずここまでにしてみるが,いずれ改めて挑戦してみたい。

 

タイトルは谷山浩子さんのアルバム『冷たい水の中をきみと歩いていく』から。

表題曲『冷たい水の中をきみと歩いていく』は本当に良曲なのでぜひ聴いてみてほしい。いずれ谷山浩子さんの曲についてもブログで書いてみる(こう言って逃げ道をなくす作戦)。

 

ぼくたちは何だかすべてフェスにしてしまうね

ここ数日,友人らと東北地方へドライブに行っていた。

 

まず早朝に着いた大きなダム湖では遊覧船がいた。営業時間前で乗客も誰もいないにもかかわらず「こちらに見えます雄大な景色は……」というアナウンスが聞こえてきたので,リハーサルでもやっていたのだろうか。アナウンスで録音音声ではなく人が身振り手振りを交えて話しているとなんだか嬉しくなる。そのなかでも名物になっている,USJターミネーターの綾小路麗華さん的な文化は貴重だ。

 

 

近くの店でイワナの塩焼きが売っていたが,そのすぐ横の水槽では己の運命をまだ知らないイワナがすいすい泳いでいた。

そういえば川魚の代表格・イワナイワナのなかでも川に残ったものを指し,海に出たものはアメマスと呼ばれて巨大化するのだそうだ。祖国を捨てて外に飛び出したやつがビックになった,みたいなサクセスストーリーを感じて面白い。

 

レジャー施設を避けてやたらと湖とか山とか神社に行きたがるメンバーなので,そうこうしているうちにまた別の湖に着く。

聞いたことない湖だったし,正直誰もいないと思っていた……ところが。

 

ドーン!!という効果音が聞こえてきそうなくらいに車がめっちゃ並んでいる。

思わず「フェスか!?」と叫んでしまった。

 

これはフェスについての知識がないので,人気のない所にいきなり大量の人が発生するとすべてフェスだと思ってしまうためである。実際はフェスでも何でもなく,そこそこ知られたキャンプ地だったらしい。多くの家族連れが「ここをキャンプ地とする!」と宣言し(たかどうかは知らないが)テントを張っていた。砂浜のようなものもあり,子どもが遊泳していた。

 

予想外の展開におののきながら真顔で水際でピチャピチャやり,すたこらと撤退した。

となりには「妖精美術館」なる施設があり,気になったのでHPを見てみたら一文目から「森に囲まれた湖・沼沢湖のほとりに、世界中の妖精が集まっています。」とポエティックかつ力強い文言が踊っていた。なにしろ世界中の妖精が集まっているので妖精が好きにはイチオシのスポットだ。たぶん。

 

山形県米沢で米沢牛のステーキを食べ,なんとしても一度行ってみたかった銀山温泉に向かう。川が流れており,その両岸には旅館や食事処が立ち並んでいる。日が落ちてガス燈や旅館の明かりが灯り,川に反射しているのは幻想的で,大正ロマンを感じさせた。

 

 

えっへん我々は銀山温泉で宿泊しますよ,みたいな顔をして銀山温泉街を練り歩いていたが,実際宿をとったのはそこから車で30分の別の温泉地なので,足湯に浸かっておとなしく宿に帰った。ちなみに足湯はクソほど熱かったが「はぁ~まったく熱くないな!」と嘯いて周囲に死ぬほどどうでもいいマウントを取りながら入浴した。

 

翌日は宮城県の方に向かい,石巻で海鮮丼を食べた。

「元気食堂」という名前のお店で「元気丼」という海鮮丼を食べたので,異常に元気になってしまった。

 

 

鮮魚市場ではサメが売っていた。アオザメ。つぶらな瞳で可愛らしい。見ているだけでサメ肌を感じる。ステーキや煮付けにすると美味らしいが,フカヒレや肝油ドロップ以外ではサメを食べたことがないので食べてみたいものだ。

 

 

宮城県の南の方のやたらギザギザした牡鹿半島の最南端のほうに「金華山」という最果て感のある島がある。人口6人らしい。

なにかと最果て感のあるものが好きなので,とりあえず向かってみる。山道。山道に次ぐ山道。山道すぎる。酔ってきた。しんどい。なんか靄が出てきて怖い。サイレントヒルか。ここは静岡ではなく宮城なのだが……

 

世界の果てを求めて,無限に続く山道を越え,見えてきたものは……!!!

 

―――最果てだった。

 

 

雑な感じで終わる。

タイトルは岡崎京子氏の物語集『ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね』から。

 

 

明日また目覚まし時計をかけるよ

最近なぜか,毎朝5時に目が覚める(しかしその後二度寝して7時半に起きることにはなるのだが……)。

 

こんなに早く起きるなんてもう歳かしら,と思っていたが,今朝目覚まし時計をよく見たらアラームが5時に設定されていた事に気がついた。ついこの間のSIREN展に早朝から並ぶために5時起きしたのがそのままになっていたのだ。

 

より正確に言えば,部屋には目覚まし時計が4つあるのだがそのうち1つが5時に設定されていた。スマートフォンのアラームは『GO MY WAY!!』『ゲンキトリッパー』などのアイドルマスターの朝っぽい曲(高槻やよいに特化している)が7時半から5分おきに8時半まで繰り返し爆音で流れる異常な仕様になっている。AmazonAlexaは7時半からポワポワした音楽をかけてくるがこれがうるさくてたまらない。あと2つはジリジリと鳴る普通の目覚まし時計で,そのうちの1つのアラームが5時のままになっていた。だから5時に1つだけ目覚まし時計が鳴り,他の3つは7時半になると「ごまえーごまえー!!・ポワポワポワポワ!!!・ジリジリジリジリ!!!」という気の狂った三重奏を奏で始めることになり,こうなるともうお手上げ。起きるしかない。

 

異常な目覚まし時計はさておき,驚くのは記憶の不連続性。

 

自分自身には朝5時に目覚まし時計が鳴っていてそれを止めた,という記憶は一切ない。実はその目覚まし時計はベッドから少し離れた場所にわざと置いてある。つまり朝5時にアラームが鳴り,無意識のうちに歩いてそれを止め,ベッドに戻り,そこではじめて「なぜか5時に起きた」と認識している。原因(アラーム)と結果(5時の起床)が結びつくどころか,それぞれが関係を失って不連続に遊離した存在になっている。

 

今朝,何の気なしに5時に設定されていたアラームを見て,そこではじめて「なぜ朝5時に起きてしまっていたのか」を理解し,世界の真理を知り得た気持ちになった。ちなみに7時半のアラームは,きちんと記憶に残っている。AmazonAlexaは「Alexaとめて!!」と言わないと異常にうるさいポワポワポワをやめてくれないので,朝から強い気持ちが求められる。イメージとしてはバーサーカーソウルをしているときの遊戯くんを「もうやめて!!」と止める杏子のような気持ち。

 

ちなみにタイトルはチラッと見たら本棚においてあった山本直樹氏の短編集『明日また電話するよ』から取った。

そして今朝の学びをブログにまとめただけなので,ヤマもオチも意味もない。まさにヤオイである。

ambivalence ambulance

最近,家の庭にきのこが生えていたので「オッ」となった。

意外ときのこは色んな所に生えている。前に近所のメガネドラッグの看板からきのこが生えていて,あれってどういうシステムなんですか?と店員に聞きたくなったことがあった(が,こらえた)。実際は看板に土が乗っていたとかそういうところだろう。得てして真実というものはつまらない。

 

きのこはどこからだって生えてくる。セミからもアリからも紅茶からも。最近知ったがスエヒロタケというキノコが人の肺の中で育って肺炎のような症状を起こすのだそうだ。嘘のような本当の話。

 

きのこは強い。こどもは風の子,こどもは木の子。なんか適当に言ってみたら『風と木の詩』みたいになった。だからどうということも無いが……これは,多くの平穏無事に生活してきた人たちの性癖の壁(”性壁”とでも言えよう)をぶっ壊したと思われる作品。最近作者である竹宮恵子氏の自伝『少年の名はジルベール』(装丁が格好良いし萩尾望都氏らとの「大泉サロン」時代が面白く描かれているのでオススメ)を読んで色々と思い出したりした。

 

話が脱線してしまった。

 

ところで僕たちが平穏無事に生活している帳をいきなり引き裂くものがある。それがきのこだ。

やつはいきなり現れる。足元に,植込に,根本に。土さえあればどこにだって。そして日常を浸食してくる。そのさまは,お前たちの暮らす日常なんて脆いものだ,足元に気をつけな……とでも言いたげにも思える。

 

きのこはなんだか非日常的だ。まあ少なくともツツジの植栽と同レベルの日常感はないだろう。紫陽花よりも。朝顔よりも。鬼灯よりも。強いて言えばトケイソウに匹敵する非日常感。トケイソウは花が時計っぽくて面白いし実はパッションフルーツなので好きだ。いきなり真っ赤なベニテングダケや”死の天使”ことドクツルタケが生えてくれたら嬉しいが,実際はだいたいなんか茶色の地味なきのこだ。それかサルノコシカケっぽいやつとかキクラゲっぽいやつとか。しかしそんなものでも胸は高鳴るものだ。

 

僕ときのことの出会いは(記憶の限りでも)幼稚園の頃まで遡るから,因縁浅からぬ関係と言えよう。

雨上がりに園内のブランコで遊んでいた僕は足元の小さい袋状のきのこを見つけた。いま考えると多分ホコリタケというきのこだったのだろう。こいつは袋をつまむと中の胞子が粉状に飛び出す……はずだった。

ところが,雨上がりだったためか,水風船よろしく水がピュッと飛び出して顔にかかった。大した勢いでもないが,それは幼稚園児を魅了するには十分だった。僕は翌日もその次の日もそいつを見に行ってツンツンと触ったりしていた。翌日は晴れていたのでバフッと粉状の胞子が飛び出した。

 

しかし数日後,そいつは跡形もなく無くなっていた。きのこの寿命が短いのか,誰か心無い人がもぎ取ってしまったのか……確かにきのこはもぎ取りたくなるフォルムをしているのは間違いないが,幼稚園児にして人の世の儚さを学ぶことになった。切ない。

 

また話が逸れたが,そう,きのこは非日常なのだ。マジックマッシュルームなんていうし。見つけるとなんかハイになる。

 

一方できのこほど日常的なものもないだろう。だってスーパーに行けばなめこが58円。エリンギが78円。ブナシメジが98円。安くて美味しい。茹でてサラダに入れるのもよし,バターで炒めて食感を楽しむのもよし,煮込んでいい出汁も楽しむのもよし。なんとも日常っぽい食材だ。

 

きのこはambivalent(ここでタイトル回収。ちなみにタイトルは語呂がいいから付けただけ)。日常的だし非日常的。どこにでもあるしめったにない。そして僕はそんなきのこの二面性に惹かれるのかもしれない。

 

空が青かったから

結局,空がなんで青いのかわからないまま生きている。

 

最近はチコちゃんという女の子がボーッと生きていると叱ってくれて,それはそれで人気があるのだそうだ。需要と供給。

なにかを知っていることはいいこと。知識を身に着けることはいいこと。それはあなたの世界を広げてくれるのだ……テレビをつければ常にクイズ番組や情報番組がやっていて,色々な芸能人が面白おかしく知識の大切さを説いている。

……でも,本当にそう?

 

空はなんで青いのか?それは「レイリー散乱という現象で,波長の短い青色がより散乱される」からだと知っている。だがそれを知ったからって別に世界は1mmも変わらないしわからない。なぜってそれを知る前も知った後も,空は変わらず青いから。ただ青いだけだから。「レイリー散乱=空が青い理由のあれ」という図式がインプットされるのみ。明日私が死んでも,君が死んでも,日本が死んでも世界が死んでも,空は変わらず青い。It's non of your business!!

 

どうせそんなことだったら,空は青いから青い,でいいのだ。ある事象をあるがままに受け入れることだってあっていい。

周りから意味付けをされる前の純粋経験。後付の理屈に雁字搦めにされる以前のそれ。

 

すべての物事に合理的な意味や理由や理屈が必要?「役に立つから」やった方がいい?そんなのは嘘だ。

言語化すればきっと「なんとなく」になってしまうもの。それはつまらないものかもしれない。でも(だからこそ),それは(それゆえに)大切なのだ。

オタクというひとびと。

こんばんは。ライカ(@trush_key)です。

 

最近気温のバグがデバックされてきたのか,やっとちょっと涼しくなってきましたね。

まあ29℃とかで涼しいって感じるようになってるのは,こちらの頭がバグっているだけみたいな疑いもありますが……

 

ブログのタイトルなんだこれって感じですが,これはこれで明快だし良いのではないでしょうか。なにかと意味深なタイトルをつけるのは,1000%メンヘラだと一万年と二千年前から相場が決まっています。SkypeやLINEのひとことメッセージに意味深なことを書いたり病んだ歌詞を引用してきたりした経験(しかも日替り。ランチの定食かよ),このブログを見ている可能性のあるフォロワーのみなさんにはある気がします(深い意味はないです)。

 

たまに考える「オタクとはなにか」。

一般的に「オタク=アニオタ」という,非常に狭い認識が広まってかなりの時間が経ってしまったように思います。オタクっていうのは,アニメを好んで見ているひと。アニメを見なくなったらめでたくオタク卒業!!

 

……改めて,「オタク」ってなんだろう。まずオタクには色々あります。アニオタはあくまでその一類型に過ぎません。鉄オタ,ミリオタ,ドルオタなど様々なオタクが世間には蠢いています(オタクは日が当たる存在ではないと思っているので「蠢いている」という表現をしました)。ただ,本来的には「オタク」という概念に包摂される「鉄オタ」「ミリオタ」「ドルオタ」が,一般的に「オタク=アニオタ」と狭く定義されてしまっているため,なにやら別異な扱いになっていたりする。

 

まあそれはそれで気になっているんですが,それ自体になにか問題があるわけではないです。気になっているのは「オタク」って「状態(ステータス)」なのかしら?ということです。「アニメを好きな状態」「鉄道を好きな状態」「軍が好きな状態」「アイドルが好きな状態」……そういう「状態」をオタクっていうのかしら???

 

わたしは違うと思います。いや,そう思いたいだけなのかもしれないですね。。。

だって「オタク」って言葉の意味が軽すぎるから。

 

個人的には「オタク」っていうのは「魂の在り方」だと思っています。

つまり,オタクというのは,「なにかに偏執的な興味を示す(ちょっと気持ち悪い)魂の在り方」。

だからアニメだろうが鉄道だろうが関係ない。「これなんなん!?めちゃくちゃ知りてぇ!!!」っていう魂の在り方。他の人はだ~れもそれに興味を示してなくって,それで「あいつらは分かってねえな……」とちょっといじけてて,でも溢れる知的好奇心や憧れのままに突き動かされているような魂の在り方。うんうん,わたしはそのような魂の在り方が愛おしくて好きだな。

 

……まるでオタクという夢から醒めたかのように,普通のひとという現実に戻ったように。「オタクやめた」「もうオタクじゃない」「オタク卒業」とひとが言うのを聞くのはなんだか寂しい。

「あ,キミがあんなに好きだったものは『状態』に過ぎなかったのか……」と思っちゃうから。だってそれって切ないじゃん。悲しいじゃん。

 

 

いつかわたしも「オタク卒業」なんてことを言っちゃうんだろうか。

その時こそ,わたしが死ぬときなのだと思う。