冷たい水の中をきみと歩いていく

平坦な戦場で生き延びること

男のケモノ飯

獣だ獣。今日はけものフレンズ,ではなく獣のことを書いていく。 

最近平日の昼休みは,行きつけの近所の鮮魚店で魚弁当を買って家で食べることが多い。私は会社から徒歩5分のところに住んでいるため,地の利を得ているのだ。ところで,鮮魚店がやってる魚弁当というのはなんであんなに美味いんだろう。さばの味噌煮,サケの塩麹穴子の煮付け,マグロの漬け……レパートリーも大変に豊富だ。

その店の難点としては,どんなに早く行っても店主のおじさんに「あーごめんね!今日はもうさばの味噌煮しかないんだ!!」とか言われることだ。だいたい二,三種類しか残っていない。12時05分でその有様って,どんだけ早く買い占めていくんだよクソ。いつか真相を確かめてやるぞと会社から脱兎のごとく向かいつつ,今日もまた「あーごめんね!」を聞くことになる。くそう。

 

余談だが,「魚屋」というのは差別用語になってしまうようだ。魚屋に限らず,八百屋や床屋も同じで,それぞれ青果店とか理髪店とか言いかえられている。「~屋」というのは一般的に差別用語とされているのだが,「政治屋」とか「ブン屋」とかはちょっとそんな気もするけど,魚屋とか八百屋は別にどうとも思わない。誰が決めているのかよくわからない差別用語というのはいっぱいあるわけだ。

 

さて,魚弁当を片手にぶら下げて帰宅すると,まず真っ先にパソコンの電源を着けてニコニコ動画を開く。そして料理動画を見ながらおもむろに魚弁当を食べはじめる。

 

これはいつも見てる動画のシリーズ「結月ゆかりのお腹が空いたので」

季節の素材を買ってきて料理する様子をVOICEROIDの結月ゆかりが読み上げる動画なのだが,とにかく製作者の料理の腕が半端なく,とにかく出てくる食事が美味しそうなの素晴らしい動画なのだ。そしてその料理したごはんを食べながらの食レポも聞き応えがあり,楽しい。美味しいごはんを一瞬で平らげるゆかりさんも可愛い。540円で買ってきたサケの塩麹弁当も,心なしか普段の2割増しで美味しくなる。正統派にごはんが美味しくなる動画なのだ。

 

また,これもいつも見てる動画のシリーズ「アル中カラカラ」

「アル中カラカラってなんぞや?」と思う方もいるだろうが,要するにおっさんがハイボールを排水口のようなズッ!という汚い音を立てて飲みまくり,グラスに残った氷をカラカラさせるという地獄みたいな動画なのだ。この動画はどう見てもただの生焼けのクソ汚い肉を「ローストビーフ」と言い張って食べながら,ハイボールズッ!と飲むだけという虚無な内容だ(お腹を壊したというオチが付いていて素晴らしい)。しかしなぜだか,540円で買ってきたサケの塩麹弁当はやっぱり心なしか普段の2割増しで美味しくなってしまう。悔しい。あとBGMが常にアイマスのテッテッテーテッテッテテーなのがまた製作者の年齢を感じさせて泣けてくる。色々な意味でお涙頂戴の感動動画なのだ。

 

さて,動画の話はそのへんにしておく。つい最近,中高の友人と桜鍋のお店に行ってきた。吉原のすぐそばにあるお店なので,往時は遊郭に立ち寄った客が来ていたのではないだろうか。馬肉はスッキリとしているが癖はなく旨味が強く,卵に絡めるといくらでも米が進むという具合だ。ビールもグイグイ進む。

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私は獣肉が割と好きで,定期的に食べたくなる。しかし性格が悪いオタクなので,「ジビエ」と言われると「うるせぇ,横文字でしゃらくせぇこと言ってんじゃねぇぞ!獣だろうが!!」となってしまう複雑な側面もある。

 

大学の近くには獣肉で有名な「米とサーカス」という店もあった。ここで提供しているラクダや虫は食べたこと無いのだが,月ノ美兎委員長もクリオネ食ってるし,もっとアグレッシブに行くべきかもしれない。いつか行こう。いつか……(あまり乗り気じゃない時の顔をしている)

tabelog.com

 

両国にある「山くじら ももんじ屋」。前職で上司に連れて行ってもらった店だ。ここではイノシシやクマを腹いっぱい食べた。イノシシ鍋は身が締まっていて美味しかったが,クマ汁は若干クセがあった。なんていうか獣。って言う感じ。ちなみに「山くじら」というのはイノシシのことだって。山でクジラがザバーンってしてるみたいで,なんだか可愛い。

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個人的には獣の戦闘力(獣感)ってウサギ<ワニ<馬<鹿<イノシシ<<(越えられない壁)<<クマだと思ってる。ウサギとかワニとか,言われなきゃ鶏肉だと思って食っちゃうし。大切なことなので二回言うと,クマは割と獣。

 

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「ももんじ屋」は店先にイノシシの剥製がぶら下がっているのでギョッとする。

 

あとめちゃくちゃしょぼいことを言ってしまえば,獣肉を出している店の雰囲気が好きというのもある。だいたいこういう店ってのは,重々しい店構え,畳には掘りごたつ,額縁に入った由緒有りげな書,そして謎のオブジェクトが飾られていると相場が決まっているのだ。特に最後が最も大切だ。右の写真の謎オブジェクト・クソデカ和太鼓はマジで謎なので,特に気に入っている。

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なんか最後のとこだけ見ると雰囲気がいいお店が好き!とか言ってるだけのバカみたいな記事になってしまったような気がしないでもないが,自分で書いててお腹が空いてきてしまったのでこのへんでやめておく。なんというセルフ飯テロ。

 

タイトルは岡崎京子の『女のケモノ道』から。

女のケモノ道

女のケモノ道

 

 おわりー。

終わりしメシの標べに

花のズボラ飯』『甘々と稲妻』『ラーメン大好き小泉さん』『めしにしましょう』『侠飯』『めしぬま。』『くーねるまるた』……ここ数年メシの漫画が流行り続けている。ブームの火付け役がなんなのかはわからないが,やはり『孤独のグルメ』の影響は大きいんだろうなーなんて思う。

 

ちなみにライカさんは個人的には『高杉さん家のおべんとう』が好きだ。この漫画は女の子を引き取った主人公たちがおべんとうを通じて成長していく物語だが,主人公が地理学のオーバードクターなのでしばしば地理学の話題が出てきて楽しい。日本地理学賞を受賞しているというのも変わってて面白い。

 なんで急にメシの話をしたかというと,最近ライカさんが家でよくごはんを作っているからというだけだ。6月から一人暮らしを始めたが,それまではほとんど料理をしたことがなかった。

 

 ただ小さい頃からメシ漫画は好きだったので,メシについてのムダな知識はやたらとあった。そのムダな知識のソースは『美味しんぼ』である。

 

 美味しんぼは後半はすっかり意味不明になってしまったが,初期の美味しんぼ手をつないでテレポートするとか結構ぶっ飛んでた。あと山岡はアウトローっぽくてかっこよかったし,栗田さんは可愛かった。

とにかく『美味しんぼ』を読むことで,魯山人風すき焼き以外はクソ」とか「バラの上に乗った水は美味しい」とか「(四万十川産でない)山岡さんの鮎はカス」とか,およそ一生活きることのないムダ知識のみはたくさん身につけていた。

 

それまでに作ったものといえば,サークルでシャケから作ったかまぼこ(ゲロを吐きそうになるくらいに不味かった。臭くて食えたもんじゃない。産業廃棄物)とか,

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サークルで行った奄美大島で釣ったよくわかんない魚をさばいた(衛生観念がまるでないバカ集団なのでわさびで殺菌とか言ってた)とかそんなもんしかない。

 

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そんななか,今日作ったごはんがこちら。刮目せよ!!(ユースケ・サンタマリアのアレ)

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「鳥のもも肉とネギ,エリンギ,ピーマンの味噌バター炒め」「南瓜のいとこ煮」「レタスとわかめのサラダ」である。意外に悪くないでしょう?

お世辞にも綺麗な見た目とは言えないが,味は美味しかった。自分で言うのも何だが正直めちゃくちゃ美味しかったのだ。

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これはちょっと前に焼いた秋刀魚だが,自分がこんなまともな料理が作れるとは思っていなかったのでなんだか感動してしまった。良い焼き色でしょう。

 

つらつらと書き始めたので特にオチはない。

イカさんが大好きな漫画家の久米田康治先生も,最後のコマで「オチろ」みたいなこと言って無理やりオチをつけていた。若しくは唐突な下ネタだったり。これはそのリスペクトである。タイトルは安部公房氏の『終わりし道の標べに』より。

かってに改蔵(1) (少年サンデーコミックス)

かってに改蔵(1) (少年サンデーコミックス)

 
終りし道の標べに (講談社文芸文庫)

終りし道の標べに (講談社文芸文庫)

 

終わり。

 

 

 

これからの漫画の話をしよう

タイトルのまんまだが漫画の話をしていく。

 

ジムから帰ってきて風呂入って最高のビールを飲みながらこれを書いている。私はビールは基本的にエビスしか飲みたくないタイプ(しゃらくせぇタイプ)。それはさておき今日はいきなり本題に入る。自分で言うのも何だがしゃらくせぇタイトルをつけてしまったものだ。言うまでもないがマイケル・サンデルのアレからタイトルつけてる。あれ汎用性高いから。ちなみにこれは書評というか読んだ本の感想なので,特にこれからの漫画の話はしない。タイトル詐欺だがあしからずご了承いただきたい。

 

最初は好きな漫画でのランキングを考えていたが,正直ランク付けとかできなくって苦しんだので,思い切って好きな漫画3選を紹介することにした。3選って少なくね?とか言わない。最初は5選で書いていたんだけどマジで終わらなくなってきたので急遽減らしたのだ。長すぎたのでだいぶ削った。それでもちょっと長いけど暇な時にでも読んでくれ。

 

題して

「好きな漫画3選!!」(クソタイトル)

 

 ①蟹に誘われて(panpanya 

蟹に誘われて

蟹に誘われて

 

 panpanya先生はすごい。正直いま単行本として書店に出ている『足摺水族館』『蟹に誘われて』『枕魚』『動物たち』『二匹目の金魚』どれも大好きなので正直選べない。誰だ好きな漫画3選なんて言ったのは。好きな漫画家3選とかにすりゃあよかったのに(正直好きな漫画家3選は一人ひとりについてすごい量になってしまい書ききれる気がしないのでやめた)。

 

この漫画のなにがすごいかって,やっぱり「世界観」だ。ちょっとぼんやりとしたタッチで描かれた主人公の女の子と緻密に描き込まれた風景。その対比でキャラクタが浮き上がって前景化しているのが面白い。あくまで風景と人物は異なるレイヤーに存在していて,どこか現実感のない夢のような曖昧な世界であるということを示唆しているようだ。

 

表題作『蟹に誘われて』は住宅街にいきなり蟹がいて,なぜだか足の早い蟹を追いかけていくうちに知らない道に出てしまう……という話。そして相変わらず蟹は凄まじくリアルに描かれているのだが,最後主人公が蟹に追いついて捕まえる時だけ主人公と同じテイストになるのもまた面白い。そしてオチもまた秀逸である。

 

初めて読んだ時,安部公房の『鞄』(短編集『笑う月』に収録)を思い出した。こちらは重たい鞄があるために歩けない道がたくさん現れて頭の中の地図がずたずたに寸断されてしまう……という話だ。いずれの作品でも慣れ親しんだ(はずの)ものによって,一瞬にして日常が非日常に転落する面白さ・おかしさを夢のような作風で描いている。『蟹に誘われて』の蟹も『鞄』の鞄も,『不思議の国のアリス』の白うさぎのような水先案内人の役割を担っている。

笑う月 (新潮文庫)

笑う月 (新潮文庫)

 

あと初めてpanpanya先生の作品を読んだ時に「初期の模造クリスタルっぽいな……」と思ったのだが,それは独特の台詞回しも影響しているだろう。

 

『蟹に誘われて』で蟹を追いかける主人公の台詞で以下のようなものがある。

 

「どこに通じているのやら 知ったことか!」

 

自分の言葉を「知ったことか!」ですべてをぶん投げる感じは模造クリスタルっぽさが溢れている。模造クリスタルは『ミッションちゃんの大冒険』『金魚王国の崩壊』などのweb漫画で知られているサークルだ。『金魚王国の崩壊』はいまだに更新がされ続けているのでいつか単行本化されてほしい。絶対に買うので。商業でも『スペクトラルウィザード』を始めとした単行本が出ている。

www.mozocry.com

スペクトラルウィザード

スペクトラルウィザード

 

 さて, panpanya先生はもともとリトルプレス作品を発表していたようで,装丁にもかなりこだわりが感じられる。カバー裏などちょっと感動すら覚える。これは紙で単行本を買うメリットだ。『日本のZINEについて知ってることすべて』という本でもpanpanya先生が紹介されていた。

 ところで『蟹に誘われて』は漫画なのに索引がついている。おばあちゃんが意味不明なものをくれる『わからなかった思い出』という話に出てくる「ソムベーソバイ」やら「オロコッパーヘンデルモルゲン」も載っていて意味不明である。「いやいやそれ要らなくね?」というツッコミも含めて一つの作品として完成している。こういう「遊び」が随所に感じられるのも魅力だ。

 

夢のような摩訶不思議な世界というのは完全な異世界・非日常とは限らず,いまいる日常の紙一重で存在している……という感覚を味わえる作品だ。

 

 ②ちーちゃんはちょっと足りない阿部共実

 阿部共実先生の作品はとにかく心に刺さる。劇薬だ。心が弱っている時には読まないようにしている。灰色の日常/私たちは何も持ってない(から)/ここではないどこかへ行きたいけど/でもどこにも行けないということを徹底して描いている。

 

阿部共実先生の作品の魅力は大きくニつに分けられると思っている。一つは前述の灰色の日常の表現力,もう一つは言葉を手繰ったポエティックな表現力で,その二つが絶妙なバランスで共存している。『月曜日の友達』はとても名作だが,後者よりの作品だと思う。『空が灰色だから』は一話完結で,回によってそのバランスは大きく異なる。最終回『歩み』は前者にステータスを全振りしたような回で,歴史に名を残すレベルのトラウマものだ。

うん。わかってた。

グサッ!!!(心が死んじゃった音)

月曜日の友達 1 (ビッグコミックス)

月曜日の友達 1 (ビッグコミックス)

 

 その中でも前者の「どうしようもなさ」を煮詰めたような作品が『ちーちゃんはちょっと足りない』。ポップな表紙だが,内容はズシッとくる。何か大きな出来事が起こるわけでも世界が終わるわけでもない。誰かが死ぬわけでもない。じゃあ何があるのか?それは,日常だ。どこまでも日常。

 

団地住まいの主人公・ナツはぼんやりと毎日を過ごしていて,やりたいこともない。「なにかがちょっと足りない」と感じているが,努力をするのも面倒くさいという内向的なイマドキの若者だ。ナツは「ちょっと(頭が)足りない」友達のちーちゃんとしっかり者の旭と三人でつるんで「なにかがちょっと足りない」日常をダラダラと過ごしていた。そんなある日ちーちゃんが事件が起こす。それは日常の延長線で起こりそうな事件だが,それをきっかけに,ナツの「なにかがちょっと足りない」日常はおかしくなっていく。

 

この作品ではナツのモノローグがとにかく多い。内向的なナツは行動には出ないものの色々なことを考える。前に進んでいく友人たちと進めない自分を比べて,どんどん思考の闇に沈んでいくシーンは圧巻だ。

ちょっとくらい

ちょっとくらい

恵まれたって

いいでしょ私たち

私は何もしない

ただの静かなクズだ

みんな変わっていくよ

私は変われないよ

置いていかないでよ

ずっと一緒にいようよ

ずっとずっとずっと

 タイトルになっている「ちーちゃん」とナツは昔からの仲良し。ちーちゃんは身長も体重も知力も小学生のような子どもで家も貧しい。ナツとちーちゃんが一緒にいるのはなぜなのか。なんにもない日常の中で描かれていた「友情」の正体がだんだんと明らかになっていく。

 

周りはみんな前に進んでいく。ナツは前に進めるのか。それとも相変わらず同じところに留まっているだけなのか。その解釈は読み手に委ねられているが,ぱっと見感動的にも見えるラストのシーンは大変示唆的だ。

 

ちーちゃんはちょっと足りない』は一見キャッチャーなように見えて,ひとの心の闇を容赦なく暴き出している大変な名作だ。

 

 ③レッド(山本直樹

最近完結した『レッド』。この漫画は有名なあさま山荘事件を起こした連合赤軍を追ったドキュメンタリータッチの漫画だ。東大の安田講堂陥落以降,日本の学生運動が下火になっていったあたりからこの物語は始まる。そしてあさま山荘事件でこの物語は終わる。これほど有名な事件だし,結末はみんな分かっていてもそれでもやはりグイと惹きつけられるのは山本直樹先生の筆致と透徹した表現力の妙だろうか。

 

これは色んなことに対して言えるが,何かが下火になって多くの人の心が離れていってしまうと残った人は人心を集めようと躍起になってやばい行動に出がちだ。主人公たちも「いまの生ぬるいやり方じゃ人を惹きつけられない!」という思考ばかりがどんどんエスカレートしていった結果,仲間内でリンチ殺人を起こしたりあさま山荘事件を起こしたりしていった。

 

「上滑りする思考」が閉鎖空間で醸造されて行った結果,普通だったら考えられない狂気に満ちた行動に出てしまう。「総括」という名のリンチで容易に仲間を殺していく。国を良くしたいという純粋な思いから出発して,結果的には歴史に名を残す大きな罪を犯してしまった登場人物たちを,山本直樹先生は同情するでも感心するでも非難するでもなく,それを評価しない透徹した眼差しで描いている。

 

長くなるのでほどほどにするが,この「透徹した眼差し」とは「自己の徹底的な他者化」だと思っている(これに似たことがロバート・キャパの自伝『ちょっとピンぼけ』と西島大介の『ディエンビエンフー』にも書いてあったので興味ある人は読んでみて)。つまり作者の感情移入が見えないし作者の存在も感じられず,淡々と客観的出来事だけが描かれているように見えるということだ。そして,それ故にこの作品は狂気を描き切ることが出来ているのだと思う。

 

*補足:ロバート・キャパは恐らく世界で一番有名な戦場カメラマンで,戦場で亡くなった。2年前にそのことをブログで書いたことがあるので,良ければそちらもぜひ読んでみて。

trush-key.hatenablog.com

ちょっとピンぼけ (文春文庫)

ちょっとピンぼけ (文春文庫)

 
ディエンビエンフー 1 (IKKI COMICS)

ディエンビエンフー 1 (IKKI COMICS)

 

まとめると,淡々と描かれた人間の狂気・怖さがこの作品の一番の魅力だ。

 

 あとこの作品ですごいのはよく見ると登場人物の近くに丸数字が振られていること。これは何かと言うと,死ぬ順番を表している。すごい。そんなのゴーリーの『ギャシュリークラムのちびっ子たち』でしか見たことねぇよ。あれはアルファベットだけど。

ギャシュリークラムのちびっ子たち―または遠出のあとで

ギャシュリークラムのちびっ子たち―または遠出のあとで

 

 

あー疲れた。ひとまずは3選書いてみたが,それだけでかなり大変だった。すぐ話が逸れて余計な話をしてしまうからなんだけど,まあそれは仕方ないので。

 ビールもなくなったので終わり。

 

  

風と光と二十六の私と

今日は全身が痛すぎるので会社を早退して,生まれて初めてのマッサージに行ってきた。マッサージ師曰く,どうやらライカさんは身体は柔らかいらしいのだが,日頃の不摂生が祟ってどうしようもない身体になっているらしい。全身バキバキですね~と嬉しそうに言われた。なんでちょっと嬉しそうなんだよ。

 

でも確かに言われてみれば朝起きてスマホiPadで新聞を読み,会社でPCと原稿を読み,家帰ってPCとスマホと本を読み……そりゃどうしようもない身体にもなるわ。「26歳とは思えないバキバキですね~」とどこか嬉しそうなマッサージ師に「でもジムに行っているが…」と抗議したが,「焼け石に水ですね~」と更に相手の嬉しさを助長させてしまった。だからなんでちょっと嬉しそうなんだよ。

 

しかし実際かなり全身が強張っていたようで,身体はマッサージですごくスッキリした。しかしなんかムカつくのでその後すぐにジムに行った。心なしかいつもよりもトレーニングマシンと向き合えたような気がする。目指せ,丁寧な暮らし。

 

さて,ここ数日絵を描いてTwitterに上げている。画力は中学生の頃にノートの端っこに描いていた落書きとほとんど変わっていない。きちんとした練習などしたことがないからだ。ペンタブはずっと前から持っていたのだが,全然描けていなかった,否,怠けて描いていなかったのである。「時間がなくて…」とかこういう言い訳を許すと何もかもズブズブになってしまう。ただただ己の怠惰ゆえである。

 

◯なんか今日描いたやつ。風邪引いたときに見る夢に出てくるやつかよ(伝われ)。

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一方,絵を描こうとするとなんだか困り顔か苦笑いのキャラクタしか描けないという問題もある。パースなどがわからないため,動きを描くことができない。横からとか斜めからとかの描き方がわからないため,真正面からしか描けない。よって困り顔か苦笑いのキャラクタの横に何らかの台詞を載せるということしかできないので,必然的にパターンが限られてしまっている。うーん,練習あるのみである!

 

今日は『ペンギン・ハイウェイ』観てめちゃくちゃ良かった。ネタバレになるので詳しくは書けないが,『少女革命ウテナ』『素晴らしき日々』『ソラリス』『パプリカ(というか今敏作品全般)』あたりが好きなひとには絶対にリーチする内容だろうなと思った。美術でいえばルネ・マグリットエッシャー。途中でエッシャーの「滝」が出てきた時にはなんだかニッコリしてしまった。

 

エッシャー「滝」

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その後に石田監督と森見登美彦氏が登壇して色々なお話をされた。石田監督のキョドり具合と森見氏の落ち着き具合のバランスがなんだか面白かった。ていうかよく考えたら『ペンギン・ハイウェイ』,原作はそれこそ森見登美彦氏で監督は『ポレットのイス』『フミコの告白』の石田監督で脚本はヨーロッパ企画上田誠氏ってめちゃくちゃに豪華なんだよな。声優も蒼井優さん釘宮理恵さん能登麻美子さん潘めぐみさんと豪華。

 

◯ポレットのイスはノイタミナのOPでいつも流れるやつ。


「ポレットのイス」


「フミコの告白」Fumiko's Confession

 

はてなブログで初めて書くんだけどこれめっちゃ書きやすいな。リンク貼りやすいし。jugemよりずっと使い勝手が良い。

 

明日は『フリクリ オルタナ』を観に行く。『フリクリOVA自体はもう18年も前の作品だが,演出がとにかく斬新で格好良いのだ。曲も格好良い。面白いエピソードとしてはEDの実写に出演していたのが後に芥川賞作家となった本谷有希子さんという…笑GAINAX好きは絶対見るべき作品だ。

 

会社で映画研究部に入部してから映画館に行く頻度が増えて嬉しい。タイトルは坂口安吾の短編集『風と光と二十の私と』から。 このなかの『私は海をだきしめていたい』という一編が好きで,合同誌に書評を寄稿させてもらったことがあるくらい思い入れが深い作品。

風と光と二十の私と (講談社文芸文庫)

風と光と二十の私と (講談社文芸文庫)

 

 

そんじゃまた。

きっと十年後にも一緒に笑って飯を食おう

ふと手元のカレンダーを見たら今年もあと3ヶ月ないことに気がついてしまった。もう2018年の75%が終わってしまったことに驚きを隠せない。よく考えたら今年は退職→ヨーロッパ旅行→転職という激動の1年だったし,光陰矢の如しの極み(そういえばフタエノキワミの動画をこないだ久々に見たら11年前の動画でビックリした)みたいな1年だった。

 

インターネットを長くやっているため,こういう「タイム・イズ・マネー」みてぇなことを書くとどこからともなく祭り囃子のような合いの手が聞こえてくる気がしてしまう。悪い合いの手が。カラオケで全然歌えてないひとの歌声をかき消さんばかりのタンバリンの音が。国会で野次る野党の罵声が。踊る阿呆どもの合いの手が。聞こえてきてしまう。

 

「意識高いブログか~!?」

「まだ東京で消耗してんのか~!?」

 

だいたいおんなじような意味のことをふたつに分けて言うな。イケ◯ヤさんだって頑張っているんだぞ。あんな所得倍増しそうな名前してるけど頑張っているんだぞ!!よく知らないが。

 

それはどうでもいいが,中学高校も男子校だったので,こういう罵り合いの文化に身を浸しすぎてしまっている感じが正直ある。殴り合いのなか育まれる友情というのは美しい(とされている)が,私が浸ってきた罵り合いの文化というのはオードリーのようにニヘラニヘラとお互いを小突きあっているような感じなので,傍から見ればたぶん気持ち悪い感じなんだと思う。

 

この文脈で,2018年は中学高校の同級生たちと迎えたのをなんとなく思い出したのでそれを書いていく。このブログはなんにも考えずに文章を書き始めているため,しばしばこのように突然流れが形成されることがある。

 

2018年の年始は中高時代の友人の別荘で迎えた。別荘で鍋パーティーをしようと,上野のアメ横やらなんやらで食材を買いまくった。馬鹿な友人が見境もなくウニやイクラやマグロやカニを買い物カゴに投げ込んでいったため,馬鹿みたいな量の具材を調達してしまうことになった。

 

 

すっかり忘れていたのは,ライカさん含め全員男子校出身者で,全員の調理スキルがD-だったことだ。

スキルなしの状態で挑んだ調合に失敗した結果,ウニやイクラやマグロやカニなどの恵まれた食材からゴミが産まれてしまったのは言うまでもない。

 

 

自分で貼っといてなんだけどグロ画像でしょこれ。勿体無いから全部食べたが,クソ高い具材で出汁を取ったにもかかわらず,海水を煮詰めた味しかしなかった。何事も過剰は禁物という有益な教えを授かることが出来た(とりあえず太字にしておくことで意味ありげな雰囲気を出すやつ,使えるな)ちなみにこれが2018年最初の食事だったためインパクトが強い。

 

お茶にごし的にこの時撮ったちょっとイイ写真でも貼ってみる。

これは青春感的なテーマで撮ってもらったような気がする。25歳成人男性たちが。青春感を。謳歌し忘れてしまった青春を。

 

 

みんな異常に黒い服を着ているがこれはただ単にオタクだからというだけで深い意味はない。みんな異常に赤い顔をしているがこれはただ単にそういう仕様だからというだけで深い意味はない。

 

最後に少しいいことを言わせてほしい。

 

タイトルになっているのはオタクのみなさんならすぐわかると思うが,『少女革命ウテナ』でウテナがアンシーに対して言ったセリフだ。ちなみに元セリフは「きっと十年後にも,一緒に笑ってお茶を飲もう。約束だ」だが,お茶ではなく飯のほうが大事なので改変した。

 

中学高校の同級生というのは出会ったのが13歳の頃(中高一貫だった)だから,もう13年も前になる。出会いは10年以上も前だ。それだけ古い友人とこのように飯を食うことが出来る喜び…感謝っ…!圧倒的感謝っ…!

 

「感謝ってw やっぱり意識高いブログじゃねーか!」

「もしくはJポップの歌詞じゃねーか!」

 

……また祭り囃子が聞こえてきた。オタクたちの祭り囃子が……

そういえば「まつりばやし」っていうタイトルのアニメあったな。「三丁目のタマ うちのタマ知りませんか?」ってアニメの。あれ夏の終わりにピッタリだから見てみると良いと思う。あときさらぎ駅でも祭り囃子が聞こえてきたような。祭り囃子こっわ。こっわ。

 

終わり

平坦な日常でぼくらが生き延びること

今日はスーパーに秋刀魚が並んでいたので買った。一匹150円というのは高いのか安いのか分からない。もう秋の足音がするような気がする。魚グリルがあるのでそこで適当に焼いただけだが,表面に浮き出てきた油がじゅわじゅわ言ってとても美味い。ほろ苦い内臓も最高だ。

 

さて,一人暮らしを始めて3ヶ月くらい。最初の頃はいろんな事があった。そこで今日はそれを振り返ってみたい。昨日のブログで「過去は振り返らない」みたいなこと書いてた気がするけど,都合が悪いことは無視するので知らん。ライカさんは魂をTwitterジャパン(詫び老人がいるところ)に譲り渡しているので,ありとあらゆる記録がTwitterに残っている。では,プレイバック・三ヶ月前!

 

◎入居1日目

 

開幕早々インパクトが強い。終わってんなこれ。社会性が無すぎる。ていうかアニメDVD持ってきたのにテレビ無いし,パソコン持ってきたけどWi-Fiルーター無いし,フローリングのクソ硬い床で一生漫画を読んで暮らすしかないなと思っていた。

(ちなみにこの後,このツイートを見て呆れたフォロワー氏が冷蔵庫をくれた。本当にありがとう。Twitterやってて良かったと初めて思った。……いや嘘嘘,このブログを読んでくれてるフォロワーのこと全員好きだから)

 

部屋が虚無過ぎて早くも発狂したのか,ライカさんはいきなり寿司を食いだした。しかもちょっといいやつ。洗濯機もテレビもカーテンもテーブルも買ってないのに寿司を食うな,寿司を。その金を家電に回せ。

 

 

◎入居4日目

 

 

進捗ですじゃねーんだよな。テーブルが無いのでドンキでクソ安く買った折りたたみ椅子にパソコンを乗せてる。健康かどうかは知らんが少なくとも文化的な生活は営めていない気がする。考えるのが面倒くさくなってポン子(バーチャルYoutuber)の動画を見ている様子が伺える。でもカーテンは買ったようだし,上記の通り冷蔵庫も設置済み。冷蔵庫の低い唸るようなウウウウウウウウン……という音が響き渡ると「文明開化の音じゃん!」とテンションが上ったのを覚えている。一気に文明が進みすぎて泣いちゃった。

 

◎入居7日目

 

この日まで洗濯機を使用したことがなかったため,こいつのことを白くてデカイ箱みたいにしか思っていなかった。実際は白くてデカくてゴウンゴウン!とうるさい箱だった。ちなみにここでツイートしている「アタックにiPhoneを立てかけて配信」というのは,ライカさんがハマっているバーチャルyoutuber月ノ美兎オマージュである(月ノ美兎は最初期に,洗濯機の上にiPhoneを置いてアタックの箱に立てかけて配信するという気狂いじみた姿勢が話題になっていた)。

 

◎入居9日目

 

進捗ですじゃねーんだよな(二回目)。こうして見比べてみるとテーブルもテレビもベッドも扇風機もあるし,だいぶ文明化されてきているようだ。でもベッドが届いたはいいが,フレームが届いていないのでお布団みたいになっている。なんだこれ。そして着々とオタクタペストリーが増えている様子が見て取れる。

 

◎入居11日目

 

 

ある日,起きるべくして事件が起きた。思い立って炊飯器で米を炊いてみたが,米を炊くにあたって入れるべき水の量がわからなかったので適当に入れた。結論から言うと,バカみたいな量の米が出来てしまった。しかも水が足りなかったらしく最初生米みたいになってしまったが,追い炊き(そういう言葉があるかは知らん)を何度かやったらまあ食えるレベルの米になった。

 

 

蓋開けた瞬間思わず「ふざけんなおまえ……」とつぶやいてしまった。バグった米の量に理解が出来ず,しばらく放心してしまった。ライカさんはキレンジャーではないし四条貴音でもないしカービィでもないし五十鈴華でもない。こんなバカみたいな量の米が食えるかアホ。無心でラップに包んで冷凍庫に投げ込んでいった。

 

そして入居1日目の寿司食ったときと同じくらい綺麗な流れで見ないふりをしてつけ麺を食べに行っている。現実を見ろ。

 

今日は秋刀魚を焼いた。この頃に比べると自分で秋刀魚を焼くなんて文化的なことをしている。なかなかたいしたものだ。同じような日常を送っているようであっても,進歩を感じ取れる一連のツイートであった。

 

タイトルは椹木野衣氏による岡崎京子論『平坦な戦場でぼくらが生き延びること』より。

三丁目と四丁目の間で(夕日は見えない)

昨日こんなブログを書いた(http://komaryuzouji.jugem.jp/?eid=497)。その前半で最近読んでいる『凪のお暇』という漫画について書いていて,本筋ではないので早々に話を終えてしまったのだが,今になって書きたいことがムラムラっと出てきてしまった。

 

昨日のブログではこんなことを書いた。

この漫画(『凪のお暇』)の良いところは,「何もない生活っていい!私たちは物質的には豊かかもしれないけど精神的には貧しくなってしまった!!ここには私たちが忘れてしまった大切なものがある!!!」とかクソしょうもない精神論を説くわけではないというところだ。

私たちはともすればすぐに昔を懐かしみ,それを無批判で礼賛する。高度経済成長期を振り返っては「あの頃日本は元気だった!」と言い「現代日本では失われてしまった絆があった!」と遠い目をして語る。実際がどうであれ思い出というものはいつだって美しいから,それを振り返ることが必ずしも悪いことだと思わないけれども,その「美しい思い出」を作る過程で無意識に切り捨ててしまっている”なにか”には常に敏感でありたい,と思う。

 

お気づきの方もいるだろうが,タイトルは『三丁目の夕日』(西岸良平)と『四丁目の夕日』(山野一)から取っている。勿論後者は前者のパロディ作品だ。

 

まず,『三丁目の夕日』は基本的には過去を礼賛する物語である。昭和三十年代の日本を舞台に,狭い町で繰り広げられる様々な人間模様。大きな事件が起きるわけではない。なんてことのない,でもいまでは決して手に入らない「日常」がそこにはある。基本一話完結なのでストーリーというストーリーはない。たまに「交通戦争」とか「受験戦争」といった不穏な影はよぎるものの,全体を通じて明るく牧歌的な雰囲気が漂っている。

 

 

実は私はこの作品のファンだ。というか西岸良平の作品は大好きだ。温かみのある絵柄はやはりほっこりする。別に私は人が死んだり不幸になる物語が好きなわけではなく,好きな物語で人が死んだり不幸になっていくだけなのだ。誤解しないでほしい(『よつのは』というエロゲーで主人公が似たようなこと言ってた)。

 

実写化作品である『ALWAYS 三丁目の夕日』しか知らないというひとも多いようだが,是非原作も読んでほしい。絶対そっちの方が面白いから。私は原作のもっさりした青年・六さんを堀北真希演じる美少女・六ちゃんに作り変えてしまった劇場版は好きではない。そもそもALWAYSってなんだよ。勝手な横文字を入れるな!あと同作者の『鎌倉ものがたり』の実写化『DESTINY 鎌倉ものがたり』ってなんだよフザケてんのか!?……と文句を言い出すとキリがないのでこのへんにしておく。

 

 

翻って,『四丁目の夕日』は読んだことがないひとも多いと思う。私も先月まんだらけで入手するまで,ネットで得た断片的な情報しか持っていなかった。が,やはり手に取って紙面として読むと衝撃は大きい。優秀だった主人公が印刷工場を経営している父の死をきっかけに借金まみれになり,どんどん不幸になっていく物語である。父は書くのも憚られるような方法で死んでしまう(そしてその死に様は見開きでドーン!と描かれる)のだが,まあ印刷機はひとを巻き込んでミンチにしてしまうこともある……とだけ書いておく。『マブラブオルタネイティブ』『神宮寺まりも』とかいえばまあ何となく分かるのではないか。表紙も無機質で薄ら寒い感じがする。

 

 

ここでは「いまでは決して手に入らない『日常』」なんて綺麗事はいっさい描かれていない。「絆」は主人公を助けてはくれないしそれどころか彼を不幸のどん底に陥れていく。彼は「ドブネズミみたいに美しく」もなく,ただの薄汚いドブネズミとしてラストではデウス・エクス・マキナ的な不条理によって完膚無きまでに叩き潰される。

 

ほぼ同時代を描いたふたつの作品で,時代がここまで真逆に描かれている。じゃあどっちが正解なんだ,と言えばどちらもひとつの時代を両極端な視点で眺めているだけに過ぎないので,どちらも正解ではない。夕日はいつだってひとつしかない。三丁目の住人は微笑みながら穏やかな目でそれを眺め,四丁目の住人は悲しみの涙に霞んだ目でそれを眺めていただけのことだ。

 

ただ言えることは,『三丁目の夕日』は極力『四丁目の夕日』的な汚さを排除した世界であり,『四丁目の夕日』は逆にその時代の汚さを全て飲み込んだ世界だということで,それは陰と陽の文様と同じことだろう。光あるところ必ず影はある。ここが最初の話に繋がってくる。

 

「何もない生活っていい!私たちは物質的には豊かかもしれないけど精神的には貧しくなってしまった!!ここには私たちが忘れてしまった大切なものがある!!!」みたいな話って本当にテレビをつければいつもやっている。みんな本当にそう思って言ってる?じゃあ「私たちが忘れてしまった大切なもの」ってなに?もっと具体化してみて。たぶんその実は「虚無」とかそんなんだよ。言葉にしないことでまるでとっても意味があるような秘蔵仏にしないでさ,ちゃんと語ってくれ。

 

※余談だが,昔行った太宰府天満宮で面白いインスタレーションをやっていた。

由緒ありそうな古めかしい建物の中にキラキラ光る玉が置いてある。作品タイトルは「本当にキラキラするけど何の意味もないもの」。物事の本質を鋭く捉えたようでとても良いなあと思って,強く印象に残っている。

公式サイトにまだその情報が残っていたので掲載しておく(http://www.dazaifutenmangu.or.jp/art/program/vol.6)。

 

その時代にそんなに帰りたいんだったら勝手に帰ってもいいけど,少なくとも私はスマホもコンビニもインターネットもないその時代に帰りたいとは思わない。そして多くの人は,その現代の便利さから逃れられないとも思う。光の部分ばかり見て影は見て見ぬふり,あまりに一方的な視点でしかものを見られないひとというものも,世の中には確かに存在している。

 

 

2019年には平成は終わる。その先がどうなるのか,全くわからない。三丁目と四丁目で夕日は確かに見えていたが,それはいまでは見えない。

もう私は26歳だ。すでに老いてしまった。肉体年齢はともかくとして,感性はどんどん老いていく。いまだにおもしろフラッシュの話なんかで盛り上がってしまうのは,時代の断絶でしかない。

私はもはやTwitterFacebookInstagramを通じてしか,現代の若者の思考を垣間見ることは出来ない。きっとそれらだってすでにアップ・トゥ・デートなものではない。TikTokというものが流行っているようだが,26歳にはもうついていけない。文化が違う。本当に若い人たちが何を考えているか,何をやっているかなんてのは同世代にしかわからないのだ。「うんうん,ボクは若い人の気持ちがよく分かるんだ。心はまだ十代だからね」なんて言ってるおっさんの信用できなさったらない。だから「わからない」を前提に,次代を担う人々と接していく必要がある。謙虚に。

 

ひとは誰のこともわからない。自分のことだってよくわからないのだから。

いつか”一緒に”輝いて

最近の日の落ちる速さに驚きながら,何かを諦める顔をしている。例えばそれは日の長さだったり平成最後の夏だったり夏のエモさだったりするのだけど,私たちはいつも何かを諦めて失っていく。仕方ないさ,とつぶやいて諦める。

 

最近『凪のお暇』という漫画を読んでいる。主人公・凪が会社を辞めて彼氏とも別れて家も捨てて,それでも生きていくという漫画だ。この漫画の良いところは,「何もない生活っていい!私たちは物質的には豊かかもしれないけど精神的には貧しくなってしまった!!ここには私たちが忘れてしまった大切なものがある!!!」とかクソしょうもない精神論を説くわけではないというところだ。凪が自由人な隣人に恋をして岡崎京子ばりのセックスまみれの自堕落な生活を送るようになり,節約上手だったはずがコンビニ飯ばかり食べるようになっていく……というシーンが印象的だった。

 

この漫画に出てくる凪の元彼はとにかく意地悪でモラハラ男なのだが,彼は彼で後ろ暗さを抱えている。彼の家族はとても綺麗に見える。可愛らしく天然なお母さん,公務員で優しいお父さん,そしてその自慢の息子がふたり……。素晴らしい家族。

でも実際は,お母さんは整形狂いで,お父さんは不倫をしていて,元彼の兄は消息不明。家に笑いはなく,温かさもない。演じられていた家族ゲーム。表面を取り繕っただけの,失われたものでいっぱいの家族。

 

前置きが長くなったが,これを読んでいたらなんだか自分の家族のことを思い出した,ということだ。

 

うちは3人家族。父は会社を経営していて,母は専業主婦。小さい頃のことを思い出すと,お金に困ることはなかったし,欲しいものは何でも買ってもらったし,よくわからない高級レストランにもいっぱい行った。そのうち受験をして国立の幼稚園に入った。お受験のために色々な勉強をさせられた。子どもらしい遊びはさせてもらえなかった。家には本ばかりがあった。親ばかりが熱心だった。私はおとなに気に入られて面接に受かる子どもを演じた。合格の一報を受けて親は大喜びしたそうだ。周りは親が医者とか弁護士とか社長とかそんなのばっかりだった。そこの小学校で父はPTA会長をやっていた。よくしゃべる父は周りからも人気者で,私は先生から「お父さんによろしく頼むよ」と何度も言われた。別に嬉しくはなかった。おまえらに何が分かる,と内心思いながら笑顔で応じた。

 

私は父のことが大嫌いだ。

 

父は外面は良いものの,内面はどうしようもない男だった。他人を支配したがる男だった。私は「自慢のひとり息子」として習い事をたくさんさせられたし,そこで結果を出さないと厳しく叱責された。

 

小学生の頃,水泳教室で選手コースに入っていた私は,ある大会で大した結果を出せなかった。帰宅すると私の部屋がめちゃくちゃになっていて,「お前みたいな出来損ないは殺してやる」という走り書きが落ちていた。いったん出かけた父がまた帰ってくるのが恐ろしくて,部屋の片隅で震えていた。父は帰宅するやいなや,私を引っ叩き蹴飛ばし,「てめえなんか死んじまえ!」と罵声を浴びせた。その頃には心が無になっていた。

 

中学受験の模試の結果が悪くて,震えながら「でも塾の先生も『今回は難しかった』って言ってたもん……」と言い訳する。するとまた引っ叩かれて「他人がそう言ったからなんなんだよ!じゃあ他人が死ねって言ったらてめえは死ぬのか!」とインターネットでも最近見かけない論理の飛躍をしたりする。怖いので黙り込む。そうすると「なんで黙ってんだよ!なんとか言え!」とまた引っ叩かれた。

 

こういうエピソードは枚挙にいとまがない。

 

一番衝撃的だったのは小学校の卒業写真を撮る前日,目のあたりを父に殴られて目が腫れてしまったこと。私は「転んだって言いなさい」と何度も言い含められ,実際そのとおりにした。あれ,これって虐待でよく見るやつだな……と内心思いながら。その日,私はあまりに酷い態度に嫌気が差して,「ねえ,『子どもの権利条約』っていうのがあるんだよ!子どもは大事にしなくちゃいけないんだよ!」と抗議した。当時内容はよく知らなかったけど習ったばっかりで言いたくなったのだろう。案の定引っ叩かれて終わりだった。その頃,マンションの屋上から飛び降りたら死ねるのかとよく考えていた。

 

当然そういう爛れた内情は誰も知らない。父は会社経営者だしPTA会長で外面が良かったから。外側からはどう見たって他人が羨む「素敵な家族」が演じられていたから。そう,誰も知らない。

 

さすがに私が中学高校大学と成長するにしたがって暴力を振るわれることは少なくなっていったが,いったん植え付けられた「恐怖」というものは簡単には払拭できないし,おそらく墓場まで持っていくことになるのだろう。

 

そんな父が躁うつ病と診断されたのは去年のことだった。いま考えれば昔っからの行動も躁うつの気があったと思う。

診断される数か月前から,いきなり俺は死ぬと言ったり包丁を取り出して殺してやると言ったり,正直キ◯ガイとしか思えない行動を繰り返していた。ある日,また包丁を取り出して怒鳴り散らし,外に出ていき数時間帰ってこなかった。さすがに少し心配になり,近所を探したがどこにもいなかった。父は結局包丁を持ったまま車の中にいたのだが,どうやって死のうか考えていたと言っていた。何かをブツブツ言っていて正直恐ろしかった。

 

いまも治療を続けているが,治ることはないだろう。少し詳しく聞いてみると,父の会社の従業員も嫌気が差して辞めたりしているのだそうだ。最近は母と離婚についての話も持ちかけられているらしい。金があろうが名誉があろうが,結局父はひとりなのだ。誰も愛せず誰にも愛されず,ひとりで死んでいくのだ。

 

そしてそれはその血を最も色濃く継いでいる私も同じだ。

 

時折,自分に流れるこの血が恐ろしくなる。

時折,破滅願望がとめどなく溢れ出してくるのを感じる。

 

いなくなれば楽になる。これは呪いだ。血の呪い。それは私を縊り殺そうとする。

でもできるだけ生きていこう。まだその気力はあるのだから。

 

いつか,その呪いを克服することができたら,きっとその時こそ,輝かしい人生が始まるのだと,そう信じているのだ。

 

 

前職の上司とこの父は,自分の中で決着をつけるべきふたつのものだったので,どちらもブログに書いてみた。

今後この話題に触れることは殆ど無いと思う。こんな不愉快な話,誰も聞きたくないだろうし。

 

タイトルは『少女革命ウテナ』39話「いつか一緒に輝いて」より。

いつか輝きたい。ひとりで死んでいくのではなく,誰かと一緒に。

夢の見た夢(意味なしアリス)

ここんとこ毎日ブログを書いているので日記っぽくなってきた。ブログの良いところは思い立ったらすぐに書けるところだ。Twitterだとすぐに流れていってしまう思考(フロー)が,ここだとまとまった思考(ストック)に出来る。と言っても明日は飲み会だし土日は京都に行くのでたぶん日記は書けないんだけども。まあいいや。

 

今朝,夢を見た。

 

素敵な夢を見てツイートしていたフォロワーさんがいたので,真似して朝に夢をスマホのメモ帳に書き記してみた。夢の内容は全く思い出せないので,メモ帳を見て初めて思い返す。虚構が現実を作るシミュラークルっぽい感じがあってなんだか面白い。朝はとにかく弱いので,正直書き記したという事実すら曖昧だったが,メモ帳を開くときちんと文字列が記録されていたので安心した。

 

以下はその内容。原文ママで記す。

 

8/23 4:37

当たり前のように前職の夢を見た 半分外みたいな路上っぽいとこでパーティーやってて俺は様子を伺っている 高校や大学の同級生もいる でも俺はずっと外から見ている あるきだした

 

4:37て。どうやら高齢者みたいな時間に目が醒めたらしい。ちなみに当然のようにその後二度寝しているので4:37に起きた記憶は一切ない。その後寝続けて8:15に起きたのは流石に少し焦った(9:00始業)。

 

「当たり前のように前職の夢を見た」というのは,昨日書いたブログの記事(https://t.co/hQktdwztPb)を受けてのことだろう。昨日は転職に至るまでの辛かったことや死にたかったことなどをいろいろ思い返していたから,夢にそれを見てしまうのは予想通りではあった。

 

「半分外みたいな路上っぽいとこでパーティーやってて俺は様子を伺っている」というのはよくわからない。私が去った後でも変わらない毎日が営まれている……ということだろうか。そして案の定そこに入っていくことは出来ない。様子を伺っている,というのが何とも私らしい。たぶん電柱にでも隠れてチラチラ見ていたのだろう。ところで,「路上っぽいとこという時点で半分どころか全部外だが……」というのはナシで。これは夢なので。前職では休日に組合主催のBBQパーティーがあった(2回行ったことがある)ので,それが念頭に置かれているのかもしれない。

 

「高校や大学の同級生もいる」なんでいるんだお前らは。しかもなんかこれは少し憶えているのだが,特に付き合いのなかった連中が出てきた気がする。こういう連中に限って同窓会で会ったりすると「ようライカ!元気してたか?いや~みんな大人になったよな!ていうかウチ(母校)のこういうとこ最高だったよな!!」とか言ってきたりする。誰だよてめーは。いきなり現れて好き勝手言ってんじゃねーぞ。ていうかライカさんは人の顔を覚えられないので,割とマジで忘れてたりする。名前を忘れることはほぼ無いが,顔は本当に憶えられない。まあそういうよく知らん連中がうようよと出てきたらしい。

 

「でも俺はずっと外から見ている あるきだした」なんかこれ怖い。絶対真顔でずっと外から見てたし,真顔でスッとあるきだしただろう。いったいどんな心境だったんだろう,夢の中の私は。昨日までとの決別なんだろうか。そうだったらいいな。

 

タイトルは谷山浩子さんの曲「猫の見た夢」「意味なしアリス」から。

今日はシンプルな感じで。終わり。

 

S氏の隣人

昨日とテンションが180°違いますのでお気をつけください。さながらジェットコースターです。

 

昨日でこのブログは5周年だったらしい。これを書いてるライカさんは誕生日が8/20なので,大学3年生の誕生日の翌日に始めたようだ。多分当時,何かと思うところがあって始めたんだろう。最初の頃の記事を見返すと何やら感慨深い。

 

ここ数日更新頻度が高いのは,書きたいなーと思うことがぽんぽん出てくるからで,それは精神状態が良いからだと思う。ほぼ1年くらい何も更新していなかった時もあったし。今回はその暗黒の時代について書く。これは早く書かなきゃいけなかったんだけど,書く度に頭がごっちゃになってしまって,下書きに残しては消して,また書いては消して……と繰り返して,ずっと目をそらして背を向け続けてきた。

 

暗黒から抜け出した時期(転職活動について)は以前に書いたことがある(http://komaryuzouji.jugem.jp/?eid=485)。一人暮らしを始めて,転職先で働き始めて,ようやっと気持ちが落ち着いてきた頃に書いた記事だ。この記事を書いたことがきっかけで,スラスラと書きたいことが出てくるようになった気がするし,書いてよかった。

 

しかし,肝心の暗黒の時代にはあまり触れていない気がする。まあその頃のこともちょこちょこツイートしてるから,ちょっとは知ってるひともいるかもしれないけど。なので今日は過去を総決算していく。

 

タイトルは吉田ひろゆき氏の漫画『Y氏の隣人』から。この漫画は『笑ゥせぇるすまん』をさらに不条理にした感じの漫画で,自分の人生観に大きな影響を与えている。オススメなので読んでみて。

 

さて。S氏の隣人というタイトルだが,S氏というのは前職の上司の名前だ。そして,私が転職を決めたきっかけになった人のことだ。ただ誤解しないでもらいたいのは,私はS氏のことが嫌いではない。思い返すのも嫌な人だったら,わざわざブログになんか書かない。出会い方さえ違っていれば,もっと良い関係を築くことが出来たという確信がある。仮にS氏と同い年だったら間違いなく仲良くなれただろう。それくらい私とS氏は性格がよく似ていた。…主に悪い点で。

 

まず私の性格は,人に話しかけたり出来ないというものだ。それは人から「……(だからなに?)」と思われるのが怖いから。逆に言えば,私も人からどうでもいいことで話しかけられると「……(だからなに?)」と思ってしまいイライラする。当然ずっと友達は少なかった。大学ではだいたい一人で講義に出ていた。「よっ友」という関係が嫌いで,よく知りもしないやつから「よっ」なんて言われるのが堪らなく嫌だったし,誰だよてめーはと思いながら下を向いて歩いていた。

 

でもさすがに社会人になってホウレンソウ(報告・連絡・相談)も出来ないのはまずいなと考えていたので,割と頑張ってみた。どうでもいいことで声を出して笑ったりした。部活の合宿にも参加してみたりカラオケイベントに参加してみたりした。昔から飲み会は結構好きだったから,積極的にいろいろな場所に顔を出して顔を売った。そしたら意外と楽しかったし,かわいがってくれる人もいた。最初に配属された部署は総務部で,社内の人に顔を覚えてもらうと円滑に仕事が進むような部署だったから,なおのこと頑張っていたというのもある。最初の上司も,そんな私を「ライカくん」と呼んで割とかわいがってくれた。「誰だよてめーは」と周りに噛み付く悪しき心を封じて,まっとうな社会人みたいな顔をして過ごしていたし,それはそれで楽しかった。

 

しかし,ひとつ満たされれば次をと求めるのが人間の性。私は”次”を求めた。

まずは学生から社会人になるファーストステップは上々。次は,「やりたいことをやりたい」。

 

総務部というのは私のやりたいことではなかった。そういえば書いてなかったが,私は現職も前職も出版社だ。出版社に入ってくるだいたいの人間は編集者になりたいと思って入ってくる。でも実際は営業だったり経理だったり,それこそ総務部に回されることだってある。やりたいことが出来る会社だからって,やりたいことが出来るわけではないのだ。さらに言えば,あなたがやりたいこと=会社があなたにやってもらいたいこととは限らない。会社は利益を最大化するように人員を配置する。あなたが編集者になりたくても,法学部出身だったら法務の知識を活用させようとするし,経済学部だったら経理の知識を活用させようとする。これはあくまで一例だが,得てしてそういうものだ。

 

人事部長にその旨を伝えると,「ライカくんがやりたいことは分かった。検討してみよう」と言ってくれた。ちなみに私は人事部長のことを尊敬していたし,総務部と同じフロアにいた人事部のメンバーも全員好きだった。人の環境という点では,その部署は申し分なかったのだ。

 

そして運命の人事異動。私は編集部に異動になった。ちなみに総務部から編集部への異動というのは極めて珍しかったので,周りからは「あいつはなにかやったのか」みたいになった。別に悪いことは何もやってない。やりたいことをやりたいと言っただけ。胸を張って編集部のフロアにデスクを動かした。

 

ーそして,S氏に出会った。出会ってしまった。

 

S氏の容貌は,ちょっと犬に似ている。上等のではなく,野良犬。口数少なく,そんなに歳でもないのに髪は真っ白で目付きが鋭く無愛想で,とにかく声が渋い。大学でラグビーをやっていたらしく,ガタイが良い。

 

異動初日,S氏はふたりで飲みに連れて行ってくれた。小汚い街の居酒屋だ。前の上司は酒もタバコもやらなかったが,S氏は酒はガンガン飲むしタバコもスパスパ吸った。前の上司の上品さが少し物足りなかった私は,見た目はちょっと怖くて無愛想だけど私を「ライカくん」ではなく「ライカさん」と呼び自分のことも「Sさん」と呼ばせて,お互いに一編集者として対等の立場で編集者の流儀を語るこの人のことを,好きになってしまった。

 

じゃあ良かったじゃないか,とはならない。なぜなら,これは最初からバッドエンドが約束された話だからだ。

 

翌日以降,S氏と交わす言葉は一気に少なくなる。なぜなら何をホウレンソウ(報告・連絡・相談)しても「なんで?」と返されてしまうから。「なんで?」「もしこうだったらどうするの?」「なんで?」「ちゃんと考えてよ」「なんで?」「なんで?」「なんで?」……とどこまでもどこまでも無限に続く「なんで?」。

 

わかっている。きっとそれは,「なんで?」を繰り返すことでより考えをブラッシュアップさせようとするS氏なりの優しさだったのだろう。S氏は常に正しかった。いつだって正論だった。編集職場は社内でも最も忙しい部署で,そこで20年以上勤めて編集長をやっているS氏は,いわば修羅場を何度もくぐり抜けてきた歴戦の古強者だ。しかし渋い声でこちらを睨みつけながら解決策も提示せずに「なんで?」と無限に言われるというのは,とても好意的には受け取れない。S氏は「こう考えてみたらどう?」という提示は最後の最後,スケジュールがやばくなった時まで絶対にしてくれない。優しさを汲み取るとか以前に,まず恐怖の念にかられてしまう。苦痛でしかない。早く終わってほしい。次第に足が震えてくる。冷や汗が出てくる。めまいがしてくる。自分の前にいる「なんで?」を繰り返すだけの”これ”がなんなのかわからなくなる。

 

これもおそらくはS氏なりに部下に「自分で考える力をつけさせる」方法論だったのだろうが,ほとんど何も教えてくれずに「貴方の仕事なんだから貴方なりに進めて」という感じで仕事をやらせようとする。わからないことだらけなので当然行き詰まる。編集部に来たはいいものの,引き継ぎもほとんどなく何も聞いていないのだ。そして恐る恐る聞きに行くと「なんで?」「なんで?」「なんで?」……うんざりしてだんだん聞きに行かなくなる。すると「なんで聞かないの」「なんで報告しないの」と怒られる。しまいには「私から聞きに行かなきゃ貴方は何も話してくれないでしょう」と言われる。言葉遣いが嫌に丁寧なのが逆に空恐ろしさを助長した。ひたすら怖いという感情が日に日に強まっていった。S氏の目を見ることが恐ろしくなり,私の目線はどんどん下がっていった。それは心を反映しているかのようだった。

 

こういう状態になってしまうともうどうしようもない。どんどん目線は下がっていく。やっぱり人とは分かりあえない。笑顔で人と話しても意味ない。私は地面を見ている。バカバカしい。なんだこいつら。どっかいけよ。いなくなれよ。私は地面だ。いなくなってくれ。……いや,自分がいなくなればいいのか……というように心がだんだんと壊れていき,入社以来封印していた「誰だよてめーは」の悪しき心が出てきてしまった。営業部長から「ミスタースマイル」と呼ばれた笑顔が消え,飲み会であれだけ饒舌だった口数は減り,私はずっと下を向き続けた。S氏と目が合えば怒られる。怖い。私は虫けらだった。野良犬に睨まれて何も出来ない虫けら。踏み潰されてはじめからいなかったことになる虫けら。

 

「相手はいまこれをしてもらいたがっているのに貴方は何もしていない」と怒られる。私は相手の目を見ていない。「貴方が準備していないからこんなことになっている」と怒られる。私は相手の目を見ていない。「黙ってるんじゃわからないから。なんとか言ってくださいよ」と怒られる。私は相手の目を見ていない。永遠に交わることのない視線。「貴方が」「貴方が」「貴方が」。S氏はいつだって私のことを「貴方」と呼ぶ。初めて会った日は「ライカさん」と呼んでくれたのに。いつも距離を感じさせる言い方で私を突き放そうとする。私の心をめった刺しにしようとする。痛い。

 

毎日足がフラフラしていた。昼休みはひとりで社食で食べて,すぐに図書室で寝ていた。誰とも話したくなかった。S氏も昼休みは社内のソファーで寝ていて,昼休みが終わるチャイムとともにデスクに戻ってくる。昼休みは1分たりとも働かない!という鋼の意志は両者に共通していた。

 

会議のある日。私は性格的に,ありったけの書類を持って会議室に早めに行くことにしているので,始まる15分前には着いている。ほぼ時を同じくしてS氏も大量の書類を抱えて入ってくる。同じ性格をしているからだ。だが目線は合わない。無言。しばらく誰も来ない。5分前くらいにみんなが入ってきて,定刻になると会議が始まる。会議で私が話せば必ずS氏による「なんで?」というツッコミが入る。今言わなくてもいいのに……という「なんで?」が深く鋭く突き刺さる。手が震える。急速に口が乾いていく。その一方で冷や汗は止まらない。頭が真っ白になる。「会議で黙られても困るんだけど」と言われる。何もわからなくなり目の前がゆらゆらする。ゆらゆら。俺は空洞。でかい空洞……

 

会議が終わった後に「ああいうの困るんですけど。何度も言ってますけど,黙らないでくださいよ」と言われる。それは憎々しげに,私を横目で睨みつけるように。私は小さい声で「……すみません」とだけ応え,席に着く。生きててすみません。

 

私が強い意志を持っていれば良かった。このくそ上司ぶっ殺してやる!!と猛烈に仕事に取り組めるような人間だったら良かった。そしたらS氏はきっと私を認めてくれただろう。でも,そうはならなかった。なぜなら私は弱かったから。弱すぎたから。すぐに泣いてしまうような虫けらだったから。人から傷つけられることが怖くていつもひとりでいた,ただの弱いものだったから。はじめから解決法なんてものはひとつしかなかったのだ。

 

それは,私がいなくなること。

 

だから私はいなくなることにした。転職活動を進め,無事内定を勝ち取った。当然S氏に報告することになる。頭の中で何度もシミュレーションを重ねて冷や汗をかきながら「話がある」と告げた時,S氏はこれまでにない虚をつかれたような表情を浮かべた。私から業務内容以外で話しかけることなんて皆無だったから,驚いたのだろう。

 

ふたりで別室に移動した。どこまでも弱く情けない私は,嘘をついた。最後にS氏に小さな罪悪感を植え付けてやろうと思った。そこで「毎日辛くてクスリに頼っている。最近特にクスリの量が増えてきた。もはや社会生活がまっとうに送れなくなってきたので,会社を辞めたい」と言った。S氏は必要以上に私のことを心配してくれた。いままでの無愛想が嘘のように饒舌に話しだした。「周りに相談できる人はいるの?」「まずはいったん休職というのはどうかな?」「ライカさんのご両親はご心配されているんじゃないか?」……ああ。そうだ。この感覚。私はこの人に気にかけてもらいたかった。ここにいることを見てほしかった。「貴方」ではなく「ライカさん」として見てもらいたかった。

 

終わりを告げた日にその「夢」が叶うなんて。

 

もともとS氏は周りに気を遣える人だった。この気配りはとにかくすごくて,資料を忘れている人がいれば予備を5部くらい持ってきて渡し,会場までの道筋が分からない人がいれば事前に印刷しておいた地図を渡すような用意周到さがあった。仕事だってそうだ。S氏に任せれば完璧だった。私がやった仕事を土日ですべてチェックし,間違っているところには「違う!」などと書かれた付箋がビッシリと貼り付いて返却されてくる。「見ました」とだけボソッとつぶやいて,私のデスクに無造作に置く。そんな人だった。「ありがとうございます!」と言うと嫌そうに「仕事なんで」と言う。そんな人だった。

 

私は会社で初めて泣いた。社会人になって,ましてや社内で泣くなんて。恥ずかしい。本当に恥ずかしい。見られたくない。でもそんな思いとは裏腹に,涙は止まらなかった。憎んでいるんじゃない。嫌いなんじゃない。この感情はなんなんだろう。

 

私が泣いている間,S氏は何も言わなかった。これが普段の打ち合わせだったら「もういいですか」とか言ってすぐに切り上げようとするS氏だったが,その日ばかりは何も言わなかった。何も言わずに私を見ていた。慰めるでもないのがS氏らしいが,逆の立場でも私は何も言わなかっただろう。

 

そしてその日から2週間後,私は退職した。最終日,社内のみんなに餞別のお菓子を配って回った。いい人が多い会社で,その会社のことはいまでも好きだから,離れる選択肢しか選べなかったのは本当に残念だった。S氏には特別に,とらやの羊羹を買っていった。袋を渡し「短かったですがお世話になりました」と告げる。エレベーターまで見送ってくれたS氏は自嘲気味に「人を見送るのに慣れちまったよ」とつぶやく。実は私の前の部下も辞めていて,他に派遣社員が3人入ったが全員数ヶ月で辞めてしまっていた。閉じるエレベーター。私は頭を下げ,S氏も頭を下げる。やっぱり目線は合わない。そしてエレベーターは閉じ,全ては幕を閉じた。

 

過去を総決算する,とまではいかないにしても,いくらかは胸の心情を吐露できたような気持ちがある。

 

同時に,いまの平穏な日々が,この戦場のようだった日々の上に成り立っていることを実感する。いまの奇跡のような日々は,この地獄のようだった日々の上に成り立っていることを実感する。

 

……でもなんだろう,この胸にぽっかりと空いた穴は。それはなんだか分からない。分からないけど。傷ついて毎日を生きていくよりは楽しく生きていったほうがいいんだ,きっと。

 

それでは最後に。

人よ,幸福に生きよ!

 

ありがとうございました。